第59話:音羽優人の昼食事情(第四部 終)
おとはの日曜日。夜は暇になるが、昼はそこそこ忙しい。
ショッピングモールも含んだ、大きな店が並ぶ大通り。その横丁の格好になる商店街。このど真ん中にあるからだ。
織紙は今日は休んで、野々宮と天海とで遊ぶらしい。俺の入院中、どうせほかにやることもないなんて言ってたやつが、変わるもんだ。
「優人。言乃ちゃんを怒らせたりしたんじゃないだろうねえ」
「してないよ。今日は遊びに行くんだってさ」
「そうなのかい? あの子が怒るなんて、想像もつかないからねえ。優人がよほどのことをしたんじゃないかって、私は心配なのよ」
「だから、怒っても怒らせてもないって」
今日のことを頼んで以来、婆ちゃんは何度も同じようなことを聞いてくる。そんなに気になるなら、本人に聞けばいいのに。
「言乃ちゃんが怒ったり、それを理由に休ませてなんて言うわけないじゃないの」
じゃあ、どうして俺には聞くんだよ。答えても信じないし。
まあ婆ちゃんも織紙のことが気に入ってるみたいだから、変わったことがあると気にしたいんだろう。なんでもないと分かっていても。
「いらっしゃいませー」
少し早い昼メシを食べていると、威勢のいい母さんの声が響いた。なんとなく読んでいた雑誌から目を離して、入り口のほうに目を向ける。
──なんであいつらが来るんだ。
織紙とどこかへ出かけると言っていた、野々宮と天海。ああその織紙も、暖簾をくぐってきた。
「あらあらみんな、言乃ちゃんも。お出かけじゃなかったの?」
「そうなんですけど、お昼ごはんはここで食べたいって祥子ちゃんが言ったので」
「天丼、おいしそうだったからー」
おとはの自慢は、もちろんうどんだ。でも鮮魚の仕入れもいいから、エビやらイワシの天ぷらも評判がいい。
まだあいつは食べたことがないはずなのに、さすがは天海だ。
「そうなの? じゃあたくさん食べていってね」
そう言った母さんは、なにを思ったか俺の居るほうに案内してくる。嫌な予感は的中して、テーブルに確保していた続きの雑誌は片付けられてしまった。
「あら、居たんだ」
「わざわざうちに来といて、それはないだろ」
「売り上げに貢献してあげるから、祥子に感謝しなさいよ」
「へえへえ」
テーブルは四人掛けだ。野々宮と天海は、当然のように並んで座る。すると残る織紙は、俺の隣ということになる。
木枠に縄を編んだような椅子が、きゅっと音を鳴らす。微かに石けんを匂わせた織紙が、俺の顔を覗きこんだ。
「ご、ごめんね。食べてるのに邪魔しちゃって」
「いや、いいけど」
「祥子に感謝しなさいよね」
「……はあ、どうも」
なんで二回言ったんだよ。俺も、どうもとか言ったけど。
今日は織紙も、完全に客扱いだ。お茶なんかも用意されて、注文も終わった。どうやらおとはで一番高い、特上海老天丼御膳を食べるらしい。一つ、三千八百円だ。
「豪勢だな」
「聞いたんでしょ。お詫びよ」
その話に繋げる気はなかったんだが。自分から言うってことは、もうなんでもないってアピールか?
「そうか。まあ色々あったのはともかく、良かったな」
「ええ。あんたのおかげでね」
うん? なんだかこいつ、怒ってないか?
俺は織紙と話しただけだから、感謝とか詫びとかはなくて当たり前だ。でも怒られる覚えもないぞ。
「ホント、あんたの言った通り。うまい物を食わせとけば機嫌が直るもんね、あたしも祥子も。ね、コト」
なんだそれ。俺がそんな話をしたことになってるのか?
「そうだよ。少しくらいのもめごとなら、おとはでおいしい物を食べてるうちに解決するんだって。すごいよね」
「ねー、すごいよねー」
ねー、って。こめかみの辺りが、ヒクヒクしてるじゃないか。
ええと──言ったけど。
言ったけども、それは少しくらいの時の話だ。そういう解決方法もあるんだと、例として言っただけだ。
頼むよ織紙……。
「そういう意味で言ったんじゃないが──すまん」
テーブルの縁に手をついて、頭を下げる。土下座までしろとは言わないだろう。
「……冗談よ」
「ん?」
冗談という言葉は聞こえたが、顔がそう言っていない。むしろさっきより嫌そうに、さっきは俺を睨んでいた目があさってを向いている。
「あんたも、その──」
「ん?」
なにか言ったのは分かったが、意地悪じゃなく聞き取れなかった。どうやら悪口じゃなさそうだけど。
「悪い、聞こえなかった」
「だから、──と」
「あーちゃん、ちゃんと言わないと」
「ありがと、って言ってるの!」
ありがとう? 俺に?
織紙を励ましたから、とかだろうか。否定はしないが、わざわざ礼を言われるほどじゃないと──。
「諦めるなって言ったんでしょ。あたしたちのこと、コトに取って特別だから、絶対に諦めるなって」
「ああ──そのことか」
「うちからも、ありがと。そう言ってもらえたからがんばれたって、コトちゃんが言ってたんだよ」
視線を向けると、俺に向いていたらしい織紙の顔が逃げていった。そのままちょっと見ていると、耳の辺りが赤くなっていく。
可愛いな、くそっ。
「そりゃあ、わざわざ言ってもらって。でも見たままを言っただけだ、気にするなよ」
「カッコつけないでよ……」
野々宮の言葉は、またごにょごにょと小さくなった。
でも今度は聞こえた。「それでも感謝したいのよ」とかなんとか、そんな感じだ。
「お待ちどおさまー」
「えと、二人から出してあげてください」
母さんと婆ちゃんが、二人して注文を持ってきた。織紙が言った通りに、野々宮と天海の前に膳が並ぶ。
うまそうだな……。
すぐに織紙の分も婆ちゃんが持ってきて、「良かったねえ」と言った。
「ん? 婆ちゃん、なにか知ってるの?」
「ううん、なにも知らないわ。でも言乃ちゃん、嬉しそうだもの。優人がなにかしたのじゃなくて、良かったわ」
まだ言ってる。
でも、婆ちゃんすごいな。俺もそういうことが、分かるようになるんだろうか。
「いただきまーす!」
三人揃って、手と声を合わせて言っていた。それぞれ食べかたは違うけど、うまそうに食べている。
どうだ。おとはの最上級メニュー、うまいだろ? それを食えば、大抵のやつは笑っちゃうんだよ。
やかましく話しながら食べる三人を見て、そう思う俺も笑っていた。
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