第7話:昼ごはん、食べられない
「へえ……そういうことだったんだ」
ちゃんと説明すると、純水ちゃんは分かってくれたらしい。
ふう。と息を吐いて、さっきまでのいかにも怒っている、という態度ではなくなった。
「そうなんだー。そう聞いたから、てっきりだよー」
友達の多い祥子ちゃんだから、演劇部にも仲のいい人が居るのかもしれない。
聞いたというのは、そういうことだろう。
「確かめずに問い詰めたのは悪かったわ。それは謝る」
良かった、分かってもらえて。
ほっと胸を撫でおろそうとしたそのタイミングで、純水ちゃんが「でもさ」と言った。
「あんたの父親が言ったこと。あたしは許さないから」
これには三人とも、ぴくっと反応しただけで何も言えなかった。
そうだねと同意しているみたいで、私は気にしていないよと言いたかったけれど、真剣な眼差しの純水ちゃんを見ていると、それも言えなかった。
「あれは――」
「あれは? なに、自分じゃない人間の言ったことだから気にするなって? それはそれとして仲良くしようって?」
純水ちゃんの追及は厳しかった。どうしてそこまで怒っているんだろうって、私が不思議になるほどに。
それが私のために言ってくれているのは、もちろん分かる。
でも私自身が、これまでに自分以外の誰かに対して、こんな強い感情を持った記憶がない。
「あたし見てたよ? うっかり言うのを忘れてたって言ったら、コトは分かってくれたって言ったとき。あんた、ほっとしてたね」
「……してたな、たぶん」
「あんたが来るまで、ずっとこの子は悩んでたよ。毎日ため息ついて、あたしたちが大丈夫かって聞いても『うん大丈夫』しか言わなくて。それでもあたしたちとは普通に笑って接してさ」
祥子ちゃんは心配そうでもあったけれど、そうだねって顔もしていた。この話をするとは聞いていなかったけど、今まで二人で話してきたことではあるんだろう。
「本当に大丈夫な人はね、大丈夫って言わないの。あんたに分かるかな。そんな気持ちが毎日、毎日――降り積もってさ。それが溢れて泣くような子の気持ち、あんたに分かるの!?」
毎日、と繰り返した純水ちゃんは、声を引きつらせた。純水ちゃんもそこで感情が高ぶって、一瞬の涙声になった。それでも彼女は、それをさらに一瞬で振り払って、透き通る水のように綺麗な彼女の声を張り上げた。
もう、やめよう? こんなことを言っていても、みんなつらいだけだよ?
純水ちゃんは強張った顔をしているし、祥子ちゃんも目をそらしたそうだし。
音羽くんは、じっと純水ちゃんの顔を見ているけれど、強い気持ちのこもった声に殴りつけられているような顔をしているよ。
「分かってないと――いや、分かってない。だから休んでる理由を伝え忘れたりしたんだと思う」
「あんたのケガがコトのせいかどうか──私は関係ないと思ってるけど」
純水ちゃんは、また怒鳴りそうになるのを、一所懸命に抑えているみたいだった。肩が震えて、手も震えて。言葉を切るたびに、唇を少し噛んでいる。
「もし関係あったとしても、コトは十分に責任を果たしてるよ。あんたはどう思う?」
「俺もそう思う」
「じゃあ、父親にあんなこと言わせて、放っとくんじゃないわよ! 人さまを泣かせておいて、気楽にやってんじゃないわよ!」
また、純水ちゃんの気持ちが溢れた。
肩で息をして、感情を収めようと、自分の口を手で覆っていた。音羽くんは、黙って俯いてしまった。
それを見て、私はどうすればいいのか分からない。自分のことなのに、図々しくも祥子ちゃんを頼るように見てしまった。
純水ちゃんは、明らかに感情が先行している。でもその言い分には「そんなのおかしいよ」と言えるところはない。
音羽くんはそれを申し訳なさそうに、ただ黙って受け止めようとしていた。
二人のそんな姿を目の当たりにして、どんな言葉で割って入れるのか。私の頭のノートには、そんな言葉は書き留められていなかった。
「野々宮の言うとおりだ。織紙、悪かった」
ちょっとの沈黙があって、おもむろに音羽くんは言った。二つに折れ曲がりそうなほど、深く腰を折って。
どうして?
もともとは私が悪くて、やっと心配ごとがなくなると思ったのに。
どうして今度は、音羽くんが悪いって謝ってるんだろう。
どうして深々と、つらそうな顔をした頭を下げられてるんだろう。
「ずっとそうされててもさ、あたしたちも困るから。分かったら、もうコトを困らせないでよ」
そう言われて、音羽くんはもう一度「悪かった」と言って、階段室に歩いて行った。
私は結局、その背中にもなにも言えなかった。
ある程度予想していたはずの祥子ちゃんでさえ、目をまん丸にして急な展開に驚いていた。
「あーちゃん、さすがに言いすぎじゃない──?」
音羽くんの姿が見えなくなって、祥子ちゃんが言った。
「ごめん、コト。あたし、言い出したら黙っていられなくて。言い過ぎだって分かってたのに、全部言っちゃえってなって。自分で止められたのに、ずるいよねあたし」
今度は純水ちゃんが、私に頭を下げた。
私になんて、誰も謝る必要はないのに。もっと和やかにしていられたらいいって思うのに。
「でも言ったことは全部本心なの。あいつの父親が言ってたこと、今でも許せないの。それを棚に上げて、全部解決したみたいな態度が許せなかったの」
「それはだって、音羽くんのお父さんも──」
確かに、いかにもあてつけるような言い方ではあったと思う。
でもそのお父さんの顔は、入院の日よりももっと疲れが増していた。我が子が大怪我してしまったら、誰でもそうなるんじゃないかって思うと、責める気持ちにはなれなかった。
「そもそもあいつが朦朧としてたのだって、ただの寝不足でしょ? そこにたまたまコトが居合わせて、なんで文句を言われなきゃいけないの!?」
「そうだけど、私が肩を叩かなかったら──」
「そういうのは結果論っていうの。放っといたって落ちたはずだし、もしコトが引き止めても一緒に落ちるだけでしょ」
音羽くんの手を両手でしっかり握れていたとして、もう倒れ込んでいた音羽くんを支えるのは無理だっただろう。
でもそれで私のせいじゃないとは、私には思えなかった。
だから音羽くんのお父さんが言ったことも、ひどいとは思わなかった。
「うん、ありがとう。私が言うべきことを、全部言ってくれて」
私は自分の価値観が、みんなとはずれているのを知っている。
純水ちゃんがここまで怒るんだから、きっと私も怒るべきなんだろう。
「でもこれで、吐き出すものはなくなったよね。だから終わりにしよう? 私は二人にありがとうって思ってるし、音羽くんを責めたいとも思わないよ」
「――分かった。私も勝手なことを言ったと思う。終わりにする」
純水ちゃんは、もう謝らなかった。
私の気持ちを察してくれたのか、謝る必要はないと思ったのか、それは分からない。
でも私は、それで良かった。
「お腹空いちゃうから、ご飯食べてて」
「え、うん。どこか行くの?」
広げかけていた包みを閉じる私に、祥子ちゃんが聞いた。
気持ちのいいはずの風になびいて、コンビニの袋が寂しそうな音を立てていた。私はそれを拾って言う。
「食べないともったいないから、届けてくるね」
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