第16話:朝と電車とワンピース

 夏休みが始まって、最初の水曜日。一番近い電車の駅に行った。

 学校からは私の家のほうが遠いのだけれど、最寄りという意味では同じの音羽くんと待ち合わせだ。


 ノースリーブの白いワンピースに、かごバッグ。麦わら帽子まで被っている私を見て、音羽くんは笑った。

 変な格好だという意味で笑ったんじゃないとは思うけれど、これでいいかなと自信のなかった私には、ちょっとショックだった。


「違うんだよ。すっごい夏だなと思ってさ」

「それはどういうこと?」


 それを言うなら音羽くんだってTシャツに膝丈のパンツで、夏真っ盛りだと思うのだけれど。

 どう違うのだか分からない。


「似合うって。褒めてるから大丈夫」

「本当に?」


 電車の時間が近付いて、スーツを着た人たちがせわしくホームに向かった。私たちは夏休みだけれど、大人はまだまだ先なんだと、そこで実感した。


「場違いかな――?」

「ちょっと恨めしく思われるかもな。でも、すぐだって」


 切符を買いながら話していると、音羽くんの言うように、恨めしそうに見ながら通り過ぎていく人がたくさん居る気がした。

 お仕事に向かう人の中に、遊びに行く私たちが混ざるなんて、なんだか申しわけない。

 堂々としている音羽くんの背中に、隠れるようにしてホームに行った。


 午前六時過ぎ。ホームに朝日が差し込んで、雨染みで真っ黒のはずの屋根さえも白く輝いて見える。

 そこにベージュの電車が、警笛を鳴らしながら流れ込んでくる。駅員さんのアナウンスと、自動放送とが重なって、急に賑やかになった。


 この駅の周りは住宅地なので、市街地に向かう人たちがたくさん乗り込む。たぶんもう少し時間を遅くすると、ラッシュになって押し合いになるだろう。

 そう計算してこの時間にしたのだけれど、既に乗っている人もたくさん居て、車内は混雑していた。


 自分の好きなポジションがあるなら、なんとか移動出来るくらいの人混み。

 私は出入り口の近くに立って、邪魔になるバッグを扉に押し付けるようにしていた。

 すぐ後ろには音羽くんが立っている。


 でも、振り返ったりお喋りしたりするのは、他の人の迷惑になりそうかな?


 そう思って、じっとしていた。

 誰もかれもが黙ったまま、いつ終わるのかしれないような、長い車内アナウンスを聞いていた。


 イントネーションとかアクセントが独特なのは、噛まないためのコツなのかな。


 ようやく車内アナウンスが終わったと思ってから、それほどの間もなく、次の駅に着いた。

 ここでも乗ってくる人は、まだそれほどの数じゃない。だから私は座席の端にある板に体を押し付けて、薄っぺらくなってしのいだ。


 扉が閉まって元の位置に戻ると、さっきよりも背中にかかる圧力が強かった。気にしないようにして、外を見る私の視界に、ぬっと誰かの腕が生えてくる。

 ちょっと驚いて振り返ると、それは音羽くんの腕だった。


 どうやら電車が揺れるたびに、押されてしまうくらいには混雑が増したらしい。音羽くんはそれに耐えるために、壁に手を突いていた。


「大丈夫?」

「大丈夫だよ。織紙は痛くない?」

「うん。平気」


 どこか押さえつけられていたりしないか、挟まっていたりしないか、そういうことをまとめての「痛くない?」だった。

 見ていると音羽くんの腕は、揺れに応じてかなりの力を使って、耐えているみたいだった。


 考えてみると、さっき発車した時に感じた圧力を今は感じない。きっと音羽くんが場所を移動して、自分の背中で受け止めてくれているんだろう。


「ほんとに大丈夫? 私、少しくらい平気だよ?」

「ああ――そうだな。あんまり隙間を空けるのも迷惑かな」


 まっすぐ伸びていた、音羽くんの肘が曲がった。今度は手じゃなく、肘を突いて耐えているらしい。

 私の体は、音羽くんが出している両腕の中に、すっぽり入ってしまった。私の背中と彼の胸が、ぎりぎり触れるかどうかくらいの距離。


 私の頭の上に、音羽くんの息がかかる。ちょうど私の頭のてっぺんに、音羽くんのあごがある。


 息がかかるってことは、私の臭いを感じるよね――大丈夫かな、汗臭くないかな……。


 音羽くんは頑張ってくれているのに、そんなことで悩んでいる自分が恥ずかしい。でも汗臭いって思われるのも、やっぱり恥ずかしい。


 身悶えしたいような心持ちを必死に耐えていると、電車は大きなカーブにかかった。緩いけれど重い力を感じて、電車に乗っている人みんなが同じように体を傾ける。


「あ――ごめん」


 音羽くんの声が聞こえた。ちらと見たけれど、もう素知らぬ顔。でもどうしてそう言ったのか、私にも分かった。


 さっき体が傾いた時。ノースリーブの私の肩に、音羽くんの腕が触れた。

 それから音羽くんの心臓が、ドキドキと音をさせているのもずっと聞こえる。

 別にわざとじゃないんだし、こんなに混んでるんだから、触れることくらいあって当然なのに。


 音羽くんは、遠慮深いんだな――。


 そんなに申しわけなさそうな顔をしなくてもいいのに。

 あ――私が怒ると思って、緊張しているのかな?

 そんなことで怒ったりしないのに。そうだとしたら、またショックだな……。


 ぷあん、と。

 バカにして、警笛にも笑われた気がした。

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