『血戦! 鉄底海峡!!』下
第64任務群前衛隊の壊滅。
その決定的な事実を知らず、リー少将率いる本隊は鉄底海峡へ進入した。
旗艦『ワシントン』のCICに冷静な声が響く。
「前衛隊からの報告は?」
「先程、砲撃開始の入電以後はありません」
「レーダーは?」
「上空に複数の反応あり。おそらく、敵の水偵だと思われます。このままでは遠からず発見されます」
「うむ……」
状況は混沌としていた。
レーダーは、動きを停止している物体を捉え、見張り員も炎上する艦艇を目視していたが、敵味方は不明。
高速で機動している艦艇群の存在も把握済みだが……炎上している艦艇が敵であった場合、それは前衛ということになる。
かと言って、無電で問いかけれれば秘匿している自軍の位置を敵艦隊に晒すことになる。先制されてしまう。戦場において先制されることは、決定的な不利を招く。迂闊に、呼びかけることは躊躇われた。
「とにかく、このまま進み敵飛行場を叩く。仮に、敵艦隊が存在するのなら、必ず立ちはだかって来る筈だ」
「アイサー」
リーが直卒する本隊の戦力は言うまでもなく強力だった。
新鋭戦艦『ワシントン』『ノースカロライナ』『サウスダコタ』の主砲戦火力は圧倒的であり、この三艦に対抗可能なのは、日本海軍の新鋭戦艦か『ナガト』級しか存在しない。
これら三戦艦に付き従う重巡と、護衛する大型軽巡と駆逐艦群。半端な艦隊であれば、殲滅することも出来るだろう。
無論――半端な艦隊である筈もなかったのだが。
※※※
『米水上艦隊、ガ島沖に来襲の可能性大』
この一報を受けた時、トラック諸島、春島に置かれたGF司令部内には戦慄が走った。
まだ、来るのか。米海軍の戦力は底なしなのか。我々が相手にしているのはそれ程の――。
「当然、全力で追撃すべき、と考えます。おそらく、ここを凌げば数ヶ月は時間を稼げますので。また、戦力集中すれば勝てます。ついでに言えば――敵新鋭戦艦、沈める絶好の機かと」
野菜でも買うかのように、そう淡々と述べたのは第三艦隊司令だったとされる。
この時期、空母の半数は内地へ帰還し航空隊の再編中であったが、彼は第三艦隊をトラックに留め、敵に圧力を加え続けていた。
――彼の一言は、大きな影響を米海軍に与えるものだった。何故ならば。
※※※
「『妙高』より入電。敵艦隊発見。戦艦三。中小型艦多数。敵戦艦は新鋭艦と認め。ワレ、砲撃を受く」
「前衛隊に退避を命じろ。彼等は仕事を果たした。後は、我々の仕事だ。砲術参謀」
「はっ! 既に逆探及び目視でも確認しております。何時でもいけます!」
日本海軍、第二艦隊旗艦、戦艦『大和』の夜戦艦橋に、自信に満ちた声が轟く。
既に、各艦は戦闘準備を整え、指揮官の号令を待っている。
――この日、ガ島沖に展開していた日本海軍の戦力は米海軍の予想を完全に上回っていた。
第二艦隊
戦艦:『大和』『金剛』『榛名』
重巡:『妙高』『羽黒』『愛宕』『高雄』『鳥海』『摩耶』
重雷装軽巡:『北上』『大井』
第二水雷戦隊;『神通』駆逐艦十五
これを、前衛(重巡二 駆逐艦四)、主隊(戦艦三 重巡六 駆逐艦三)、掃討隊(重雷二 軽巡一 駆逐艦八)の三隊に分け、米艦隊を待ち受けていたのだ。
当然、各艦とツラギからは多数の水偵が発進し、偵察に余念もない。
各隊中、第二艦隊が敵艦隊撃滅の『切り札』としていたのは『大和』―—ではなく、掃討隊の飽和雷撃だった。
一連の夜戦を経験し、逆探(電探をわざと使用しない静穏航行)と夜間見張り員による敵艦隊捕捉、に絶対の自信を固めつつあった日本海軍にとって、今や戦前に構想された昼間艦隊決戦は魅力的なものではなかった。
それよりも、優位に立っている夜戦で敵艦隊を痛めつけ、昼になったら、機動部隊の航空攻撃で更に追い打ちをかけた方がいい。『大和』や戦艦群はそれを成す為の『囮兼盾』に――。
水偵から無数の照明弾が投下された。
敵艦隊の姿が闇の中から引きずり出される。航空攻撃と誤認したのか、一部艦からは無数の対空砲火。丸見えだ。
獣の笑みを浮かべ、第二艦隊司令官が命令を発した。
「打ち方始め。第四戦隊、第九戦隊、二水戦突撃せよ」
「打ち方始め!」
艦長の野太い声。
瞬間―—凄まじい轟音。正しく咆哮。鋼鉄の覇王の咆哮だった。
――この晩、戦艦『大和』はその長い長い生涯において、初めて敵戦艦へ主砲を放った。
黙々と訓練に訓練を重ね、『大和ホテル』という陰口が叩かれている現実に耐え続けた鬱憤を晴らすかのように。
咆哮が戦場に轟く度、敵艦隊に混乱が惹起される。
そして――。
※※※
「艦長、浸水は何とか止まりました。ヌーメアまではどうにか」
「そうか。よくやってくれた……本艦は何としても、生き延びさせねば」
ガ島沖から離脱した戦艦『サウスダコタ』。周囲には数隻の巡洋艦と駆逐艦。無傷の艦は一隻もいない。
――昨晩の海戦は悪夢だった。
何が何だか分からぬうちに、敵艦隊との砲撃戦が始まり、気付いた時には『ワシントン』『ノースカロライナ』が敵戦艦の砲撃で叩き潰された挙句、多数の魚雷により横転沈没。
『サウスダコタ』も被雷したものの、辛うじて避退に成功。敵に与えた損害は不明。が、少なくとも大型艦撃沈はまたしても果たせなかったと思われる。要は、米海軍はまたしても敗北したのだ。あの魔の海峡『鉄底海峡』で。
だが、生きて還ればリベンジのチャンスも――蒼褪めた表情で通信長が艦橋へ駈け込んで来た。
「艦長! たった今、対空レーダーが多数の敵影を捉えました! 低空で進撃してきたらしく、探知が遅れた模様っ!!!」
「……まさか、そんな」
双眼鏡で水平線を見る。無数の黒粒の群れ。間違いない。敵艦載機。数は百機を超えているだろう。
命令を下さなければいけないのは分かっている。分かっているが、声が出ない。
「艦長! どうしますかっ!?」
通信長の叫び声を聞きながら、艦長は『サウスダコタ』がヌーメアへ帰投出来る可能性が永久に喪われたことを理解していた。
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