第1章 そうして彼女は出会った

「こんにちは」

「こ、こんにちは」

 金を煮溶かして絹を染め上げたような美しい髪を持つゴシックロリータに身を包んだ少女は入口から出ると男の子に声を掛けた。

 人形を見つめることに夢中だった赤毛の男の子は驚いたように身体を震わせると、恥ずかしそうに消え入るような返事を返した。

「私の名前はメユ。この人形専門店、ピノッキオドリームの看板娘よ」

「僕は、ニト」

 メユは少し緊張をほぐしてあげようと自己紹介をしてみたものの、ニトと名乗った少年の反応はあまり芳しいものではなかった。

 それもそのはずで、彼の見ていた人形は職人が丹精込めて手作りした高級な人形で、とても子供のお小遣いで買えるような代物ではなかった。そうでなくても、人形を見ていたところを見られたというのは、年頃の男の子にしては気恥ずかしいものだ。

「ねぇ、そんなに気になるなら中に入って近くで見てみたら?」

 入ったから買えなどという狭量なことをいうつもりはなかったし、別に入って眺める分には構わない。行儀よく見てくれるのであれば誰であろうと大歓迎だったし、むしろ、作った人間も作られた人形も喜ぶに違いない。

 店には椅子くらいあるし、なんなら紅茶とちょっとしたお菓子くらいなら出してあげよう。

 メユとしては親切心でそう勧めたつもりだったが、かえって逆効果だったらしい。

 ただでさえ、女の子と話している姿を誰かに見られたりしないか落ち着かない様子で周囲を見回していた男の子は、彼女に勧められると完全に気を動転させてしまったらしい。

「あの、えっと…… だ、大丈夫です!」

「あ、ちょっと……」

 彼は絞り出すような声でそう告げると、踵を返して止める間もなく走り去ってしまった。

 メユはポツンと一人店先に残される。

 あとは他に残っているのはガラスに付いた額と手の平の跡だけだ。ショーウインドウに指紋を付けっぱなしにしておくわけにもいかないし、あとで拭きとっておかねばならないだろう。小さくため息をついて帰ることにする。

 チリンっというドアベルの音に迎えられて店の中に戻ると、アンティーク調に揃えられた店の中は相変わらず閑散としていた。店の奥の工房で黙々と作業をしているどこか優しそうで線の細い黒髪の青年が一人居るだけだった。

 メユは店内に居る唯一の人間に無言で歩み寄ると、そのまま彼の向う脛を固い靴の爪先で思い切り蹴飛ばした。

「ったぁ⁉ いきなり何をするのさ、メユ!」

「何をするのさ、じゃないでしょ? クリエ」

 椅子から転げ落ち、蹴られた脛を痛そうに押さえているクリエの抗議の声を無視して、メユは更に彼に詰め寄った。

 せっかくお客さんが来てくれたかもしれないというのに、相手をする素振りさえ見せないお陰で取り逃してしまったではないか。

「そ…… そう、だね?」

「そうだね、じゃないでしょ! 買わなくたって、こういうお客さんから口伝てで伝わっていくのだから、ちゃんと相手をしてあげないとダメなの!」

 閑古鳥の安寧の地と化している人形屋であったが、相変わらずこの店の店主兼唯一の人形職人の反応は鈍い。それどころか、なおも曖昧に言葉を濁そうとするクリエにメユはイライラとした声を上げた。

 クリエの人形を制作技術は、それこそ最高峰の技術だ。技術だけを見れば国のお抱えの人形師になってもおかしくないし、それを裏付けるように出品した大会では満場一致で最高の栄誉が与えられている。

 それにも関わらず、なぜこんな場末の工房で小ぢんまりと商売をしているのか。

答えは簡単。本人に全く持って商売っ気がないからである。

 人形技師として作った人形を、それを持つのに相応しい人にのみ譲りたいという気持ちはわかる。それ自体はとても素晴らしいものだと思うし、その矜持を貫いているクリエのことをメユも誇らしく思う。

 しかし、だからと言って全く持って宣伝せず、噂を聞いてお店を訪れた人間だけを相手にするというのは、慎ましいを通り越して最早怠惰というものであろう。

「今月になって、何人お客さんが来たか知っている?」

「……三人」

「そう、三人! たったの三人だよ!」

「そんなに怒らないでよ」

「じゃあ、なに…… 何か言いたいことあるわけ?」

 メユが指を三本立ててクリエに突きつけると、彼は緩やかにその手を退けて立ち上がる。それから、言い訳があるなら聞いてあげるとでも言いたげな不満そうな表情を浮かべるメユに対して、クリエは勝ち誇ったような表情を返した。

