第6話:入院中、間が悪い

 音羽くんが入院したのは、郊外にある中堅の総合病院だった。私の家からだと、電車で行けば、それほど面倒な距離ではなかった。


「私たちがね、あの子に無理させすぎちゃってて、寝不足だったみたいなの。だからって、階段の縁でうたたねしなくてもいいのにね……」

「え、寝てたんですか。あそこで?」


 入院の二日後、音羽くんのお母さんからそう聞いた。その前の日は、またお父さんに会って、厳しいことを言われたけれど、日持ちのする果物だけを置いて帰っていた。


「そうなのよ。本当にあなたには迷惑をかけて、主人も酷いことを言ったし、申しわけないわ」

「いえ、そうだとしても、私が肩を叩いてしまったから……」

「それがね、その時に目を覚ましてなかったら、死んでいたかもしれないんですって。意識が戻っていたから、とっさに体をかばうことが出来たはずだって」


 無防備なまま、頭を抱えたり、背中を丸めたりすることもなく落ちていたら――。

 講堂の床は布が貼ってあって柔らかそうに見えるけれど、その薄い布の下はコンクリートだ。確かにただではすまないかもしれない。


「そうなんですね――ありがとうございます。でも、お見舞いには来させてください」

「そう? 無理しなくていいからね?」

「そういうことだから……気にしないでくれよ」


 恥ずかしそうに、言いにくいことをお母さんに言わせた音羽くんは、ベッドの上でそう言った。

 でも、そんな風に言ってもらえても、私は自分を責めずにはいられなかった。


 立ったまま寝ているという事態が信じられなかったのもあるけれど、私が肩を叩いて、少なからず前に力はかかっただろう。その結果、目の前から遥か下まで転がり落ちていく音羽くんを、私は目の当たりにした。


 許されていいはずがないと、私は思っていた。


 結局、音羽くんは二週間ほど入院することになった。脚を骨折しているといっても、もっと早く退院することも出来たらしい。

 でも退院すると、ご両親はお仕事で居ない家に、一人で居ることになってしまう。それを避けるためだった。


 良ければ私がお世話を、と言いかけて、それはまたご迷惑かと思って言わなかった。


 それから退院の前日まで、私は毎日お見舞いに行った。

 お母さんは、私を言乃ちゃんと呼んでくれるようになって、音羽くんは冗談を交えつつも「気にしなくていい」と、いつも言ってくれた。

 だから私も、ほんの少し、薄皮一枚程度には、気を楽にしていけたような気がする。




 明日は退院だからと、音羽くんのお母さんは、要らなくなった物を片付けていた。私も衣類をたたみ直したり、花瓶を洗ったりというくらいのお手伝いをしていた。


 そこに祥子ちゃんと純水ちゃんが来てくれた。


「音羽げんきー?」

「コトが毎日来てるっていうから、あたしたちなんかが来ても迷惑かもだけど。賑やかしにね」


 お母さんは「そんなことないわ、ありがとね」と歓迎してくれて、音羽くんも私の話でしか知らない二人に戸惑いながら「悪いなあ」と照れ笑いをしていた。

 来るなんて聞いていなかったから、私も驚きつつ嬉しかった。


 二人のお見舞いの品は、スティック状のジャガイモのお菓子が何種類か。それにペットボトルのジュースだった。

 音羽くんはそのお菓子を好きだと、私が言っていたのを覚えていたらしい。


 退院前日に大袈裟な物をもらっても、音羽くんも困るだろうから、ちょうどいいんじゃないかと私は思った。

 お母さんも「おやつの少しくらい買ってこようかと思ってたから、ちょうどいいわ」と喜んでくれたと思う。


 それからしばらく、五人で談笑していた。ことの経緯を聞いて「え、馬鹿じゃないの――」と純水ちゃんがあけすけに言って、音羽くんもお母さんも


「だよな」

「本当よね」


と、豪快に笑っていた。


 そうしていると、いつの間にか音羽くんのお父さんがやって来ていた。

 持ち帰る荷物を受け取るのに、車で来てくれるようにお母さんが頼んでいたらしい。


「人さまを突き落として、病室に連れまで呼んで馬鹿騒ぎか。いい気なもんだ」


 その言葉に、みんな言葉を失ってしまった。


「お父さん、違うのよ――」

「荷物はどこだ。さっさと帰るぞ」


 お母さんの話に取り合わず、お父さんはまとめた荷物を部屋の入り口に運んでいった。


「うちらはそんな――」

「いや、祥子。帰ろう」


 私をかばおうとする祥子ちゃんを、お父さんはじろりと睨んだ。それを見て、純水ちゃんは「お邪魔してすみませんでした」と頭を下げる。


 なにか言いたそうな祥子ちゃんを引っ張って、純水ちゃんは足早に帰っていった。

 それを唖然と見ているお母さんの顔を見て、お父さんも気まずくなったのか


「ほら、帰るぞ母さん」


と、さっさと帰っていった。

 そういう時のお父さんをそのままにすると、あとでまた面倒だと聞いたことがあった。

 だからお母さんも「言乃ちゃん、ごめんね。気にしなくていいからね」と言い残して、あとを追った。


 私にとってはほとんど一瞬の出来事で、そのやりとりの間、ずっと頭の中が真っ白だった。


「ああ……親父が悪いな。本当に気にしないでくれよ」

「うん。でも今日は帰るね。面会時間も終わるし。学校に来るの、待ってるから」


 面会時間が終わるまで、実際は一時間以上あった。でもそのままそこに居続けられるほど、私の心は強くない。


 家に帰ると、いつものようにお兄ちゃんは、自分の部屋で作業をしているみたいだった。

 うん、相談するようなことはなにもない。


「誰だって、機嫌の悪い時はあるよね。間が悪かったね」


 何日後かには、音羽くんと学校で会えるようになるだろう。それはいいことだからと、私は気持ちを持ち直した。

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