第8話:五時間目、初めての経験
私たちの教室を覗いて、食堂に行って、中庭や体育館の周りなんかも見て。それでも音羽くんが見つからなかった。
夢中で探しているうちに、チャイムが鳴ったことにも気が付かなかった。
ううん。気が付いてはいたけれど、授業が始まるから行かなくちゃと、普段なら普通に考えるだろうことが頭に浮かばなかった。
「どこに居るのかなあ……」
全然見つからないことに、焦りというか心細さというか、そんなものが高まってきて、そう呟いてしまった。
授業をしている一般棟には居ないだろうから、一旦は確認した特別棟をもう一度回っていた。
「あ――」
居た。
特別棟の三階の窓から、寝転んでいる音羽くんの姿が見えた。
私たちの学校の敷地内には学生寮もあって、そこに向かう道は土の見える散歩道のようになっている。
そのわきには木立が並んでいて、ちょっとした森のようでもあった。
「何してるの?」
「わっ!」
音羽くんは木陰に居たので、木立の中をこっそり近づいてから声をかけた。
思ったとおり、驚いてくれたらしい。
「──なんだ、織紙か。先生かと思ったよ」
「うふふ、ごめんね」
半分起こしかけていた上半身を、彼はまた雑草の上に投げ出した。
心配したよりは落ち込んだりしていない、のかな?
人ふたり分の距離を空けて、私も雑草の上に座った。思ったよりふわっとしていて、気持ちがいい。
間にコンビニの袋を置くと、音羽くんはすぐにそれを取った。
「あ、俺の? わざわざ持ってきてくれたんだ。良かったのに」
「お腹、空いてないの?」
「いや、腹減ったなーとは思ってたんだ。ありがとう」
がさがさと音を立てて、音羽くんはおにぎりを取り出した。
でもそれを食べるのかと思ったら、またがさがさとやって、サンドイッチも取り出した。
主食同士を、一度に食べるのかな?
「ほい」
「えっ?」
ぽんと投げられたサンドイッチを、慌てて受け止める。なんとか落とさなかった。
私にくれたのは分かるけれど、私にもお弁当はあるのに、どうしてだろう。
「あれ、もう食べたの? まあ、いらなかったら無理しなくていいけど、食べたかったら食べてよ」
「まだ食べてないけど、お弁当あるから。ありがとう」
サンドイッチを返そうとすると、音羽くんは訝しむような顔になった。
「持ってきたの? 弁当」
「うん、ちゃんと──あれ?」
おかしい。持っていたはずの、お弁当がない。
無意識にその辺りに置いてしまったのかと思って、周りを見たけれどやっぱりない。
「音羽くんのご飯を持ってこようと思って、お弁当を開きかけてたから、包みなおしたの」
「うん、包みなおした」
「立ち上がるのに一度お弁当を置いて、コンビニ袋を持って」
「うん、持った」
ああ、そうか──。
「二人に行ってくるねって言って、ここに来た……」
「置き去りだな」
やっちゃった。いつものボケをかましてしまった。
でもいつもは、一人でやって一人で気付くだけなのに、今は音羽くんに知られてしまった。
顔が熱くて、きっとこれは真っ赤になっていると思う。それもまた恥ずかしくて、膝に顔を隠すしか、出来ることがなくなった。
「織紙でも、そういう失敗するんだな」
湿り気なんて全然なく、彼はあははっと短く笑った。
それがあと〇.五秒も長かったら、私は恥ずかしさに耐えきれなくて、逃げてしまったかもしれない。
「それ、食べなよ」
「──うん。あとで返すね」
お財布も持ってきていなかったので、お金を返すのも今は無理だった。
だからあとでと言ったのに、音羽くんはまた笑う。
「あはは。そういうの、きっちりしてるよな。でもそれはいいよ。持ってきてくれた運賃ってことで」
持っていたおにぎりを私に示してから、音羽くんはそれを豪快にかぶりついた。
おにぎりはその一口で、体積の半分近くがなくなった。
「ほんと、気にしなくていいから。食べてよ」
そう言った次には、おにぎりは姿を消してしまった。
男の子なんだなあって、なんだか感心してしまって、じゃあもらっておこうと思った。
あとから考えると意味が通らないけれど、この時の私はそれで納得した。
言っていたとおり、音羽くんはお腹が空いていたみたいで、二個目のおにぎりやパンを次々に食べていった。
その間に私は、三組が一セットになっているサンドイッチの一組をやっと食べて、言おうと思っていたことをようやく言った。
「純水ちゃんも祥子ちゃんも、音羽くんのことが嫌いで言ってるんじゃないから──」
「あー野々宮、怖かったな」
顔を見ると、本気で怖がっているのでもなさそうだった。
神妙に反省しているというのと、苦笑いと、なにか困ったような表情が入り混じっているように見えた。
「私のことだって、ほんとにだいじょ──気に病んではないし。音羽くんが悪いところなんてないよ」
純水ちゃんも祥子ちゃんも、もちろん音羽くんも。誰も悪くないし、気にしないといけないこともない。出来ればみんな仲良くしてほしい。
欲張り過ぎだとは思ったけれど、そう伝えたくて、うまく言えなかった。
どう言えばいいのか考えても言葉が出て来なくて、音羽くんもその間、黙っていた。
「あの――」
「織紙って、授業とかさぼるんだ」
唐突に言われて、一瞬なんのことかなと考えた。
「あ……ほんとだね」
「ほんとだねって、気付いてなかったんだ?」
「うん、音羽くんのご飯を届けなくちゃって思ってたから」
真面目に答えているのに、音羽くんは笑った。授業をさぼっていると今言ったばかりなのに、大きな声で笑った。
見つかったらすごく怒られちゃうのかなと心配になったけれど、私もつられて笑ってしまった。
「分かってる。親父のことは――まあ、あれだけど。野々宮と天海は、織紙を大事に思ってるよな」
「そう――だね。そういうことだね」
意識していなかったことを音羽くんが言葉にしてくれて、そういうことなんだと実感した。
今までそんな経験はなかったのに、初めてだなと噛みしめる。
それは気が付かなかったとかでもなくて、そもそもそんな込み入った話を誰かとしたこと自体が初めてだ。
「あの二人が羨ましいよ」
しみじみ言った音羽くんの言葉の意味が分からなくて、私は「え?」と聞き返した。
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