第2章 そうして彼女は作り始めた
「ただいま」
「おかえり」
キリエと話をしているうちに気が付けば随分と時間が経ってしまっていた。帰ってくると既にネメシアの姿はなく、居るのはクリエだけだった。
看板娘の帰宅を告げると、主は柔らかな声音で迎えてくれた。その声に自分の居場所がここにあることにホッとする。
「ネメシアとの契約はどうなった?」
「うん? いつも通りだよ」
ネメシアはノーラの調律を頼み、それからここにあった人形を幾つか仕入れていった。
欲しい物には何がなんでも手に入れる性格なのか、はたまた気に入ったものには金に糸目を付けない性格なのか、とにかく当面の生活資金には十分な額をおいて行ったらしい。
どうしても固定客の付きにくいピノッキオドリームにおいて、ネメシアのように仲買は経営していく上では欠かせない存在だ。それが定期的に仕入れてくれるのであれば、なおさらである。
人形であるメユも、そのことは十分に分かっているつもりだった。
ただ、クリエのように人形に愛情をもって接してくれる人形師はともかく、人形をただの商品としか見ないあの仲買のことをどうしても好きになることができなかった。
「ねぇ、クリエ」
「どうしたの、メユ?」
黙々と針金を曲げたり粘土を捏ねたりして下地を作っていたクリエに声を掛けると、彼は作業の手を止めて顔を上げた。
「どうして、怒らないの?」
「怒らない?」
訊ねると、クリエは不思議そうな表情を浮かべながらメユの問いを繰り返した。
メユが訊いているのは、ネメシアが来た時に席を外したことだ。
看板娘を自称しているくせに、ピノッキオドリームの大切な常連客を持て成すどころか、無碍に扱った。それこそ、気分を害して帰られてしまっても文句は言えない扱いだった。
「あぁ、なんだそんなことか」
「そんなこと、じゃないでしょ」
ネメシアが来なくなればピノッキオドリームは簡単に経営が傾いてしまうのは間違いない。 すぐに店を畳むことはないだろうけれど、店を維持していくのが難しくなることのは目に見えている。
それにも関わらず、クリエはそのことについて言及することはなかった。
だからこそ、苛立ってしまう。
「もしかして、怒られたい、の?」
「そういう訳じゃないけど」
自身が苛立ちは紛うことなきクリエへの八つ当たりだとメユ自身も分かっているのに、相変わらずクリエは申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「晩御飯、作っちゃうね」
「よろしく」
そんなクリエの底抜けの優しさがメユは大好きだったが、同時にどうしようもなく苦手だった。
メユはそれだけ言い残すと、クリエから逃げるように台所へと走って行った。
………
ピノッキオドリームの看板娘、メユの朝は早い。
朝起きたら工房と店舗を兼ねた家屋の窓を開けて空気を入れ替え、店舗の掃除をしたあとは商品である人形たちの手入れをする。掃除が終われば次は洗濯で、前もって洗濯機に放り込んでいた洗濯物を取り出して順番に干していく。
そうして一通り綺麗にしたら、パンを切り分け、ソーセージと目玉焼きを準備し、朝食の準備をした上でクリエを起こしに行くのだ。
この話をすると「大の大人が子供に家事を任せるなんて」と憤ったりするのだが、生活力に疑問符が付くクリエに手伝ってもらうよりも一人でやった方が効率よく仕事ができると考えていたし、なによりメユ自身は家事仕事をするのは嫌いではなかった。
「クリエ、朝だよ」
「うん…… んぅ……」
「寝ぼけてないでさっさと起きる」
「うわっ……」
シャッとカーテンを開けるとクリエは差し込んだ太陽の光に眩しそうに目を細めて布団の中に逃げ込もうとする。しかし、当然ながらメユがそんな蛮行を許すはずもなく、無慈悲に布団を剥ぎ取るとクリエは観念したかのように起きた。
「おはよう」
「おはよう、メユ」
「ご飯できているから早く食べよう」
「……うん」
まだどこかボンヤリとして反応も鈍く、どこか焦点が定まっていないが、着替えて来る頃にはいつも通りのクリエになっているだろう。そう判断してクリエの部屋を後にする。