「最近はちゃんと定期的に人形を仕入れてくれる人が居るもの」

「へぇ…… 誰?」

「あ…… ほら、ちょうど来た」

素直に感心したような表情を浮かべているメユの背後で丁度来客を告げるようにドアベルが鳴った。

 振り返って来客の姿を確認すると、メユはその愛らしい眉根を不愉快そうに顰めた。

「よぅ、クリエ。元気にしていたか?」

「久しぶりだね、ネメシア。そっちこそ元気にしていたかい」

「お陰様でな」

「それは良かった」

 来客は二人。一人は髪の毛を金色に染めた身なりは良いが少し軽薄そうな若い男。そして、その彼に付き従うようにして入ってきた銀糸を一本一本丁寧に梳ったかのような銀の髪が美しい給仕服に身を包んだ長身の女性だ。

 最近、ピノッキオドリームを出入りしている卸売業者。ネメシアとノーラである。

クリエは手を洗ってくるので好きな場所で寛いで待っていて欲しいと伝えると、濡れ雑巾で手に付いた粘土を拭い、それから工房の奥へと消えていった。

「メユ、来客をそういう顔で出迎えるものではありませんよ?」

「ノーラは姉さんだから、お客さんじゃないもん」

 工房の奥からじっと闖入者を睨みつけていたメユを女性が見咎めると、メユはここぞとばかりに唇を尖らせて不服そうに答えた。

「ほら、言っただろ、ノーラ。行ったところで歓迎はされないって」

「今はノーラと話をしているの。ネメシアは黙っていて」

「こら、メユ。来客を歓迎しないのは構いませんが、だからと言って態度で示しては看板娘の名が泣きますよ」

「おいおい、お前も何を言っているんだ、ノーラ」

 メユはネメシアのことを嫌っているようだったが、ネメシアはというとそんな彼女の態度を嫌っているようには見えず、むしろ楽しんでいるようにさえ見えた。

 だから、だろうか。

メユは何の手ごたえも感じられないことを余計に忌々しく思っているらしく、より一層嫌悪の態度を露わにしているようだった。

「ねぇ、ノーラはいつになったら帰ってくるの?」

「帰りませんよ。私はネメシアに買われたのですから」

 メユは矛先を変えてノーラに甘えた声を出してみるものの、何度問うても答えは変わらないとでも言うようなノーラの頑なな態度にがっくりと肩を落とした。

「もういい、もうノーラのことなんか知らない」

「メユ、ちょっと待ちなさい」

 けれど、メユが落ち込んでいたのは一瞬。ベッと舌を出して見せるとそのままノーラが止める間もなく店を出て行ってしまった。


………


「あれ、メユは?」

 工房の奥から戻ってきたクリエは店内を見渡し、居るべきはずの看板娘の姿が見当たらず、ネメシアとノーラに問うた。

「俺と一緒に居るのが落ち着かないって暫く席を外すってさ」

「私も止めようとしたのですが……」

「あー…… そっか、せっかく来てくれたのにごめんね……」

 二人の答えでクリエはすべてを察したらしい。気まずそうに曖昧な声を出して申し訳なさそうにクリエは謝ったが、ネメシアは苦笑いを浮かべてそれに応えると「お前が謝ることじゃない」と首を横に振った。

「大好きなお姉ちゃんを買った張本人だからな。俺に会いたくないメユの気持ちも分かるさ」

「それは誤解です。私が自ら貴方に買って欲しいと申し出たのですから」

「誤解も何も大好きなお姉ちゃんを攫った極悪人ということは変わりないさ。嫌われて当然」

「なんとかネメシアの誤解を解ければ良いんだけどね……」

「年頃の女の子には分かりやすい敵役が必要なのさ」

 ネメシアは「こんな風にね」と悪役がするように大仰に両手を広げて見せると、クリエは少しだけ笑った。

 どうやら、ネメシアは気持ちの整理のつかないメユの心中を慮って敢えて露悪的な態度を演じているらしい。本人も悪役を演じることを楽しんでいるようなので、要らぬ心配だったようだ。

