第3話 私、消えてなくなります

 展開当日。

 展開という言葉も、もう使うことはない。展開とは私たちブルーインパルスが展示飛行に向けて目的地へ移動することを言うのだ。7機(予備機含む)で編隊を組み大空を飛ぶ。今日はいつも経由地でお世話になっていた浜松基地が最終目的地。そこで私の運命が決まる。

 昨日、浜松から新機の#790が松島に到着した。多くの航空ファンが基地周辺でカメラを構えて待っていた。フラッシュの洗礼を浴びながら新たな任務が始まる。彼なのか彼女なのか分からないけれど、1番機になるらしい。私は静かにここを去ろう。いつか皆が通る道だもの、悲しくなんてない。


「おはよう」

(青井、おはよう)

「今日も宜しく頼むよ。昨日来た浜松のパイロットが、折り返しで君に乗るよ。俺も整備員として後ろに乗る」

(青井と一緒なら、嬉しいな)


 最後の、最後の飛行点検を終えハンガーアウトをした。目の前には共に飛んできた仲間が並んでいる。


『#725、お疲れ様。直ぐに後を追うよ』

『何言ってるのよ。まだ来ちゃダメだからね』

『#725、アンタ美人だったわ。アンタの飛行は美しかった』

『ありがとう』


 まさか私たちがそんな会話をしているなんて、人間は思ってはいない。組み立てられて、塗装されてエンジンかけられたあの日から、幾つもの空を飛んできた。多くのクルーに支えられ、全国の空を舞い光というものを味わった。そんな中で起きた悲しい事故も、信じ難い災害も皆で乗り越えてきた。


(誰かが言ってたなぁ。走馬燈のように過去が蘇るって。走馬燈って何だろ、分からないけどきっとこんな感じかな)


「宜しく!」


 浜松のパイロットが乗り込んだ。その後ろに青井が乗った。青井が乗っているんだもの、最後まで安定した飛行をしなくちゃ。


「青井くんが、飛ばしてもいいんだぞ」

「いえ、最近はあまり飛んでいませんから」

「沖田くんから聞いている。訓練したんだろ。最後のアプローチは君に任せるよ」

「……はい」


(え? 青井が、青井が私を!?)


 滑走路に移動すると、昨日と同じように航空ファンがシャッターを切った。中には毎日私たちの様子を記録してくれている人もいる。


「お疲れ様ぁー!!」

「お疲れー!! ありがとう」

(やめて、泣かせないでお願い。フロントウインドウが霞んじゃう)


 最後の離陸を基地の仲間や航空ファンに見守られながら、私は松島基地を離れた。ありがとう、ありがとう!

 機体を左右に揺らしてバイバイウイング。大きく旋回してキラキラ光る洋上に上がった。




     ☆




 あと10分程で着陸態勢に入るという頃、浜松基地管制隊から位置確認が入った。今日は西からの風が強いとの事だ。


「青井、どうする。風があるらしい」

「浜松では死ぬほど訓練したので、問題ないと思います」

「そうだな。ではこれより青井にコントロールを移す」

「はい!」


 飛行中に聞いたのだけど、実は青井は戦闘機パイロットとして訓練を受け、ウイングマークも取っていたのだそうだ。今思えば、他のグランドクルーより階級が高かったのはそういうことなんだね。

 コントロールが青井に代わった。青井が握る後部座席の操縦桿はいつもの彼の手の感覚でとても優しい。


(青井、心配しないで。浜松の風はよく知っているわ。速度を極端に落としたりしないでね)


 私のボディはいつになく軽かった。スーッと風を裂くようにファイナルアプローチに入った。横からの風は煽るように吹いてくる。でも、青井も私も落ち着いていた。私にとっては何度も展開で降りた中継場所、青井にとっては訓練で体に叩き込まれた場所。


ー シューー! ゴッ、キューン、ガガガガ


 ギアが滑走路について、エアブレーキがかかると急速に速度は落ちた。途中、ウイングが何度もブレたけれど青井は上手くバランスを取っていた。


 柔らかな着陸。青井の最初で最後のランディングは忘れたくないな。




     ☆




 今後、私はどうなるのか知らされていない。でも、練習機として飛ぶことはなさそうだ。残りのガソリンは一滴残らず吸い取られ、この白と青の塗装は他の色に変えられてしまう。早く、無になりたい。


「ありがとうな。俺の最後の愛機」

(んん? 最後のってどういう事。もう整備士はやめるの? あ、パイロットに戻るとか?)