クリエが起きてくるまで、ゆっくりとコーヒーを淹れながら待つのだ。
「お待たせ」
「うん、早く食べよう」
二階の書斎から降りてきたクリエと一緒に朝食を摂る。
朝の話題は他愛のない雑談が多いけれど日によってまちまちで、今日はソーセージがいつもよりも焼き具合が絶妙で美味しいという話だった。
そうして家族として一緒の時間を過ごした後は、二人で工房へと移動して開店の準備をするのだ。
「ねぇ、クリエ。病院に長いこといる子に丁度いい人形ってなにがある?」
「急にどうしたの?」
メユが入口の鍵を開けて看板を外に出しながら訊ねると、クリエはショーウィンドウに人形を置きながら質問を返した。
ガラス越しに据えられた人形はまるで生きているかのように緻密に作られていて、少女の繊細さを永久に閉じ込めた姿は一級の芸術品として相応しい。しかし、その繊細な芸術品を病室に置くべきかと言われると些か問題があるように思えた。
「友達に贈ってあげたくて」
「なるほど」
病床のキリエが寂しくないように、そして彼女を勇気づけるために人形をあげたいのだというと、クリエは納得したように頷いた。
「キリエに相応しい人形か……」
「うん」
「残念だけど、ここの在庫にはキリエにあげるのに丁度良い人形はないかなぁ……?」
「……やっぱり?」
クリエの作品は繊細な一級の芸術品としては相応しいが、病室に似合うかと問われれば疑問符が残る。むしろ、繊細な人形であるからこそ、病室の雰囲気とは合わないような気がした。
メユ自身も、夜中の工房にはあまり近づきたくないし、深夜に水を飲もうと思って起きた時には鏡に映った自分の姿に悲鳴を上げそうになったのは一度や二度ではない。
「遊戯用の人形とかはないの?」
「あぁ、着せ替え人形用の人形なんかは確かに良いかもね。ちょっと見てみる?」
「うん」
ビスクドールならともかく着せ替え人形用の小さな人形ならば、病院にあっても不自然ではないし、夜に見ても怖くないだろう。
クリエに木箱に納められたドールを取り出して見せてもらうと、まさに想像通りのものが出てきた。衣装も普段使いのものから、晴れ着まで一通り揃っていて遊ぶためには十分だろう。
満足気に頷いたメユであったが、その表情はすぐに曇ってしまう。
「流石に高いね……」
「基本的に生産数が少ないからね」
正直なところ、子供のお小遣いではとても買えるような値段ではなく、大人でさえ買うことに躊躇いを覚えるような値段であった。
それもそのはずである。一般的に流通する衣服は工場で大量生産されるのに対し、着せ替え人形用の衣装というのは流通量が圧倒的に少ない。更に衣装は目的の人形に合わせて作らなくてはならないため、自ずと専用の型紙から書き起こすことになり、ボタンなどの小道具も一つ一つ手作りしていく必要があるのだ。
人形店の看板娘として働いているので、クリエの苦労は十分に理解してはいるつもりではある。しかしながら、こうして実際に製品を目の前にして値段を見ると、思わずしり込みしてしまうのは当然の反応といえば当然の反応だった。
「なにかいい方法ない?」
どうしてもキリエのことを励ましてあげたい。自分でも無理難題を吹っかけていることは分かったか、クリエに頼み込んでみる。
するとクリエは暫く考え込んだ後、何かを思いついたようにぱっと笑顔を作って答えた。
「それなら自分で作ってみたらどうかな?」
「作るの? 私が?」
思わず訊き返すと、当然とばかりにクリエは頷いた。
師匠のもとで随分と修行していたクリエですら未だに一月近く掛けて製品を仕上げるのを知っている手前、メユの内には自分なんかに作れるのだろうかという思いが広がる。
「大丈夫だよ、人形作り自体はとても簡単だから」
「本当?」
「本当だとも。芯材で土台となる人型を作ってやり、そこに粘土を盛って細かい造形を作ってやる。細かいコツや技術はあるけれど人形作りなんてものは突き詰めればそこに辿り着く。手を動かしていれば必ずできるよ」
こともなげにクリエは言う。
まぁ、確かにクリエの言い分は間違ってはいない。
問題は、その完成が「いつになるか」「満足のいく出来になるか」なのだけれど。
「できるかなぁ……」
