第55話:私の戸惑い

 マイク越しでの会話は、なかった。純水ちゃんもこの状況で、なにから話せばいいのか思いつかなかったみたいだ。

 また別の音のチャイムが鳴って、玄関前に着いたらしい。もちろんモニターで見えてもいる。


「コト──ドア」


 お願い、と身振りで頼まれた。

 自分の家でない玄関を開けるのは、気が引ける。でも祥子ちゃんだと分かってもいるし、そんなことを言っていても仕方がない。


 私も緊張して、すうはあと大きく息をすると一気に扉を開けた。

 そこに立っていた祥子ちゃんは、それでも地面を見つめたまま顔を上げない。


 たたきに片足立ちで、扉を開けた姿勢のまま待った。でも二人とも、互いに俯いて言葉が出てこないらしい。

 最初に私がなにか言うのもどうかと思ったけれど、無理に玄関で話す必要はないのかもしれない。


「えと──純水ちゃん、上がってもらっていい?」


 振り返って聞くと、純水ちゃんはぎこちなく頷く。でもそれでは、俯いている祥子ちゃんには伝わらないのだと気付いたみたいで、小さく声が絞り出た。


「──うん」

「だって。祥子ちゃん、上がらせてもらおう?」


 祥子ちゃんも祥子ちゃんで、上目遣いにちらとこちらを見るだけだ。そのままの姿勢で、入ってきた。


 閉めた扉に背中が当たりそうなくらい、ギリギリ家の中で祥子ちゃんはまた動かない。

 その背中に手を添えると、油の切れた古いおもちゃは、また動き始める。


 そんな調子でようやく祥子ちゃんは、純水ちゃんの部屋に辿り着く。すると今度は壁際に、壁を向いて座り込んでしまった。

 その様子は、どういう行動が正解なのか迷っているようにも、なんだか拗ねているようにも見える。


 祥子ちゃんは、今どんな気持ちでそこに居るんだろう。

 本当に拗ねているのかな。それとも、どうしていいのかパニックなのかな。

 でも待ちきれなくて来てしまったくらいだから、どんな気持ちかってことなら、分かりきっているのかな。


 純水ちゃんはベッドに腰掛けて、私も適当な位置に座って、顔を見合わせる。

 少しの時間を使ってから、純水ちゃんはなんとか声をかけようと試みた。


「あ、ええ──しょ、祥子?」


 返事はない。ほんの少し、ぴくっと体が動いただけ。


「どこ……なにして……」


 来てほしいと言って即座に来れるなんて、どこに居たのか。なにをしていたのか。それはもちろん気になる。

 けれども結局、それが言葉にして聞かれることはなかった。


「祥子、ごめん」

「ごめんね、コトちゃん。待ってるって言ったのに、待ちきれなくて」

「え、ううん。来てもらって良かったよ」


 壁を向いたままで、純水ちゃんの謝罪は黙殺される。代わりに祥子ちゃんの言葉は私に向いて、その間の純水ちゃんは下唇を噛んでつらそうだった。

 でもすぐに顔を引き締めて、また口を開く。


「祥子。あたし、祥子に聞いてもらいたいことがあるんだ」

「コトちゃんにお任せするって言って、待ってるって言ったけど──」


 また純水ちゃんの言葉は、無視されてしまうのかと思った。でもそのあとに続く言葉は、どうも違うらしい。

 少しずつ顔がこちらを向いて、泣くのを我慢しているような赤いほっぺが、面積を増やしていく。


「うち、いっぱい考えたんだよ。なにが、あーちゃんを怒らせたんだろって。コトちゃんのお兄さんと一緒に居たのがどうなのかなって思ったけど、それでどうして怒るのかどうしても分かんなかった」

「ごめん……」


 純水ちゃんは目を閉じて、顎を震わせていた。

 そうだとそんなにも考えたのに、純水ちゃんが妬いた事実には辿り着かなかったということだから。

 それが二人の間にある、気持ちの落差だから。


「あーちゃん、ごめんね。うち、なにをしたのかな。なにをしたのか、教えてもらえないのかな」


 前のめりな気持ちがそのまま言葉として出ているように、祥子ちゃんは話す。両方の膝に置かれた手は二つとも、ぐっと握られている。


 今度は純水ちゃんが答えなかった。

 なにをしたのかと聞かれても、悪いことをしたと怒っているわけじゃないから。答えられなかった。


「うち。最初にあーちゃんを見た時、絶対にあーちゃんのこと好きだと思ったの。一目見てとかじゃなくって、クラスの子がたくさん居るのに、あーちゃんはなんだか気になっちゃうなって」


 それはきっと、二人が出会ったころのお話。夏休みのお泊りで、私は純水ちゃんから聞いていた。


「その時にね、『あー、これ以上好きになれる人は他に居ないな』って思ったの。でも違ってたよ」

「違って──たの?」


 好きという単語は、純水ちゃんにものすごい圧力をかけていると思う。

 純水ちゃんが言う同じ単語と、祥子ちゃんのそれは意味が違う。それでもきっと、言葉として言われれば嬉しいだろうなと思う。


 でもその嬉しさは、すれ違っていると確定している。そこにもまた落差があって、底の見えない滝壺を覗き込んでいるようでさえある。

 当人でない私でさえ、そんな想像が出来てしまうくらいなのに。しっかり祥子ちゃんを見つめ続ける純水ちゃんは、どんな思いを堪えているんだろう。


「違ってた。今のほうが、絶対に好きだもん。あーちゃんと友だちじゃなくなったら、うちどうしていいか分かんない。そうなった想像をしてたら、待ってられなかったの」

「──そっか」


 純水ちゃんは笑った。

 視線を少し落として、悲しそうに、寂しそうに。泣き出しそうに、笑った。

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