第56話:私の信頼

「そうだね。あたしたち、友だちだもんね。友だちでいなくちゃね」


 歯を食いしばるようにしながら、それは吐き出された。

 孤独な音だった。

 その前にも、先にも、一切の繋がりを拒否する温度で。寒い音だった。


「あーちゃん──?」


 またなにかやってしまったのかと、祥子ちゃんも察したらしい。不安そうな目が、純水ちゃんと私とを交互に見る。


「違う違う、決意表明だよ。祥子の言う通りだって話」


 私にさえ白々しく聞こえるものが、祥子ちゃんにはどう聞こえているんだろう。


「祥子、ごめんね。あたしの態度、変だったよね。でも実は大したことじゃないの。えーと、ほら、あれだよ──」


 言うほどに。そこに置かれていく表面上の意味とは反対に、心の距離が離れていくようだった。

 一言ずつ、重い斧で断ち切るような話し方。純水ちゃんの息も、荒くなっていく。


「そんなの嘘だよ。あーちゃん、お願いだから教えてよ。うちはなにを間違ってるの?」

「間違ってなんかない。間違ってるとしたら──あたしのほう」


 カーペットの床を、祥子ちゃんは四つん這いで純水ちゃんにすり寄った。膝に手をかけて揺すりながら、「ねえ! ねえ!」と呼びかける。


「そうだよ。やっぱり間違ってるよ。ごめんね、祥子……」

「コトちゃん、あーちゃんが……」


 純水ちゃんは、完全に俯いてしまった。為すすべがないと、祥子ちゃんは私に困惑の目を向ける。


「コトちゃん──どうだったの。聞いたの? うちに聞きたいことを、あーちゃんにどうとかって」

「あ……ええと、あれは」


 今日ここに来たときには、たしかに聞くつもりだった。

 そんなに拗れるくらいなら、いっそ私が聞いてしまったほうがいいだろうと思っていた。

 純水ちゃんは、祥子ちゃんのことが好き。祥子ちゃんは、そう聞いてどう思うかと。


 でも純水ちゃんと話すうちに、今なら祥子ちゃんと話せるとなった。だから自分で言えるのなら、そうしたほうがいいと思って聞かなかった。


「コトちゃん、教えてよ。聞きたいことって、なんだったの。それがあーちゃんの、今考えてることなんでしょ」

「うん、そう──でも」


 視線をまた、純水ちゃんに向ける。顔が両手で覆われて、今にも声を上げて泣き出しそう。

 言っていいか確認することなく、もう話してしまったほうがいいのかな──。


「純水ちゃんの気持ちは──」

「うん」

「純水ちゃんが言うよ。だって純水ちゃんは、そういう人だもの」

「そういう人って──」


 そんなことを言ったって、現に今こうして困っているじゃない。祥子ちゃんの顔に、ありありと気持ちが浮かんだ。


 私もそう思う。でもそれじゃダメだ。こんなに大切なことを自分で言わないなんて、どんな結果になっても後悔する。

 これは私の、日和見な気持ちなのかもしれない。けれど純水ちゃんと祥子ちゃんを信じる気持ちに嘘はないと、自分を信じたい。


「二人が私を知ってくれてるように、私も知ってるもの。純水ちゃんは、言いたいことをちゃんと言う」

「コトちゃん……」


 言い切った私に、祥子ちゃんは驚いていた。急になにを言い出したのかと、意味を計りかねていたのかもだけれど。


 数拍の沈黙のあと、パンパンと弾けるような音が響いた。

 見れば純水ちゃんが、顔を覆っていた両手でほっぺを叩いた音だ。


「うん。あたしは言う。自分で言うよ。どんなことだって、あたしのことくらいはね」

「うん。言って。うちはあーちゃんの言うことなら、なんだって信じるから。実は月から来たんだって言っても、絶対に信じるから」


 どこから月が──。いやそれくらいに突拍子なくても、ということだ。拘らなくていい。

 これから二人は、本当なら私になんて聞かせる必要のない話をする。邪魔してはダメ。


「言うよ。覚悟はいい?」

「どんと来いです」

「あのね──」


 純水ちゃんは、大きく息を吸った。新しい空気をたくさん取り込んで、大切な言葉を託せるように。

 そこにはもう、ためらいはなかった。


「祥子。あたしは祥子が好きなんだ。友だちとしてももちろんだけど、女の子として。

 ……あ、いや。これじゃ変か。

 デートしたり、ええと──そういうことをする恋人になりたい」

「……ちゅーしたり?」


 二人はやっぱり、通じ合ってるのだと思った。私なら、ここでそんな言葉が最初には出てこない。


「そのことで悩んで、怒ったみたいにしてたの?」

「うん、ごめん……」


 驚いているのは、間違いないと思う。祥子ちゃんの目はまん丸で、まばたきも忘れているみたい。

 その視線がしばらく純水ちゃんを刺し続けたあと。祥子ちゃんは大きな大きな、ため息を吐いた。


「あーちゃん、うちはがっかりしたよ……」


 純水ちゃんの歯が、きつく唇を噛む。

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