不安を拭いきれず本音が口から洩れると、クリエは「その不安は分かる」と苦笑いを浮かべた。どうやら、クリエ自信も多少無理難題を言っていることは自覚があったようだ。
「難しく考えなくても大丈夫。誰だって初めは初心者さ。
それに…… こういうのは貰った人が勇気付けられるかどうかが大事なんだよ。メユが作ったらきっと喜んでくれるよ」
「……うん、そうだね」
作るときに困ったら教えてあげるという言葉に励まされ、メユは自分の手で人形を作ることにした。
………
クリエに休暇をもらってニトに会いに行く。待ち合わせ場所である公園の噴水前に行くと、時間前だというのにもう既に彼は待ち合わせ場所で待っていてくれた。
メユがニトに向けて手を振ると、周囲の目線を気にしつつも少しだけ恥ずかしそうに手を振り返してくれた。
「待たせちゃった?」
「ううん。ちょっと前に来たところ」
「そっか、それは良かった」
待たせてしまっては申し訳ないと思い小走りで駆け寄ると、ニトは緩やかに首を振って穏やかな笑みを浮かべた。
「それで…… 早速だけど、どうだった? 姉ちゃんに贈れそうな人形とかあった?」
「あー…… それなんだけど……」
とりあえず、一通り人形を探した結果を説明することにする。
ピノッキオドリームで取り扱っている人形は主に芸術品目的で作られているので、ノーラに贈り物として贈るには少し適切ではないということ。着せ替え人形はあったものの主に観賞用のものであって子供の小遣いではとてもではないけれど買えるような代物ではなかったこと。
「ごめんね、ニト。キリエにあげるのに丁度良い人形が見つからなくて」
「ううん。メユが言うのなら仕方ない」
こういう時こそ看板娘としての面目躍如の場面だとは思うのだが、残念ながら力及ばず見つけることはできなかった。
分かっていたとはいえ、やはりニトの表情に落胆の色は隠せないようだった。
「でも、安心して。代わりに私がキリエのための人形を作るから」
「メユが?」
「うん。上手くできるか分からないけどね。人形作りならクリエが教えてくれるから」
だから、きっと大丈夫。
そう告げると、少し落ち込み気味だったニトはパッと顔を明るくした。その表情は、ニトがキリエのことをどれほど大切にしているかを知るには十分だった。なんだかニトが嬉しそうだと、こちらまで一生懸命なにかしてやりたい気持ちになってくる。
深々と頭を下げるニトに、メユは「私に任せてと」胸を叩いた。
「あのさ。僕にも何か手伝わせてよ」
「うん。それなら…… これから材料の買い出しをするから、一緒に来てくれる?」
「分かった」
ニトはこちらの急な提案にも快く頷いてくれた。
人形を作る上で必要なのは技術ではなく思いであるとは言っても、材料がなくては話にならない。
クリエは「うちにある物は好きに使って構わないよ」とは言ってくれたけれど、これは私達がキリエに渡す贈り物なのだ。折角手作りの贈り物をするのだから、できる限りのことはやっぱり自分達でやりたい。
分からないことはともかく、最初からクリエをあてにするのは間違っていると思う。
……と、二人でお小遣いを握りしめて勢い込んで公園から街の方に出てきたまでは良かったものの、その考えは早くも改めることになりそうだった。
「粘土だけでも、こんなにあるんだね……」
「本当、どれを買えば良いんだろう……」
何はなくとも粘土と芯材は必要だろうと思って売っていそうな手芸店までやってきた。正直なところ、どちらも「粘土」や「芯材」とタグが付けて売られていると思っていた。仮に種類があっても数種類しかなくて、その中から選ぶことはできるだろうと高を括っていた。
しかし、実際にはどうだろう。
一口に粘土と言っても、油粘土、紙粘土など、粘土にはいくつもの種類があったし、それらの粘土の中にも用途に合わせて幾つも商品が売られているようだった。芯材に至っては、目的に合わせて材料の種類が違っている始末だ。
これでは選びようがない。
「店員さんに訊いてみる、とか?」
「ううん、多分無理だと思う」
