第2話 運命の時

 この日、1stの訓練が終わりエプロンにて飛行後の整備に入った。背中に太陽を浴びてほっくほくの私のボディは気をつけないと火傷するほど。


「お疲れ。なかなかのアクロだった。訓練生にしてはけっこう攻めるやつだよな」

(うん。でも爽快だったわ! ちょっと操縦桿の握り直しが多い気もしたけど)

「うーん、油圧……」

(あ、でも後方の沖田飛行隊長が直ぐに修正箇所を指摘していたわ。やっぱり彼はすごいライダーよね!)

「よーし。あれ、石、巻き上げたか」

(ん?)

「2ndの前までに滑走路チェックだな」


 青井は私のネックを労うように何度も撫でた。グローブ越しではなく素手で。そこに疵があるらしいことをブツブツと呟いていた。

 雨の日だって展開する日は飛ぶのだし、剥き出しのボディが無傷でいられるわけがない。それに、私たちは痛みを感じないから大丈夫。


(だからそんなに気にしないでよ。青井が眉間にシワを寄せるとオジサンに見えるよ)


「おい! 悪いけどハンガー格納庫に一旦戻して」

「はい」

(え? そこまでしなくていいよー)


 私はゴロゴロ引かれてハンガーに戻された。外とは違ってひんやりしたそこは、青井が近づく足音だけが響いた。


「……」

(…?)


 青井は無言で私の回りを一周した。そして、ドカッと腰を下ろし手にしていたお弁当を私の目の前で開いた。その弁当は売店で買ったもののようで、誰かの手作り弁当ではないようだ。



「2nd……スキップするか」

(えっ!? 待って、私2nd飛べないの?)


 青井は何か考えているのか、お弁当を味わいもせずにガンガン口にかき込んで、表情は最近になく険しいものだった。


(青井、どうしたの……)




     ☆



 午後、私はエプロンに出してもらえなかった。代わりに待機していた予備機で訓練生は飛んでいった。

 そして、私の目の前に居るのは青井と1stで一緒に飛んだ沖田飛行隊長だ。二人で何か話しては私の顔を見てまた話す。ぐるりと一周されたり、お腹の下に潜られたり。


「青井、3rdで俺が確かめる。いいな」

「頼む。俺の見立てが間違っていれば……いいのにな」

「お前が間違っているなんて、ないだろ。気持ちはわかるが、上の連中も既に動いている。何処で線を引くかだけだ」

「分かっている」


(何を引くの? 二人ともとても真剣ね)


 外では姿の見えない仲間たちのエンジン音とスモークを噴き出す音がする。私は垂直尾翼おしりの辺りをソワソワさせながら3rdに向けての整備を受けていた。


「次、沖田が乗るから……楽しんで来い」

(え? 沖田飛行隊長が私を操縦するの! やだ、なんのご褒美? 嬉しい)


 青井はいつも以上に丁寧に整備してくれた。それこそ給油口まわりやスモーク噴出口まで。そして最後にノーズ下に入ってしまった疵を何度も何度も撫でた。


(やめっ……ふふっ。擽ったいからっ、んふ)


「ごめんな目立つところにつけちゃって。滑走路にあった石が横から吹き込んだやつと思う」

(だから気にしなくていいのに)


 青井は本当に航空機が好きなのだと思う。だって、口もきけない私たちに話しかけてくるのだから。まさか私に言葉が通じているなんて思ってもいないだろうけど。


(いつか話せたらいいのに……青井はその時、どうするのかな。腰を抜かすかな)


「青井! いいか。出すぞ」

「おお。宜しく」


 私は3rdに向けて、ハンガーからエプロンに出された。給油して飛行前点検をしてもらいエンジンをスタートさせた。


(うん! 問題ないっ)


「よし。行ってこい」

(任せて! 豪快なアクロ見せてあげる)


 青井からノーズをこしょこしょされて少し嬉しくなってしまった。青井は私の機嫌を取るのがとても上手だ。


ー ズシッ


 沖田飛行隊長がシートに座った。後部座席には誰も乗らないようだ。ヘルメットとマスクを装着し、グランドクルーと言葉を交わすと滑走路に向けて移動を始めた。初めて私は沖田飛行隊長を背に乗せたけれど、何となく皆が言うのが分かる。この人は凄いって! 座り方が軽いの。操縦桿を握る手に余計な力が入ってないし、踏ん張る脚のバランスが左右対称だった。


(空に上がったら、どんな動きをするのだろう)


 ひと味違った私が見せられるかもしれない。そう思ったのは生まれて初めでだった。滑走路に辿り着くと天蓋キャノピーが閉められた。ここからは私と沖田飛行隊長の世界だ。久しぶりにギアが鳴る、ウイングがウズウズする。早く飛びたいとボディが唸る。

 展示飛行、デビューした若き日を思い出した。


ー ウーンッッ! ゴゴゴゴゴー!!


 「ローアングル・キューバン・テイクオフ!」

(えっ! わっ、やったぁ)


 離陸後、直ぐにギアをしまい低飛行のまま速度を上げた。沖田飛行隊長の指先に力が入り、奥歯を食いしばったのが分かった。


「……くっ」


 スモークを噴きながら私は、思い切り機首を天に向けて急上昇した。シュルシュルと高速で空気が私のノーズとウイングをすり抜けて行く。そして、ループ!


