第41話:やすみ明け、純水はおやすみ

 次の日。祥子ちゃんにはどこかに来てもらって、二人きりで聞けたらいいと思っていた。

 でもそれは不可能だ。

 なぜかと言えば、夏休みが終わったから。


 久しぶりの学校。以前の私なら、行きたいとも行きたくないとも思わなかっただろう。

 でも今は、少し行きたくない。

 純水ちゃんがどんな様子かと考えたら、心配で心配で。授業とか落ち着いて聞ける気がしない。


「コトちゃんおはよー。コトちゃんのほうが遅いって、珍しいねえ」


 そう言う祥子ちゃんは、いつも通りの時間に来たらしい。いつも通りに、明るく元気だ。


「久しぶりの学校だねえ。ワクワクするねえ。三島先生も、今日からって忘れてないかなあ」

「え、うん。そうだね?」


 両腕がわきわきと動いて、祥子ちゃんは本当に嬉しそうだ。宿題が終わって、不安がなくなったからだろうか。

 それにしたって、いつもの元気より五割増しくらいなのは不自然な気がする。


「えと──純水ちゃんは?」

「うーん、なんかね。頭が痛くて今日は来れないんだって」


 そうか──来れないんだ。

 昨日の今日で、風邪をひいたとも考えにくい。きっとあれから、落ち込んだままなんだろう。


「つらそう──だった?」

「それは分かんないよ。これだから」


 祥子ちゃんはスマホの画面を私に向ける。そこにはメールチャットのフキダシが並んでいて、純水ちゃんの名前があった。


 頭痛い。休む。

 たったそれだけの、短い言葉。文章とさえ呼べない。

 そのあとに、大丈夫? とかを祥子ちゃんも送っているけれど、反応はないみたいだ。


「風邪かなあ。アレで休むほどっていうのは、見たことないし」

「どう、かな」


 やっぱり付き合いが長いから、そんなことも分かるんだね。でも予想は外れてるんだよ。原因は、祥子ちゃんなんだよ。


 どうしよう。今、聞いてしまおうか──。


「おはよー」


 私たちの教室のすぐ前で、誰かと誰かが挨拶した。その一方は、そのまま部屋に入ってくる。


「ああ……」

「ん? どうかしたの?」

「ううん。なんでもないよ」


 タイミングを逸してしまった。でも言いわけじゃなく、聞かなくて良かったのかもしれない。

 お兄ちゃんも絡んでいる以上、私にだって驚きの内容になる可能性は高い。そんな話を、次の誰かが来る前にするなんて無理だった。


 それからの会話は、なんの話をしたのだかよく覚えていない。


「お見舞いとかは大げさかなあ」

「うん」


「あーちゃん、お腹でも壊したのかな。あ、それなら頭は痛くないか」

「うん」


「ねえねえ。今日の授業が終わったら、職員室に行くの付き合って?」

「うん」


 だいぶん経って「コトちゃん、聞いてる?」と祥子ちゃんに聞かれたところで、チャイムが鳴った。

 開けたままだった扉から、三島先生が入ってくる。

 祥子ちゃんは「あとでね」と自分の席に向かった。


 そのままお昼休みになった。授業の内容は、全然頭に入っていない。それでも板書はノートに写したらしくて、我ながらすごいなと思った。


 祥子ちゃんは席の近いお友だちや、他のクラスから遊びに来たお友だちと話していて、授業の合間の小休憩には話していない。

 音羽くんも、彼から話しかけてくることはそもそも少なくて、今日もそうだった。


 でもなんだか、視線は感じる。心配そうに、頑張れって言われている気がした。

 嬉しいけれどプレッシャーにも思えて、そんなことを感じたら彼に悪いなって罪悪感。

 ああもう──わけが分からない。


「今日も屋上に行こっか」

「うん」

「音羽も誘う?」

「うん──ん? え、いいよ。音羽くんも、男の子のお友だちと食べるだろうし」


 残念だったな。と祥子ちゃんは、彼に敬礼を向けた。それに気づいた音羽くんは、なにをしているんだと困惑顔だ。

 なにが残念なのだか、私もよく分からないけれど、今日はそれどころじゃない。


「あっつー」


 日なたは殺人的な暑さだ。その辺におにぎりを置いていたら、焼きおにぎりになりそうなくらい。

 でも給水塔の陰は、朝からずっと影が落ちたままだ。そこへ風が抜けるので、すごく涼しい。


 離れたフェンスの向こうに、グラウンドで遊ぶ人たちが見える。あの人たちは、ご飯を食べないんだろうか。

 可愛いお弁当箱の中身よりも先に、祥子ちゃんはバナナを食べている。好きな物、おいしい物から先に食べるのは、いつものことだ。


「コトちゃん、なにか悩んでる?」

「──え? そんなことは」

「それならいんだけど。なんかいつもと違うかなって思って」


 鋭い。私が分かり易すぎるだけかもしれないけれど。

 咄嗟にごまかしてしまって、後悔した。そのまま言うのが相当に難しかったのも事実で、どうしていいやらまたパニック。


 実はって切り出すのは──でもそう言わなくてよくなる時間を空けたら、何日後になることか。

 やっぱり今すぐ聞くしかない。


「悩んではないけど、気になってることはあって」

「なになに?」

「ええと──」


 今度は見切り発進過ぎた。どういう順序で聞き出すのか、なにも考えていなかった。


「えっと──そう、お兄ちゃん」

「お兄ちゃんって、コトちゃんのだよね。どしたの?」

「昨日なんだけど……」


 もうお兄ちゃんのせいにすることにした。妹に黙ってこそこそしているのが悪いと、思ってもいない罪をでっちあげた。


「昨日──?」

「駅ビルに行ってたみたいなのね。レシートがポケットにあって。でも普段はそんなところに行かないし、そんな話もしなかったし」


 ポケットのレシートは、本当にあった。二人で飲んだらしい、カフェの飲み物の。

 こういう風に聞けば、なにもなければ一緒に居たよと言うと思った。

 即興の演出にしては、なかなかうまいことを言えたと思ったのに。祥子ちゃんの答えは違っていた。


「お兄ちゃんも、たまには駅ビルへ用事もあるよー」

「そう、だよね」


 祥子ちゃんは嘘が下手だ。今の答えはかなり自然だったけれど、言葉の抑揚はなくなりかけていた。


 もうこうなったら、きっぱりはっきりと聞くしかないのかな……。

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