そもそも工房でクリエが作っている様子を注意深く思い返してみれば、彼はいくつもの材料をその用途に合わせて使い分けていた。仮に普段からクリエが使っているものがこの中にあったとしても、目的のものを探し出すというのは至難の業だろう。
「どうしようか……」
「残念だけど…… 出直し、かな……」
「……そうだね。そうしようか」
こんなことなら、見栄など張らずに最初からクリエに一緒に来てもらえばよかった。そんな若干の後悔と共に二人でため息を吐き、踵を返して店をあとにしようとする。
すると、丁度店内に人影が入ってきた。
「おや、もうお帰りですか? お嬢さん」
軽薄な口調のくせに妙に身なりの良い男。
その姿に私は妙に覚えがあった。
「……誰? メユの知り合い?」
「うん。うちに出入りしている業者」
「おいおい、そりゃないよ」
隣に居たニトが耳打ちして訊ねてきたのでぶっきらぼうに応えると、ネメシアは私達に向けて苦笑を浮かべた。
そんなことを言ったって、彼はピノッキオドリームに材料を卸していくついでにクリエが作った人形を買い付けていくので、私は何一つ間違ったことを説明していない。それとも、何か私はニトに嘘を教えているとでも言うつもりだろうか。
「まぁ、確かに事実だけどさ…… でも看板娘らしく、もうちょっと愛想ってあるだろ」
「ネメシアに振りまくような愛想はありませーん」
「まったく…… 可愛げのないやつだな」
ネメシアに向かってアッカンベーっと舌を出すと、芝居がかった大げさな身振りで呆れて見せる。そんな私達の遣り取りを隣で見ていたニトは、クスクスと楽しそうに笑っていた。
「仲良いんだね」
「ニトは何を見ていたの?」
一体何を見ていたのか。どうやらニトの目は節穴だったらしい。ため息をついて呆れると、ネメシアは「なかなか見る目があるじゃないか」と爆笑した。
一体、誰がネメシアみたいな奴と仲良くしようなんて思うのだろう。
「僕はニトって言います」
「そうか、君がニトか。俺はネメシア。メユの言う通り仲買業者をしている。 ……よろしくな、ニト」
ニトが自己紹介をすると、ネメシアも「私には絶対に見せない丁寧な口調で」改めて自己紹介をし、ニトに向かって手を差し出した。
そのネメシアのこなれた様子が、なんだか余計に私を腹立たせた。
「それで、ネメシアはなんの用があってここに来たの?」
「業者が商品の買い付けに来るのは普通のことだろう。そっちこそ、ピノッキオドリームの看板娘が仕事を放り出してこんな所に何をしに来たんだ?」
「なんだって良いでしょ」
私が何をしていようとネメシアには一切関係がない。ニトの手を引いて店から出ようとすると、ネメシアはヒョイと横に動いて私達の進路を塞いだ。
「……何よ」
邪魔をするのなら蹴っ飛ばしてやろうと思って顔を上げると、ニンマリとした笑顔を浮かべているネメシアと目が合った。その意地悪そうな表情と言葉に思わずドキリとする。
「人形を作ろうと思っていたんじゃないのか?」
「……っ! なんで、知っているのよ!」
思わず、私はお店の中で大きな声を出してしまった。
「なんだ、図星だったのか」
私の言葉にネメシアはニヤッとした表情を浮かべる。それで私はようやく鎌をかけられたのだと理解した。
「ネ、ネメシア!」
「そう、怒るなよ。代わりに良いことを教えてやる」
「……なによ」
ケラケラと楽しそうに笑うネメシアを睨みつけていると、彼は全く反省した様子も見せない口調で悪かったと言いながら棚から一つ粘土を引っ張り出すと、そのまま私の手の中に落とし込んだ。
「これが一番汎用性の高い石粉粘土だな。初心者にはおすすめの商品。
それから…… 芯材に使うならこの辺りを使うといいだろう」
そう言って丸められたアルミ線を棚から選び出すと、そのまま同じようにニトに手渡した。
「……」
「……」
「なんだよ、二人ともそんな顔して」
私もニトも思わず口をポカンと開けるしかなかった。
先ほどまでの人を食ったような軽薄な態度とは一転して、材料を選び出すその動作は真剣でまったくの迷いがなかったのだ。ネメシアの急激な変化についていけず戸惑っていると、彼もまた困惑したような表情を浮かべた。
「なんで解るのよ」
「なんで? それは俺がクリエのところに卸しているからだよ」