 メユは思春期特有の気難しさがあるけれど根は素直だし、ネメシアは露悪的な態度を演じてこそ居るが決して悪い奴ではない。誤解さえ解ければ二人は仲良くなれるはずなのだ。そのためには、もう少しばかり時間が必要なのだろう。

「それより、クリエ。そろそろ商売の話をしよう」

「そうだね。今日の御用向きは?」

「観賞用の人形を幾つか見繕って欲しい」

 切り替えるようにネメシアは本題を切り出した。

 時が解決してくれる問題であるとは頭ではわかっていても、気持ちで整理がつかない問題はどうしても堂々巡りになってしまう。だから、ネメシアの切り替えの早さは正直なところありがたかった。

 棚から観賞用の人形の見本を幾つか取り出して机の上に並べてみせる。

「観賞用の人形って言っても大きさが色々あるからね、どの大きさにする?」

「子供の贈り物用だから、そんなに大きくなくて良い…… ただ、子供が相手だからな、それなりに丈夫で手入れの要らないものが良い」

「それなら遊戯用の人形の方が良さそうだけど?」

 長いこと付き合っているし、観賞用の人形と遊戯用の人形の特徴を把握していないネメシアでもあるまい。ここで多少は遊戯用の人形を取り扱っていることも知っているだろう。

 遊戯用の人形ではなく、敢えて人の手があまり触れないことを前提として作った観賞用の人形を選んだのか。

 不思議に思って尋ねると、ネメシアの代わりに背後に控えていたノーラが答えた。

「今回の客は身体が弱く、今も病床にいらっしゃいます。一日で遊ぶことのできる時間も長くないですし、傍らに居る友達は見麗しい方の方が寂しさも紛れると考えたのです」

「なるほど」

 丈夫さを求めれば少なからず繊細さは失われてしまうし、繊細さを求めれば、やはり丈夫さは二の次になってしまう。観賞用の人形が繊細でいられるのは、遊戯用の人形と違い、人の手で触れることを想定しないで済むからだ。

 逆に遊戯用の人形となると少々触れてしまって壊れてしまうくらいでは困る。多少手荒に扱っても壊れず、また手入れも簡単な必要があるのだ。

 そういう意味では、病床に居ることの多い病弱な子には観賞用の人形というのは一つの選択肢としてあり得るのかもしれない。

 ただ、実はもう一つだけ選択肢がある。

 本来ならば両立しないはずの丈夫さと繊細さを両立させることのできる方法。

「それなら、一度その子に直接会っても良いかな?」

「直接か? それはもちろん構わないけど」

「ありがとう」

 それは手間を掛けるという方法だ。

 相手の話を聞き、必要な丈夫さと求められる繊細さを見極める。少数生産の手作りだからできる方法だ。

「一応言っておくと、そこまで裕福な家庭じゃないからな?」

「分かっているよ、ネメシア。今回は人形代じゃなくて紹介料ということで良いかな?」

「それでお前さんが良いなら良いよ」

「よかった、ありがとう二人とも」

「まったく…… クリエ、お前さんはお人よしだよな」

「それがクリエの長所ですので」

 二人に感謝を伝えると、ネメシアはポリポリと頭を掻きながら苦笑いを浮かべ、ノーラはどういう訳だか自慢げに胸を逸らした。

 さて、既存の物を売るのではなく一から作って納品するとなればそれなりに時間も掛かる。どれだけ繊細さと強度を兼ね備える逸品となればなおさらだ。どんなに早く見積もっても一月はかかるだろう。

 早めに、本人のところに行って話を聞いて見極めてきた方が良い。

 そう思ってクリエが腰を浮かせると、ネメシアはそれを制止した。

「それから注文をもう一個」

「うん? もう一個?」

「ノーラの調整をお願いしたい」

「よろしくお願いいたします」

 ペコリと頭を下げるノーラの姿を見て、クリエはそろそろそんな時期だったかと得心した。


………


 勢い余って出てきてしまったけれど、だからと言ってメユに行く当てなどがある訳でもなかった。お小遣いでもあれば、近くの喫茶店にでも入って時間をつぶせたのかもしれないが、衝動に任せて出てきてしまったので全部置いてきてしまった。

 取りに戻ることも考えてはみたが、ネメシアの顔が脳裏にちらついてしまって、とても取りに戻る気にはなれない。結局のところ、ネメシア達が帰るまで町を歩いて暇をつぶす以外に他はなかった。