 青井は惜しむように私のボディを撫で額をコツンとつけた。最後に私のノーズにそっとキスをした。


「ありがとう」

(青井っ、青井? そんな顔しないで)


 人間が悲しい時にする仕草を青井が私にして見せた。少し鼻をすすって、裾で目の端を拭ったりする。それでも目の端からオイルみたいなものがポタポタ落ちてきた。


(青井がオイル漏れ起こしてる! 大丈夫!?)


 私には手を伸ばすことも出来ない。青井が辛そうなのに、私は撫でてあげることも出来ない。青井は私に沢山の手のひらの温もりをくれたのに、私は外気に左右される固いボディしか持っていない。私は青井に何もしてあげられない。ただの空飛ぶ鉄の塊で、でもそれさえももう出来なくなる……。


「あー、俺ダメだな。いちいち感情移入してたら整備士なんて務まらないってのに。何だろうな、君だけは特別だったよ」

(特別……嬉しい)


 私には喜びも哀しみも伝えることが出来ないの。だけど、それでも分かって欲しいの。私は青井の事が大好きだったよ。私の事を一番知っているのは、パイロットじゃなかった。青井だった。


「青井! 搭乗手続きをしてくれ!」

「わかりました!」

「ごめん。午後一番の連絡機で戻らないとイケないんだ。本当にありがとうな」


 青井がもう一度、今度はサイドにある私の番号を撫でて頬を寄せた。少しそこが濡れていたのは、青井の目から漏れるオイルのせいだ。人間が漏らすオイルは透明で綺麗だね。


(青井っ、ありがとう)



 青井が去った後、ハンガーのシャッターがガラガラと落ちて私の世界は暗転した。




☆.。.:*・°☆.




 私が現役を去った理由は油圧系統のシステムの破損。これに気づいた青井が修正をしたものの復旧叶わなかったと言うことらしい。油圧はとても重要で、大きなものを動かすために必要なものである。トレーラーやクレーン車など多くの機械もそれを使っていて、飛行機で言えばブレーキにも繋がるものだ。そんなものが壊れていては、大事なライダーの命を脅かすものとなる。

 沖田飛行隊長が私に乗った時に、油圧系統に問題があると確認されたらしい。あんなに激しいアクロバットをしたのに、私は気づかなった。


(情けない。自分のボディの事なのに気付かなかった)


 眉間にシワを寄せた青井の顔を思い出す。きっとあの頃から彼は気づいていたに違いない。毎日かけてくれる言葉と温かな手のひらに気を良くして、大事なことに気付くことができなかった。



『いいか。今から外していくから、よく見ておくように。T-4は中等練習機とは言えかなり性能がいい。偵察機としても飛べるくらいだ。でありながら、整備しやすい優秀な機体である』

『はい!』


 私はこれから分解されて、整備士の卵たちの教材になる。今、私の体は何色なんだろう? ねえ、どうしてまだ無になれないのかな。お腹の下でボルトが緩められていく。ずっと立ち続けてきたギアを外される。私はジャッキに支えられ少しづつ形を変えていく。コックピットは残されるだろうか、ノーズコーンも外されると少し不細工になるわ。天蓋キャノピーを開けられてネジを回されて、シートが取り外された。


(早く、眠りたいの。お願い。青井ならひと思いに、エンジンを外してくれたかしら)


 寒い、痛い、苦しい。だんだん景色が霞んで、今まで聞こえていた声も遠くなった。これが無への入り口なのかな。


ー カチャ……カラン……。


 私は消えてなくなる。また何処かで誰かの部品にでもなれたらと、一瞬願った自分に笑いが出ちゃう。


(青井翼……私の最後の機付長)


 忘れたく、ないな。


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