埋もれるほどの商品があるにも関わらず、どうして私が望む商品が「これだ」と断言することができるのだろうか。喉の奥からやっとの思いで絞り出すように問うと、ネメシアはこともなげにそう答えた。
クリエのところに商品を卸しているから分かると言われても、やっぱり納得いかなかった。
「そりゃ、言いがかりだぜ。看板娘」
「うっさい」
「あいたっ……」
そういうとネメシアはすぐにいつもの軽薄な態度に戻ってしまった。
なんだか腹が立って脛を蹴飛ばすと、ネメシアは蹴られた場所を抑えながら大げさに飛び跳ねた。ざまぁみろ。
「まぁ、兎に角使ってみろ。こっちも取り扱う商品のことで嘘は吐かない」
「……ん。行こう、ニト」
「あ、ありがとうございました! ネメシアさん」
もしも上手くできなかったら今度こそ思いっきり蹴飛ばしてやろうと思いつつ店に代金を支払い、ニトの手を引いて逃げるようにお店を後にした。
………
「ねぇ、メユはネメシアさんのことが本当に嫌いなの?」
「キライ。大ッキライ」
雑貨屋さんを出て、ピノッキオドリームへの帰り道、唐突にニトは口を開いた。
一体ニトは何を見ていたのだろう。
「うーん、そうかなぁ。メユはそこまで嫌っているようには見えなかったよ?」
そんなはずはない。
だって、ネメシアはノーラ姉さんのことを買うような人間なのだ。人格のある存在を奴隷商人のように売買できるような人間がまっとうな人間なはずがない。
そんなことができる奴は悪い奴に決まっている。
どうしてそんな悪い奴を好きになれるのだろうか。
「僕はネメシアさんがそんなに悪い人には見えなかったよ?」
「……ニトって意外と人を見る目がなかったり、する?」
「ひどいや」
思わずニトの目は節穴なんじゃないだろうかと顔を覗き込んでしまう。幸い、ニトの目は節穴ではなく、燃えるような赤毛の奥に黒目がちな瞳がしっかりと嵌っていた。
良かったと安堵の溜息を吐くと、ニトは少し拗ねたような表情でそっぽを向いた。
そんな風に他愛ない話をしながら通りを歩いている内に、大通りの外れにある小さな人形店に辿り着いた。
ピノッキオドリーム。初めてニトとおしゃべりした場所である。
「ピノッキオドリームへ、ようこそ」
「うん」
看板娘らしく入口を開け、お辞儀をしてニトを招き入れると、彼は周囲の目を気にしつつも恥ずかしそうに頷いて店内に足を踏み入れた。
………
「わ……」
初めて店内に入ったニトは、店内を見渡しながら思わず感嘆の溜息が漏らした。
紅茶の良い香りのする店内は、アンティーク調に統一されていて、狭いながらもついつい長居してしまいたくなるような落ち着いた雰囲気を醸し出している。
視線を壁のほうへと移せば、棚には大小さまざまな大きさの人形が飾られていて、どれも愛らしい表情でまだ見ぬ家族が迎えに来てくれるのを待っていた。
「どう? 初めて入った感想は?」
「外から見ただけじゃわからなかったけど、すごく良い雰囲気」
「良かった、気に入ってくれて」
ニトに感想を訊ねると、心底気に入ったとでもいうように笑顔で応えてくれた。それを聞いて看板娘のメユも嬉しくなる。来客数は少ないかもしれないが、ここはメユの自慢のお店なのだから。
その笑顔に釣られるようにして、ついメユも店の中の人形達を紹介してしまう。
「おや? お帰りメユ。お客さんかい?」
「うん。ニトって言うの」
「初めまして、ニトです」
「そっか、君がメユの言っていた子だね」
そんな話声が聞こえたのか店の奥からエプロン姿のクリエがやってきた。そして二人の姿を認めると、店の主らしい柔らかい笑みで出迎えてくれた。
ニトが自己紹介をしてペコリと頭を下げ、クリエはそんな彼を歓迎するように手を差し出した。
「人形を作りに来たのだろう? それじゃあ、汚れるからこのエプロンを着て」
そう言ってクリエは作業用のエプロンを手渡すと、工房の中へと案内してくれた。
工房は、中央に人一人が横になれるくらい大きな作業台があるだけで、先ほどの店内とは打って変わってシンプルな作りである。ただ作りかけの人形があちこちに吊るされているので、少しだけ不気味な雰囲気だ。