 当て所もなくプラプラと街を歩いていると、人込みに紛れて先ほど見た赤毛の髪を見つけた気がした。思わず気になって駆け寄ってみる。

 間違いないニトだ。どうやらこちらに気が付いていないらしく、道の端でボンヤリとした表情で空を見上げている。

「こんにちは、ニト」

「わぁ⁉」

 気付かれないように人込みに紛れて近づき、そのまま声を掛ける。すると、ニトは心底驚いた表情で素っ頓狂な声を上げて逃げようとした。

 咄嗟にニトの手を握って捕まえると、最初は抵抗しようとしていたもののすぐにニトは大人しくなった。

「待ってよ、逃げないでってば」

「うぅ……」

「少しくらいお話しに付き合ってくれたっていいでしょ?」

「わ、分かったよ……」

「やった」

 町を歩いて時間を潰すのにも限界があるだろうと思っていたところだったので、ニトと出会えたのは思わぬ収穫だった。二人でお喋りしているうちに時間も潰れるだろう。

 道端で立ち話というのも良いのだけれど、いつまでもそこで立っているのも疲れてしまう。とりあえず座れる場所を探して。のんびりと街を歩くことにする。

もう少し大人の人ならば、喫茶店にでも入るのだろうけれど、生憎と私はお小遣いをおいてきてしまったのでまた今度だ。

「その…… 逃げて、ごめんね?」

「ううん、気にしないで。人形が喋ったら誰だって驚いちゃうよね」

 プラプラと歩いているとニトが先に口を開いた。

 考えてみれば人形に声を掛けられて逃げたら、町の中で再び人形に出会ったなんて、どう考えても復讐しに来たとしか思えないだろう。これでは、クリエに「ちゃんと接客しろ」なんて偉そうなことをいうことはできない。

「本当にメユは人形なの?」

「そうだよ、球体関節人形っていうんだけどね」

 そう言いながら少しだけ袖をめくって手首を見せる。

 本来ならば関節があるべき場所に滑らかな球体が嵌っていた。精巧に作られているため分かりにくいが、よく見れば顔にも化粧に隠れてうっすらと継ぎ目と思しき場所がみることができた。

 そう…… ピノッキオドリームの看板娘であるメユは正真正銘の生きた人形なのである。

「どうやって動いているの?」

「よく分かんない」

「え?」

 卓越した技術が人形に命を吹き込み、込められた思いが人形に魂を宿す。願いを糧に人形は歩み、記憶と共に人形は眠る。

 クリエがメユを作り、メユが命を宿した時に頭の中に響いたという共通の呪文だ。作ったクリエにも詳しいことは全く分からないので、当然のように生み出されたメユにもどうして生きているのか理由は分からない。

 たくさんの人の願いによって奇跡のように命が吹き込まれたということだけだ。

「よく分からないけど、つまり…… 夢で生きているってこと?」

「いいね、そのニトの表現。そう。私は皆の夢と希望で生きているの」

 なんとなくニトの表現が一番しっくりきた。表現も詩的だし、なにより素敵だ。これからは自分で答えるときはこの表現を使うことにしよう。

 メユが「ありがとう」と感謝の意を伝えると、ニトは恥ずかしそうに頬を掻いた。

「ところで、ニトは人形が好きなの?」

「どうして?」

「だって、私のお店…… ピノッキオドリームで随分と熱心に人形を見ていたから」

「あぁ…… あれかぁ…… 僕じゃなくて、姉ちゃんが人形好きなんだ」

 歩きながら訊いてみると、ニトは少し考えた後に素直に答えてくれた。人形が好きな人に悪い人はいないと信じているメユはそれを聞いて嬉しくなる。ニトが人形を好きな訳ではないのが少し残念だったけど、今後好きになって貰えば良い。

「お姉ちゃんが居るの?」

「身体が弱くて、いつも寝ているんだけどね」

「病弱なんだ」

「うん、生まれつき弱いみたい。入院ばっかりで外で遊んだりできないから、友達もできなくていつも寂しいって言っている」

「そうなんだ」

 傍に家族は居るだろう。でも、いつでも家族が傍に居てやれるわけではない。毎日お見舞いに行ってやることはできないし、仮に毎日お見舞いに行けたとしても夜は一人で過ごさなければならない。年頃の女の子が一人で夜を過ごすのはきっと寂しいだろう。それが病気の時ならなおさらだ。

