第25話:デニムと映画館と割引プラン
祥子ちゃんと純水ちゃんは、夏休みに入って短期のアルバイトをしていた。
映画に行くのを言うのは恥ずかしいと音羽くんが言うので、電話で話すことがあってもそれは言わなかった。
だから今日、こうして待ち合わせをしているのは、誰も知らない。
大きなショッピングモールの一階。総合インフォメーションのそば。目の前のお店のガラスに、私の姿が映っていた。
白のブラウスと、デニムのスカート。
海に行くときは笑われてしまったけど、今日は大丈夫かな。似合ってるとは言ってくれたけど、やっぱり浮かれて見えたのかもしれない。
だから今日は、普段着ているような服の組み合わせから外れないようにした。
ラフ過ぎたかな……。
十時の約束の五分前に、音羽くんはやって来た。涼しそうなシャツに、デニムのパンツ。彼らしい、動きやすような服装だ。
「ああ、ごめん。待たせたかな」
「ううん。二、三分前に来たから大丈夫」
本当は十分前だったのだけれど、大した違いじゃない。
「音羽くん?」
目の前に立った音羽くんは、私を上から下まで見て、なにも言わなくなった。呼んでも返事がないところからすると、よほど私が変に見えているのかな……。
私はそれでもごく普通だと思っているから、これでおかしいと言われたら、何を着て歩けばいいのか分からなくなってしまう。
「そんなに──おかしいかな」
「……え? いや、違うよ。みと──じゃなくて、似合うよ。ほんと。おかしくなんか全然ないって」
慌てた様子なのは怪しいけど、変だと思ってないのは本当らしい。良かった。ここで帰ったほうが、いいのかと思ってしまった。
「と、とりあえずチケットを買いに行こう」
エレベーターに乗って降りると、そこはもう映画館の中だった。
最近の映画館の描写は、小説なんかだとあまり詳しくされていない。みんなが知っているだろうことは省かれてしまっている。
でも私は初めて来たものだから、スマホの画面を大きくしたような案内板や、カラフルに彩られた広告や売店がとても新鮮に見えた。
「へえ、最近の映画館ってこうなってるのね」
「なに? 昔のなら知ってるの?」
「うん。映写機の音とか、手売りのチケットとか」
昔のことは今の読者が知らないので、本には細かく描写されている。ノスタルジックな雰囲気も出せるからだろう。
それを言ったのに、音羽くんは笑った。
「あはは。婆ちゃんじゃないんだから」
「ええ? 違うよ」
音羽くんの言ったのは、私がお年寄りだということじゃなく、おとはの大女将のお婆ちゃんのことだ。
最近よくお話しているので、確かに影響は受けているかもしれないけれど。
「音羽くんは、すぐ私のこと笑うよね」
「え、いや。バカにしてるんじゃないよ。ごめん」
分かっている。たぶん楽しい気分になっていて、もしくは楽しい気分を盛り上げようとして、笑っているんだろうなと思う。
だから本気で怒ったわけじゃない。でもちょっと悔しいので、怒ったふりをした──けど、すぐに笑ってしまった。
「あはっ。笑っちゃった。人をだますのは向いてないね」
「いやあ……結構だまされたけど」
そうなんだと内心でほくそ笑んで、チケットはどこで買うのか見回した。
──あった。
もうそのまま、英語でチケットと書いてある。
でもその下にあるのは駅の券売機みたいな機械で、私の小説の知識にあるような売り場ではなかった。
「実は映画館って初めて来たんだけど、買い方分かる?」
「あれ、織紙もか」
私もということは、音羽くんも初めてらしい。
あれ。でもそれなら、どうして見たい映画があるとか探したんだろう。
「俺は初めてじゃないんだけどさ、最後に来たのは何年も前で、チケットは爺ちゃんが買ってくれたんだよ」
ああ──。
お爺さんとしたことを思い出しているうちに、懐かしくなったのかな。それで映画を見てみたくなったのかな。
そのお供に、私を誘ってくれたのは嬉しいな──。
チケット売り場の隣はインフォメーションになっていたので、係の女性に聞いてみることにした。
「あの。チケットの買い方を知らないんですが」
「はい。いらっしゃいませ。こちらでご案内出来ますが、それでよろしいですか?」
「あ、じゃあそれで」
上映時間は先に調べていて次の回だし、席の位置も音羽くんが適当なところを決めてくれた。
学生ですかと聞かれたので、高校生だと答えて、無事にチケットも買えるなと思った時、事件は起こった。
あ、いや。事件というかなんというか──。
「本日は水曜日ですので、女性割引で五百円を引かせていただきますね」
「そうなんですね、ありがとうございます」
あらら、私だけなんだ。
じゃあ合計の二千五百円の半分を出すことにしようと、財布を取り出した。
「あ──失礼しました。ただいま夏休み期間中だけの、カップル割引を実施しております。六百円お安くなりますので、こちらでよろしいですか?」
「カッ………………プル?」
とても不自然な間が、音羽くんの言葉の中にあった。係の女性も「あの、なにか……?」と不安そうな顔をしている。
でも、その間の意味は分かった。
カップルなんて、それは好きあっている男性と女性のことで、それがお客さんとして来た場合のサービスということだろう。
私たちはその条件に全く当てはまっていなくて、どうしてそうなったのか理解に苦しむ事態だ。
「いやあ……まだカップルってわけじゃ……」
「ああ、いえ。同年代くらいの男女のお客さまであれば、実際は構いませんよ」
苦笑? とは違う、なんだか親しみを感じる表情で、その女性が笑った。それで音羽くんは、顔を赤くしてしまった。
「あ、ああ。そ、そそ、そうなんですね。じゃあ安いほうがいいよな。な?」
「う、うん。そうだね」
うんまあ不正じゃないなら、安いほうが助かる。むしろ気になるのは、音羽くんの慌てぶりだ。
最初はそれでも気を遣って堪らえようとしている風だった女性も、我慢できなくなったらしい。
ウフフっと声を漏らして、チケットを発行する機械を操作した。
「お待たせいたしました。内容にお間違いがないか、お確かめください」
そう言ってくれる女性から逃げるように、音羽くんは「ありがとうございました」とはちゃんと言ってその場を去ろうとした。
でも私がまだ財布をしまっているのに気付いて、数歩先で立ち止まる。
「いい彼氏さんですね。楽しんでいってくださいね」
「え、あ、はい」
違うと言おうと思ったけれど、音羽くんが早く行きたそうだったので諦めた。
トイレに行きたいという音羽くんについて歩きながら、カップルじゃないのに、音羽くんも心外よねと考える。
ついでに私もトイレに入って、鏡を見た。
同年代の男女であれば――カップル?
女性の言った条件で言うと、音羽くんと私は同学年で、音羽くんは男の子で私は女。
当てはまってる……。
周りから見ると、カップル……つまり彼氏と彼女に見えるってこと?
女性の最後の言葉を思い出して、とても恥ずかしくて鏡を見ることが出来なくなった。
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