クリエに促されて工房の中へと進み、メユとニトは作業台の向かいに座った。
「メユ達がその手に持っているのは人形の材料かい?」
「うん、粘土とアルミ線」
「ちょっと見せてもらって良い?」
「はい」
言われるがまま粘土とアルミ線を作業台の上に出すとクリエは感心したような声を出した。
「クリエ、どうしたの」
「いや、良い粘土を買ってきたと思ってね。人形作りには最適な粘土だよ」
どちらも工房に常備しているもののはずなので、不思議がっているとクリエはそう言って褒めてくれた。面と向かって褒められると何かとこそばゆいもので、メユはニトと顔を見合わせて照れ隠しをした。
「粘土もいっぱいあっただろうに、その中から自分達で選んだのかい?」
「ネメシアさんが教えてくれました」
「ネメシアが?」
クリエは「そうなの」と視線でメユに問いかける。メユは認めたくなかったが、事実は事実だし、ニトがあっさりとネタ晴らししてしまったので唇を尖らせながら頷くしかなかった。
「クリエ、なんで笑うのさ」
「いやぁ、他意はないよ。ネメシアらしいと思っただけさ」
クリエがクスクスと笑うと、メユは憮然とした表情で彼に食って掛かった。ニトはそんな二人のやりとりを楽しそうな表情で眺めていた。
「さて…… じゃあ、そろそろ人形作りを始めようか」
「はい」
しばし歓談した後に、クリエがそう切り出すと二人とも笑いを収めて真剣な表情になった。その様子だけで、二人がどれほどキリエに贈るための人形作りを真剣に取り組んでいるかを察することができた。
「まずはデザインを決めてしまおうか」
「デザイン、ですか?」
「分かりにくかったら設計図と言い換えても構わないよ。どんなものを作るか最初に決めておくんだ」
ニトが訊ね返すとクリエは、うん、と頷いて目尻を下げた。
人形作りでのコツは、最初に何を作るか決めておくことだ。その最初の一歩が曖昧だと自ずと出来上がる作品も曖昧なものになってしまう。
しかし、人形作りを初めてする人間に、いきなりデザインを決めろと言ってもなかなか難しい。クリエは幾つかの人形の素体と、人形のラフ絵をメユとニトの前に並べた。
二人がラフ絵を手に取ると、そこには繊細なタッチで描かれた生き生きとした少女達の姿が描かれており、思わず感嘆の声が上げた。
「これ、全部クリエさんが描いたんですか?」
「もちろん。実際に人形を作る前には必ず作品の下書きをするからね。
……今回はこの中から気に入ったものを選んで欲しい。それから、人形のポーズをデッサン人形で作ってみて」
「分かった」
メユはクリエの言葉に頷き、二人は一斉に作業に入った。
………
「お疲れ様、二人とも」
「あ、ありがとう。クリエ」
「ありがとうございます」
デザインとポーズを決め、素体にひとしきり粘土を付け終えた後、クリエは二人のことを紅茶とクッキーで労った。
人形作りは一日では終わらない。作業そのものにも時間が掛かるけれど、それ以上に粘土を乾燥させるためにも時間が必要である。ましてやクリエのように人形作りを生業とする者ではなく、人形を初めて作るメユやニトが主体となって作るのであればなおさらである。
気長に作る必要があると言っても、子供たちにそれだけの忍耐力を要求するのは少々酷な話だ。
そのため、クリエは作業の短縮のために予め骨組みとなる人形を作っておき、そこに肉付けするような形で人形を作るように提案した。それなら圧倒的に作業の手間も時間は短縮できるし、二人も満足できる作品を仕上げることができるだろうと踏んだのだ。
実際メユもニトもキリエのため、一生懸命作業はしているものの年相応の集中力だったし、一日目の作業が終わる頃には集中力は完全に切れていた。ただ、それを含めて一生懸命やっている姿は微笑ましいと思った。
「御馳走様でした、また来ます」
「あぁ、いつでもおいで。気を付けて帰るんだよ?」
紅茶を飲み干したニトがペコリと頭を下げて立ち上がる。クリエは空いた器を片付けながらニトに向かって微笑んだ。
「またね、ニト」
「うん、またね」
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