(くはぁーー! さいこー! 5番機って、いつもこうなの?)


 ボディに圧をめいっぱい感じて基地上空を横切った。しかも最高速度で! 沖田飛行隊長は私を試すように、次から次へとソロ課目をこなして行く。


「4ポイント・ロール」


 90℃ずつ右回転でロールする技はキレが見せどころ。キュ、キュ、キュ、キュと音がしそうなくらい沖田飛行隊長の操縦はキレがよくクイック操作はお見事だった。いつもはスローロールと言ってゆっくりと回転するものしかやっていないので、とても新鮮だった。


「隊長!」

「なんだ」

「折角ですから、もう一つ得意のを見せてください」

「生意気だな……お前も来い! タック・クロス!」

「ラジャー」


 兎に角、気持ちが良かった。握られた操縦桿は痛みも痺れもないし、ハンドグリップだってガタつかない。Gがかかると、どのライダーも横にあるグリップを握って、身体を支えるのだ。しかし、沖田飛行隊長は握ってはいるけれど、その重みが他の隊員とは違った。


「着陸態勢に入る」

「6番機、着陸を許可する」


 私は夢のような飛行から舞い戻った。




.:*:。∞。.:*:。∞。




 エプロンに戻ると他の機体も並んで、飛行後の点検を受け始めていた。私は5番機の隣に並んだ。


『アンタ、やったじゃない! アタシのパート凄く綺麗に飛んじゃって』

『そう見えたなら、沖田飛行隊長のお陰ね。彼は何者なの? まだ飛べそうな気分よ』

『ふふふっ。彼にかかるとどんな機体でもそうなるの。逆に不幸よ』

『え?』

『彼が降りた後、他のライダーじゃ満足出来なくなるわ』

『あ……なるほど』


 そんなやり取りをしていると青井がやって来た。毎度の事だけれど「お疲れ様。よくやったね」と言ってノーズをひと撫でしてくれる。


(私、やったよ! 見てくれた? 早かったでしょう? キレが良かったでしょう?)


 青井はいつになる優しい表情で「ほんと、お疲れ」を繰り返しながら後部に回った。気のせいか少しだけ眉が下がっていた。人間が眉を下げるときは悲しいときだと誰かが言っていた。悲しいとき……。


(悲しいって、なに?)


「よし。ハンガーに戻るぞ。今日の出来はパーフェクトだったってさ! やったな」

(本当? 青井の整備のお陰だよ!)

「暫く、ゆっくりと休もうな」

(え?)




 その後、全機体がハンガーに収納されると私はマルチプレイヤーの予備機から信じ難い話を聞いたのだ。この中の誰かが#790と入れ替えになる、と。


『どういう事!?』

『#790は新機として此処に送られてくる。ピッカピカなヤツで、たぶん性能も僅かに良くなってると聞いた』

『じゃあ、性能的に落ちた古い機体と……』

『その可能性が高いな。僕は皆みたいに固定したポジションがないんだよな。たぶん、僕なんじゃないかな』

『そんなっ、まだ決まって……はっ!』


 そんな時、私は青井の眉の下った顔と、暫くゆっくりと休もうなと言うことばを思い出した。


(それ……。わ、た、し)


 久しぶりに高まって熱くなったボディは急速に冷えていった。ピタリとつけられた車輪止めチョークがカタカタ鳴った。


 頭の片隅で浮かんだのは廃棄という言葉だった。私は鉄の塊に戻る? 綺麗にピカピカに磨かて、何処かに永遠に置かれるの? それとも整備士の卵の教材になって、イジられて分解されて……ボディにも錆が入って。


(怖い! 青井っ、青井助けて! 私のドルフィンキーパー)


 いや、彼の名前も塗り潰されて私は誰のものでもなくなる。この感情も消され、無に戻る。だったら恐がらなくてもいいじゃない。


(無に、なれるなら……)





 暫しの休暇の後、正式に発表があった。#725と#790を入れ替えると。あの日、沖田飛行隊長が私と飛んでくださったのは、最後の餞フライトだったのだと今更知った。青井からのプレゼントだったのだ。


 コツコツとブーツの音を響かせて、久しぶりに青井がやって来た。いつもと変わらい声で「おはよう」と言ってノーズを撫でる。それは彼のお決まり。


(ねえ? 今日が最後なんでしょう。名前を消しに来たのよね。いいわよ! ひと思いにやっちゃって)


「もう知ってるよな。寂しいよ。でも、浜松までは立派な飛行をしてくれよ。しっかり整備するし、俺も一緒に行ってやるから」


 青井が整備を開始した。もう使うことはないのに、スモークノズルまで入念に。今思えば、青井の手が好きだったな。熱い夏の日も凍てつく冬の日も、必ず最後はグローブを外して素手でチェックしてくれた。私のボディは外気に合わせて熱くも冷たくもなるというのに。


(青井っ、サヨナラだね。寂しいね、悲しいよ)


 悲しい。そうか、私は青井と離れたくないんだ。



 その後、数名のグランドクルーの手によって垂直尾翼に書かれた6の数字は塗り潰された。そして、T.AOIの文字も……消えた。


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