第40話:うごくのは怖い、うごかないのも怖い

「どうしてって――まあ、織紙がそんなに心配するって言ったら」

「……そうだね。私、お友だち居ないものね。バカだね、私」

「いやそこまでは――」


 へへっと自嘲しようとしたのに、喉がつっかえて笑えなかった。そうしたらなにかを言おうとしていた音羽くんは、言葉を引っ込めてお茶を差し出してくれる。

 さっきは少し熱いくらいだったお茶。けれどももう飲みやすい温度になっていて、私は一気にそれを飲み干す。


「すごい当たり前のことしか言えない」


 私が湯呑みを置くのを待って、音羽くんは言った。正面から私の目を見て、彼がなにかの決心を固めたような顔で。


「うん──」

「聞こう、本人に。大人の男ってほうは難しいから、天海にさ」

「難しい?」

「いやだって、そっちはどこの誰だかすぐには分からないだろ?」


 ああ、そうか。私のお兄ちゃんだと察しがつかなかったら、そうなってしまうんだ。

 もういいか。二人のことは知られてしまったし、いまさらお兄ちゃんのことだけ隠しても仕方がない。


「その人って、私のお兄ちゃんなの……」

「おに──ええ? ああ、そうなのか……」


 こんな風に話そうというプランが、崩れたのかもしれない。音羽くんはまた、頭をひねっている感じだ。


「──うん、いや。それでも天海に聞いてみよう。俺が天海の立場だったら、そんな外堀を埋めるみたいに聞かれたら嫌だ」

「そうするのがいいの……?」


 ずっと考えすぎて、味見しすぎた料理のように、正解が見えなくなった。

 料理なら、本当に最悪の場合は最初から作り直すことも出来る。でもこのお話は、そういうわけにいかない。


「なにが正解とかはないよ。俺ならそうするってだけ。なにか分かって、それを野々宮に伝えるのかとかあるけど。それはまた次のことだ、って思う」

「そう、かな。そうするのがいい──のかな」


 もうそれ以外に、出来ることはないくらいに思えた。でも、そうすると言おうとすると、心のどこかに抵抗を感じる。


「俺が一緒にとか、代わりにとかは出来ないから。絶対にそうしろとは言えない」


 一緒には聞いてくれないんだ。それが当たり前だけれど、不安に思う。


 テーブルの木目を目でなぞりながら、私は悩んでいた。

 どうしよう、どうしよう。と思うばかりで、なにも考えていなかったようなものだけれど。


 そんな私に苛立つこともせず、音羽くんは見ていてくれる。

 それからまたたっぷりの時間を待ったあと、音羽くんははっきり、優しく言った。


「でもそんなに思いつめるくらい心配なら、まずは聞いたほうがいい。そうしないでなんとなく終わらせたら、きっと織紙は後悔する」


 ──そうなんだ。私は後悔するのを恐れているんだ。

 言われてようやく、それに気づいた。


 祥子ちゃんに、無遠慮に聞いてしまうこと。その結果を伝えて、純水ちゃんがまた悲しむこと。

 その結果を求めてしまった自分を、責めてしまうこと。

 下手に動けば、良くないことしかないんじゃないか。そうとばかり思っていた。


 でも違う。

 このままなにもしないで時間が経てば、解決してもしなくても、私は酷く後悔するだろう。

 このまま二人が、仲良しに戻れなければもちろん。いつの間にか元通りだったとして、私はどんな顔をしてそこに居ればいいの?


「そう、だね。そうしてみる。そうする」

「──うん。もし結果がまずいことになったらごめん。でもそれがいいと思う」

「分かった。ううん、音羽くんは悪くないよ。でも分かったよ」


 それから泣いた顔が少しでも治まるのを待とうと思って、お店の手洗いで顔を洗わせてもらった。

 そうしたらお婆ちゃんがタオルを持って出て来てくれて、「あら来てたのね」と笑って言う。


「あっ、ええと。勝手にお邪魔してます」

「いいのよ。いつも頑張ってくれてるし。優人がちゃんとおもてなし出来ているか、心配なくらい」

「だ、大丈夫です」

「そう。ゆっくりしていってね」


 お婆ちゃんはそれだけ言うと、お店の冷蔵庫から冷たいゼリーを出してくれる。

 それで「じゃあね」とすぐに引っ込んでしまって、なにをしにこちらへ来たのかなという感じだった。


「そうだ。案外さ、家に帰ったらお兄さんがなにか言うかもしれないな」

「うん──それなら話が早いね」


 そのあとは宿題が終わったかとか、それほどお話が弾むことはなかった。

 そんな気分にはなれなかったから、音羽くんも遠慮したのだとは思うけれど。


 薄暗くなってから家に帰ると、お兄ちゃんが冷蔵庫を開けて眺めていた。


「ただいま──どうしたの?」

「出かけてたからさ、お腹が減って」

「遅くなってごめんね。すぐにご飯作るよ」


 お兄ちゃんは、そうか悪いなと言って部屋に戻った。

 夕食が出来て一緒に食べたけれど、その席でもそれらしい話は出ない。


 何度か「あのね」と聞きそうになったけれど、私は音羽くんの言葉を思い出して、なんとか耐えきった。

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