 だから人形を見ていたのか。

 人形だったらいつでも傍に居てやることができるし、一人の夜でも人形が傍に居れば寂しくない。

「ニトはお姉ちゃん想いなんだね」

「な、なんだよ、急に」

「褒めているんだよ」

 ピノッキオドリームに飾ってある人形は高級な人形で、とても子供のお小遣いで買えるような代物ではない。でも、棚の奥にある人形くらいならもしかしたらお小遣いで買えるような人形もあるかもしれない。

「ねぇ、私がお人形を探してきてあげようか?」

「え?」

「だって、お姉ちゃんのためにお人形を探していたんでしょう?」

 病弱なお姉ちゃんを想って人形を見ていたなんて、実に良い弟ではないか。それなら、それに見合う人形を一緒に探してあげることくらいはしてあげたい。

 なにより、お人形好きに悪い人はいないのだ。

 メユがニトに提案すると、ニトは「いいの?」と少し驚いたように目を瞬かせた。

「もちろんだよ」

「ありがとう、メユ……」

「ううん、気にしないで。私にできることならなんでも言ってよ」

「それならメユが姉ちゃんの友達になってあげてくれない、かな……?」

「私が?」

「メユが友達になってくれたら姉ちゃんもきっと喜ぶと思う」

 図々しいよね、とニトは曖昧な表情を浮かべながら恥ずかしそうに頬を掻いた。

 それはこちらからお願いしたいくらいだ。

「良いの?」

「うん」

 メユが思わずニトの手を握りながら問うと、ニトははにかんだ様な笑みを浮かべながら頷いた。

「それなら、今から会いに行っても良いかな?」

「もちろん。案内するね」


………


 病院に行き、受付で面会の手続きを済ませる。そして、ニトに案内されながら看護師に教えてもらった番号の部屋へと向かう。

「どうぞ」

「良かった、起きていたみたい」

 ニトが扉をノックすると中から涼やかな声で歓迎された。その声を聞いて、ニトは安堵したように笑って病室の扉に手を掛ける。

 病室はベッドが一つあるだけの随分と閑静な部屋だった。そのベッドには長い髪の少女が身を横たえていた。

「来てくれたんだ、ニト」

「うん、今日はちょっと紹介したい人が居て」

「紹介したい人?」

「まぁ、正確に言うと人ではないんだけどね…… メユ、ちょっと来て」

「?」

 ニトに促されて彼女の前へと出る。実を言うと、初めての人と会うのは毎回少しだけ緊張した。

 精巧に作られているとはいえ、メユは人形である。人形が動力もないのに一人で勝手に動いている姿を目にした人間は例外なく驚きの表情を浮かべる。

 驚きをもって迎えられること自体は既に慣れ、メユ自身も半ば諦めてはいた。ただ、そんな不思議な体験への驚きが恐怖へと姿を変え、拒絶されてしまったことも一度や二度ではなかった。

「こんにちは」

「まぁ、素敵」

 僅かに緊張しながらもメユは努めて明るく挨拶した。けれども、相手の取った態度はそんなメユの緊張を押し殺したものとは無縁の意外なものだった。

 彼女は抑えきれない歓喜の声を漏らすと白魚のような手を伸ばし、笑みを浮かべたままメユの手を柔らかく握った。

「生きているお人形さんなのね。貴女のお名前を教えて頂けるかしら?」

「私の名前はメユ。人形専門店、ピノッキオドリームの看板娘よ」

「もしかして、本当にあのお店の看板娘?」

「知っているの?」

 相手の反応に思わずメユの声が弾む。

 すると、彼女は上品そうな笑顔を咲かせながら頷いた。

「もちろん。だって貴女はとっても有名だもの。こうして間近で会えてとっても嬉しいわ」

「本当? 私も嬉しい」

 最早メユの中に緊張はなく、自然と表情を緩ませながら添えられていた彼女の手を握り返した。

「あー…… 姉ちゃん、自己紹介忘れてない」

「あ、ごめんなさい。私ったら、つい嬉しくてはしゃぎすぎてしまったわ」

 二人で盛り上がっていると、ニトはそっと自身の姉に耳打ちした。彼女はうっかりしていたと恥ずかしそうに笑うと、手を放して改めてメユの方へと向き直った。

「私の名前はキリエ。気軽にキリエと呼んでもらえると嬉しいわ」

「よろしくね、キリエ」

「こちらこそよろしくね、メユ」

 こうして人形は一人の少女と出会った。

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