忘れ物

 隣の子はとにかくよくものを忘れる。最初に僕が忘れ物に気がついたのは高校入学して間もなくの頃だった。帰宅する時。机に筆箱を忘れそうになっていることに気がつき、声をかけた。彼女は恥ずかしそうに笑って、ありがと、と一言。そのえくぼの浮かんだ愛らしい笑顔に見とれてしまったことを今でも覚えている。

 

 席が近いこともあり、その時の会話をきっかけとしてよく話すようになった。4人家族なこと。幼い犬を飼っていること。歴史が好きで、数学が嫌いなこと。1日1日、日を追うごとに少しずつ、確実に彼女の人となりが分かっていった。分かったいって、惹かれていった。


 そうしているうちに5月になり、6月になり。気が緩んだのだろうか。彼女は忘れ物をすることが多くなっていった。僕が忘れ物しているよ、と声をかけると恥ずかしそうに微笑む彼女。いつしか僕は彼女が忘れ物をすることが楽しみになっていった。


 そんななか、昼休憩でご飯を食べつつ雑談に興じているとき、ふと違和感を覚えた。相手は彼女の中学時代の同級生であり、僕と彼女の共通の友人だ。彼女を含めた3人で一緒によく食べるが、彼女は今はお花摘み。


「それでさー、また、忘れ物してて。やっぱ、中学の頃から忘れっぽかった?」


「……んー? あの子、忘れ物なんて滅多にしなかったと思うけどなぁ。ほら、真面目じゃん?」


 ……あれ。半ば肯定される前提で聞いため、少し面をくらう。


「いや、たしかに真面目だけどさー。今日だけで3回くらい忘れてってたぜ?」


「え、まじで? じゃあ私の思い違いかな……。別に、中学のときそんな良く話してた訳じゃないし……」


「ねーねー、何のはなしー」


 話題の人物の帰還。別に陰口言ってるつもりでもないし、正直に告白する。


「いや、お前が忘れ物よくするよねーって。他の所はしっかりしてるけどな」


「でも、中学の時そんなしてたっけ? 真面目なイメージあったから意外ー」


 途端に慌てる彼女。袖を引っ張られる俺。されるがままに廊下に連れ出される。なんか、まずい事でもした? 顔も赤いし怒っているのだろう。


「あれはね、その」


「ごめん、あんま言われたくなかった……?」


「いや、そうじゃなくて、あのね……」


 躊躇う彼女。続きを待つ僕。しばらく沈黙が続いてから、ようやく彼女は喋り始めた。


「あれはね、忘れ物渡してくれる時のね、親切な優しい笑顔を浮かべるのが、その、みたくて、と言いますか……」


 赤面する彼女。赤面する僕。時の流れを忘れる2人。


 沈黙を破ったのは授業5分前の予鈴だった。慌てて教室に戻る。そして、気がついた。


 あ、お弁当。食べ切るの忘れてた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る