その手で、愛して。ー 空飛ぶイルカの恋物語 ー

佐伯瑠璃(ユーリ)

本編 

第1話 空を泳ぐイルカ

 眩しい光に包まれて、また今日が始まる。ガガガッーという音をたててシャッターが上がった頃、「おはよう。今日も宜しく」といつもの声がした。

 私の名前は#725。白と青のボディーが私たちの存在を輝かせてくれる。別名T-4ブルーインパルス6番機である。


「昨日はソロ頑張ったよな。どれ、朝一番のチェックだ。今日も派手に飛ぶらしいぞ」


 そう言いながら私のノーズを優しく撫で撫でしてはボディ全体へその手を這わせる。彼は私の専任整備士ドルフィンキーパー、青井翼だ。私の天蓋の淵にはパイロットの名前、そして整備をしている彼の名前がエンジン付近にT.AOIの文字で書かれてある。彼は沖縄からここに転属してきた元F-2、F-15の整備士だ。


(なんで、ここで整備士してるんだろぅ)


 この時間帯、ドルフィンライダーことブルーインパルスのパイロットたちは今日の訓練内容の確認をしている。それまで私たちドルフィンはそれぞれの整備士からボディを診てもらうのだ。私は6番機だからオポジションソロといって、一機で幾つかの演目をする。

リードソロである5番機とクロスしたり、スクリューしたりもするの。


(派手に飛ぶらしいて、どういう事?)


「今日は来年から飛ぶ予定の訓練生が操縦桿を握るってさ」


(え? ああ、そういう時期なのね。私の癖に早く慣れて欲しいわ)


「どれ、油圧はどうだ……うむ……」

(ん? なに、何か変なの)

「大丈夫だろ。操縦桿の遊びが新人くんに合えばいいな」


 私の操縦桿は他の機体に比べたら、少し遊びが多いのだと彼は言う。


(あっ……もぅ。そのタッチ擽ったいよ)


 彼はぎゅって握らないの。包み込むように握って片方の手で根本を支えている。前後に揺らしたり、ぐるりと回したりとライダーとは少し違う動きをさせる。それが準備運動かマッサージみたいで気持ちがいい。


(気持ちが、いい? そうね、青井のタッチは優しくて気持ちがいいわ。リラックスできるというか、妙な力が入らなくて済むの)


 彼がシートに座っている間はついうとうとしてしまう。安心感と言えば正解だろうか。痛いことはしないって信じきっているから。スモークオイルポンプのオンオフや、低高度警報のシステム設定を確認したり、ハンドグリップにグラつきがないかを入念にチェックしている。全てにおいて程よい刺激が、ううーんと伸びをしたくなる。


「よし、次は後部座席だな。終わったら駐機場エプロンに出すからな」


 まだこの時点ではエンジンはかかっていないのだ。たまに、エプロンに出ずしてドッグ入りする事もある。多分、私は問題ないと思う。自分の事は自分がよく分かっているもの。


「今日は後ろに沖田が乗るらしいぞ」

(えっ!! 沖田飛行隊長が!)

「アイツ、全機体に乗りたがるよなぁ」

(楽しみっ)


 沖田飛行隊長は以前、5番機に乗っていた優秀な方だ。彼の手に掛かればどんな機体でも空を泳ぐように舞うように飛べるのだと言う。


(あ、でも……後部座席か)


「オッケー! 行くぞ」


 一通りのチェックを終えて、私たちは順にエプロンに引っぱり出された。


(さあ! エンジンかけちやって!)


 外に出ると整備隊が数名がかりでガソリンホースを引いてきてくれたり、お腹の下に潜り込んで外装の確認をしたりする。


ー ウイーーン!!


 私たちのエンジン音は人間にしたら鼓膜を傷つけるほど大きい。だけど傍で整備をする彼らは文句も言わずに噴き出し口やギア回りを丁寧に触診していく。コツコツ叩いたり、掌を這わせたり、時にネジを締めなおしたり。彼らは皆、ガンベルトという工具セットが入ったものを腰に巻いている。そこから必要な道具で私たちのボディを調整してくれる。

 普段は迷彩の作業服だけど展示飛行の時は、全員あのブルーの飛行服を着るのよ! とてもカッコイイんだから。私たちもその日だけは展示用のロゴ入りのギア止めだし、梯子ラダーだってブルーインパルス仕様に変わるの。


「ウイングもオッケー! よし、今日も3回の飛行訓練宜しく頼むよ」

(任せてっ。それなりにベテランだからねっ)


 気づけば私も古株だ。どんな若造が乗ったって、軌道修正しながら飛行出来るのよ。今日もビュンビュン飛ばしてみせる。

 

 

