第39話:溢れるなやみ、やみくもに泣く

 悩んだ挙句、どうすればいいのかなにも思いつかなかった。でも家に帰ればお兄ちゃんが居るかもしれなくて、それも今は出来ないと思った。

 そうなると私が行ける場所は、ここしかない。


「お店のお茶を飲んじゃってもいいの?」

「だいじょぶだいじょぶ」


 相談するかは別にして、音羽くんに頼ってしまった。避難所みたいにして、悪いなとは思うけれど。


「お父さんたちも、いらっしゃらないみたいだし……」

「買い物だよ。ついでにどこかで遊んでるとは思うけど。あ、婆ちゃんは居るよ」


 お休みの店内を、勝手に使わせてもらっている。椅子やテーブルはまだしも、お客さんに出すお茶や和菓子まで。


「居間とか、音羽くんの部屋とか──それも図々しいけど」

「あー、それはまずいな。散らかしてるから」

「お手伝いするよ?」

「いや……片付けてたら来年になる」


 そんな大げさな。でもこれだけ言って断るということは、入れたくない理由でもあるんだろう。男の子だし、自分の領域に女を入れてなるものか、なんてこともあるのかもしれない。


「そっか──ごめんね。気を遣ってるつもりなんだけど、私ずれてて」

「そんなことないって。本当に俺の部屋、汚いんだ。織紙になんて、とても見せられないよ」


 私じゃなかったら、いいんだろうか。そうじゃないか。言葉の綾というものだろう。


「うーんと、なにかあった?」

「え──どうして?」

「用事を言わずに来るのって、初めてだからさ。どうかしたかなって」


 私に気を遣わせないために、話を変えたのではあったと思う。でも用事を言わずに来たというのもその通りで、はっとしてしまった。


 よその家へ訪問するのに、事前の連絡をしないなんてあり得ないと思っていた。実際にいつもそうしていたのに、確かに今日はしていない。

 我ながら慌てたというか、動揺していたんだなって呆れてしまう。


「詩織さんが──」

「詩織⁉ あいつがなにかした⁉」


 突然に、音羽くんは声を大きくした。でも驚くのも無理はないのかと、すぐに思った。

 詩織さんとは海でたまたま出会っただけで、それから学校にも行っていない。だから出会う機会なんて、普通はない。


「ううん、偶然会っただけ。でもその時、私がちょっと困ってて。話を聞いてくれたの。そうしたら、音羽くんに相談したらいいって」

「ああ、そうなんだ。俺に相談か、勧められるような覚えはないけど……。でも困ってたって、どうしたの?」


 話すつもりはなかったのに、説明をするにはそう言わざるを得なかった。

 ──なんてことはない。行き場所がなかったなら、本屋さんとかで時間を潰すことは出来る。話したくなかったなら、詩織さんの名前なんて出さなければいい。


 狙ってそうしたのではないけれど、やはり心のどこかでは頼ろうと決めていたのだと思う。

 私は、ずるい。


「え──ええっ。ど、どうした? なにがあった?」


 本当にどうしたんだろう。

 悲しいのとは違う。ずるいと責めてしまって、自分でつらくなったのも違うと思う。

 どうしてだか、涙が溢れて止まらなくなった。


「分からない──どう、したのかな。わた、私──変、だね」

「変じゃない。変じゃないけど、教えてくれよ。困ってるなら、俺じゃ役に立たないかもしれないけど」


 音羽くんは優しく、力強く言ってくれた。それはすごく、ほっとする声。急に理由もなく泣かれたら、わけが分からないと思うのに。

 びっくりしているのも分かる。でもそれ以上に、励まそうとしてくれる気持ちが伝わってくる。


「わた──わ、わ。私……」


 しくしくと泣いてばかりじゃ、音羽くんを困らせてしまう。なにか言わなくちゃと思うと、ますますうまく喋れない。

 そのまま私は、小さな子どものように声を上げて泣いた。


 わあんと、誰かの前でそんなに泣いたなんて初めてのことだ。お兄ちゃんでもたぶん、見たことはない。

 父と母が亡くなった時にさえ、私は泣かなかった。


 それからしばらく、音羽くんは静かに待ってくれた。テーブルに置いた私の手を、ぎゅっと握ってもいてくれた。


「落ち着いた?」

「……うん。ごめんなさい」

「謝ることじゃないって」


 淹れてもらった温かいお茶を飲むと、喉が少し痛かった。でもなんだかすっきりしたような気持ちもあって、今なら話せそうだ。


「あのね、今日のことなんだけど──」


 詩織さんに話したのと同じに、AさんとBさん。それからお兄ちゃんのことも、大人の男性として話した。

 音羽くんは、うん、うん、と相槌を打つ以外は口を挟まない。

 もう名前を伏せることもせずに、全部言ってしまいたいのを必死で堪えた。


「そうか──」


 話し終えると、音羽くんはなにか考え込んでいるようだった。

 どう答えたものか、悩んでいるんだろうか。それとも、くだらないと呆れられただろうか。

 もしかすると私が一人で大事件だと思っているだけで、本当は大したことがないのかもしれない。


「あのさ。聞いたことは絶対に内緒にするから、確認させてよ」

「──なにを?」

「それ、天海と野々宮の話だよな」


 いきなり真相を言い当てられてしまった。それでも否定することは出来たのに、私は操られたように頷いてしまう。


「どうして分かったの──?」

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