第24話:お婆ちゃんと買い物とお出かけの誘い

 どうしてあんなことを聞いたんだろう。

 海から帰ったその日の夜。その次の日も、それから今日も。間があると、そのことばかり考えてしまう。


 あんなことっていうのはどれか一つの言葉じゃなくて、帰りのフェリーで話したほとんど全部。

 早瀬くんや詩織さんと音羽くんが仲が良くても悪くても――あ、悪くはないほうがいいけれど。私がとやかく言うことじゃないのに。

 詩織さんが二人から名前で呼ばれていることだって、どう呼んでも、どう呼ばれても、私がどうこうと考えても意味はないのに。


 私も名前で呼ばれたいのかな?

 そう思って、音羽くんが私を言乃とかコトちゃんとか呼ぶところを想像した――けど、うまく想像出来なかった。


「言乃ちゃん、これお願いね」

「はーい」


 夏休みの間はお婆ちゃんにいつもより楽をしてもらおうと、私は昼間のお手伝いを多くしている。

 その代わりに夜の人数が減ってしまうけれど、この期間は夜のお客さんも減るので、そのほうがいいらしい。

 プロ野球の試合がある日は忙しいので、私も夜になるけれど。


「言乃ちゃん、言乃ちゃん」

「はい、なんでしょう」


 代が替わって、女将から大女将になったお婆ちゃんが私を呼んだ。

 私が来ているからやることはほとんどないのだけれど、お婆ちゃんは「引っ込んでたらボケちゃうわ」と言って、お店には出ている。

 たいていは一番奥の目立たない席に座って、ずっとお茶を飲んでいるのだけれど。


「なにか考えごと?」

「え?」

「違ったらごめんなさいね。そうかなと思ってね」


 お母さんと同じ、今は私も着ている甚平を着て、少し腰は曲がっているけれど、顔はいつもまっすぐ前を向いている。

 初めて会った時には疲れているように見えたその顔も、最近は元気になってきた。


「ええと、ちょっと気になってることがあって。すみません、ちゃんとします」

「ああ、そうじゃないのよ。私が心配しただけ。大したことないならいいけど、困ってるなら言ってね」


 この店に居ると、お母さんはすごく優しくしてくれる。お父さんはあまり話すことがないけれど、まかないにいつもおまけを付けてくれる。

 そしてお婆ちゃんは、お母さん以上に優しい。

 近くに家族が居るって、こういう感じなのかな。家族ってこういうものなんだよね、きっと。


「ありがとうございます。もうちょっと考えてみて、分からなかったら教えてください」

「そう。分かったわ」


 お婆ちゃんは、マーガレットみたいな笑顔で答えてくれた。そんな風に笑われると、甘えていないで頑張らなくちゃって思えてくる。


「それに、お仕事もちゃんとしますね」


 精一杯に笑って言った。お婆ちゃんみたいに笑えただろうか。


 ――午後三時から一時間は、お店を閉める。

 お父さんが遅いお昼ごはんを食べるのもあるし、足りなくなった食材を近所で買ってきたりもする。


「言乃ちゃん、ごめんなさい。野菜が足りなくなりそうなの。頼んでも大丈夫?」

「はい。でもこんなにあると遅れると思いますけど、いいですか?」

「もちろんよ。荷物持ちも付けるし」


 買う物のリストを見ながらお母さんと話していると、音羽くんが奥から出て来た。

 夏休みの初日に、いつもの日曜日みたいに店に居たのだけれど「そういうのは宿題が終わってからにしろ」とお父さんに怒られていた。

 ん? 考えてみると「そういうの」ってなんだろう。


「宿題終わりそう?」

「……もうちょっとかな」


 いつも買い物に行く時は、自転車を貸してもらっている。でも今日は二人だし、重い物を載せるのも不安なので歩きだ。


「こと――」

「ん?」


 どうしたんだろう。さっきの答えもなんだか間があったけど、今度は言いかけて黙ってしまった。


「今年も暑いよな」

「そうだね。四十度以上になってるところもあるみたいね」

「うわ……きついなー」


 なんとなく流れで普通に話しているけれど、あんなこと――の問題があるから、どうしていればいいやら不安だった。

 音羽くんは変に思ってないかな。どうしてあんなことを聞いたのかって聞かれたらどうしよう。

 自分でも答えのないことを聞かれたら、困ってしまう。


「……あのさ」

「なあに?」


 顔を向けると、思い詰めたような? 深刻そうな顔の音羽くんの顔があった。

 どうしたんだろう。お腹でも痛いのかな。


「今度――来週」

「うん」

「休み……」


 急に片言になってしまった。来週のお休み、つまりお店が休みの水曜日がどうかするらしい。

 お腹が痛いのではないみたいだけど、様子がおかしくて心配になる。


「ええと、水曜日?」

「うん」


 短い返事をすると、音羽くんは深呼吸をするように何度か大きく息をした。


「映画。一緒に行かないか?」

「映画? 見たいのがあるの?」

「うん、そう」


 映画かあ。映画館に行くってことよね。

 実は私は映画館に入ったことがない。ショッピングモールなんかで目の前を通ったことは何度もあるけれど、入る機会はなかった。

 それに音羽くんが見たいのは、どんな映画だろう。それにも興味があった。


「行きたい。みんなで行くの?」

「うん。あ、いや――みんな?」

「祥子ちゃんと純水ちゃん。あ、違うね。早瀬くんと詩織さんだね」


 ああでもそれだと、私が余計になっちゃうのかな。でも誘ってくれてるってことは、了解を取ってるのかな。

 まあダメなら諦めるしかないけど。


「いや、いやっ。二人で行き――行こう」


 音羽くんはしどろもどろになって、やっとそう言った。はきはき話す音羽くんがそんななのは、初めてだった。

 でも分かる気はする。自分がこうしたいと思うことに、相手が乗ってくれるかって不安だよね。


「うん行きたい。大丈夫だよ、私も同じだから」

「同じ……?」

「うん、私も同じ気持ちになるよ」


 それから音羽くんは、なんだか嬉しそうな、驚いたような、大げさな反応をして喜んでくれた。


「そうか、そうなんだ。良かった!」

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