 暫くするとヘルメット片手にライダー達がやってきた。今度は整備したそれぞれの機体を、ライダー自身が飛行前点検をする。手で触ったり、目視でボディ全体を確かめる。


(あぁ、沖田飛行隊長のその視線。熱いわ)


ー コンコン、サワサワ、ギシッ、ギシッ


 屈んでお腹の部分をコンコンと軽く拳でノックする。ノーズを撫でたかと思うと、ウイングにぶら下がるようにしてしなり具合いを確かめる。そうしながら訓練生に点検方法や私の癖を伝えていた。


「おい! 沖田。ウイングあんまりしならせるなよ。こいつは戦闘機じゃないんだからな」

「ん? あぁ、そうだった。新人指導ってなるとついな」

「早く慣れてくれよ、ブルーインパルスの飛行隊長殿」

「青井、覚えてろよ。いつかお前を乗せてアクロしてやるからな」


 沖田飛行隊長と青井は同期らしく、いつもこんな調子で話をしている。この二人はきっとお互いの事が好きなのね、なんて考えると訓練もまた楽しさが増す。


(ほら、訓練生が困ってるよ)


『わぁ、羨ましい。沖田くんが乗るなんて』


 隣で飛行前点検を受けている5番機ちゃんが声をかけてきた。沖田飛行隊長が若かりし頃、やんちゃな飛行を共にしていた彼女はため息混じりにそう言った。


『飛行隊長の腕はそんなにいいの? 楽しみだわ』


 私は6番機になる前は1番機だった為、沖田飛行隊長のソロは知らない。ずっと5番機の彼女が言うくらいだもの、凄腕なのだろう。


『いいわよー。そのまま逝っちゃうかもしれないくらい、イイわ』

『でも残念。後部座席だって』

『それは残念ね……あ!』

『なに』

『ちょっと脅かしたらイイじゃない? 訓練生の僕ちゃんを。思わず沖田くんが操縦桿を握りたくなるように』


(……なるほど。そういう手があったか)




     ☆



 天気は晴れ、一区分での訓練開始。一区分というのは展示飛行の基本課目であり、雲や風の状況で内容がかわる。天候に合わせて二区分、三区分と課目の呼び名も変え展示内容も調整していく。

 普段はそれぞれのパートだけ訓練したり、フィールドアクロといって基地上空での訓練や基地から離れ洋上でも訓練をする。一日三回の訓練が基本となっていた。


「よし、乗れ」

「はい!」


 沖田飛行隊長の掛け声で訓練がスタートした。


(私も頑張るわよ!)



 1番機から4番機が離陸し、5番機と私は離陸許可が出るのを滑走路脇で待っていた。4機はいつもと変わらず綺麗にダイヤモンド隊形で基地上空に戻ってきた。


(懐かしいなぁ。1番機だった頃は常に皆の先頭だった。スモークを噴くことはあまりなかったけれど、左右の幅や後ろとの距離は常に気にしていた。ボディ全体を研ぎ澄ましていたのよ)


ー ウイーーン! ゴゴゴゴゴー!!


 5番機が滑走を開始した。彼女の離陸は毎回見惚れてしまう。

 ローアングル・キューバン・テイクオフ。滑走して直ぐ離陸し滑走路に擦れるほどの低い距離で飛行し、スモークを噴きながら機首をほぼ90度に上げ急上昇して機体をロールさせる技。初っ端から派手に舞い上がるの。


「よし、行けっ!」


 離陸の指示が入り沖田飛行隊長の声で滑走を開始した。私はオール・オン・テイクオフ。通常の離陸から緩やかに機首を上げロールしながら上昇する技。展示飛行本番では5番機ちゃんと同時に離陸開始して、最後は残ったスモークがクロスするように飛ぶ。


 ぎゅと、訓練生が私を強く握りしめた。彼の緊張が私のギアまで伝わって、思わず身震いしたわ。本当は少しイタズラしてやろうかって思ったけどやめた。だって、青井がじっと私の事を見ていたから。その眼差しが私のエンジンをきゅんと鳴かせる。まるで青井から「信じているから」と言われたみたいで。


(青井が叱られるもの……やっぱり出来ない。私のボディには青井の名前があるから)


「シックス、レッツゴー! スモークッ、オン」


(任せて、訓練生! 私があなたを一人前にしてあげる)


ー シュルシュルシュルシュルッ……ゴー!


 ほら、私のボディも悪くないはず。華麗に捻りを入れてターンしてあげる。

 空は青く、雲は白い。松島の海はキラキラ反射して眩しくて。だけどその光が私を美しく見せてくれる。


 空は私の海。私は空を泳ぐイルカ。

 あなたは私に跨がるドルフィンライダー。


 私たちはブルーインパルス!

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