憧れの先輩

 立っているものは親でも使えと言うが、目の前に先輩が座っていたら遠慮なく使え、がモットーである。幸いに優しい先輩ばかりだから良いものの、ここに私みたいな性格の先輩がいたら脳天を凍らせた広辞苑でぶっ叩かれていることだろう。


 今日も先輩が頼みごとをしてきたので、「タダでやるわけにはいきませんなぁ」と下衆笑みで応じたらストロベリーチョコレートを買ってくれた。ピンク色と茶色が半分ずつになったのがとても好きだ。あれはロマンがある。単にピンク一色で構成されたストロベリーチョコレートは好きではない。あれにはチョコレートとしてのプライドというものがない(個人の感想です)。


 頼み事というのは、データのリカバリ作業だった。先輩が読み上げるコードを膨大なExcelシートの中から抜き出し、それに紐づく別コードを読み上げ、それを先輩が手動でシステムに入れていくという、アナログ此処に極まれりみたいな作業である。

 薄暗くて埃臭いサーバ室の奥隅で、パイプ椅子に腰を下ろしてアナログ作業をするSE二人。いつもなら仕事中に食べるのはカロリーの低いものなのだが、こういう状況下ではせめてお菓子も華々しくしなければやっていけない。


「新人に最近会った?」


 作業を始めてから一時間と少し。先輩が徐に口を開く。


「新人ちゃん達には夢を与えたいと思ってるんだよ」

「何ですか急に」

「こんなところで薄汚れた感じで仕事してるなんて知ったら、将来に絶望しちゃうと思うんだよね」

「あぁ、確かに」


 世間一般のSEのお仕事風景からは著しく脱している状況を見回して同意する。

 綺麗なオフィスで綺麗に着飾って、最新のパソコンと最新のソフトで仕事をしている人なんて都市伝説だと思っている。あるいは一切現場に出ないならあり得る。

 汚い場所で古いパソコンで、限られたソフトを駆使して仕事をしている我々を見たら、きっと新人は引くだろう。現場には出たくないとか言い出すかもしれない。ついでに言うなら電波もない。



「でも新人時代から引きずり込んでおけば慣れますよ。私のように」


 そう言うと先輩は胡散臭いものを見るような目を向けて首を左右に振った。


「新人らしさの欠片もなかった癖に」


 そんなことはない。今より少しは謙虚だった。

 先輩のこともそんなに使わなかったし、上司にももうちょっと丁重だった。一ヶ月ぐらいは。


「どうやったら新人ちゃんの夢を壊さずにいられるかな」

「話しかけなきゃいいんじゃないですか」

「仲良くはしたい」


 私より社交的な先輩の切実たる想いに、どう返したらよいかわからずにマウスを握りなおす。あまり自発的に行動するタイプではないので、後輩達にも滅多に話しかけない。仲良くしたくないわけではないが、仲良くしたいともそんなに思わない。


「新人とそんなに話す機会がないからねー」

「あぁ、先輩殆ど会社いませんもんね」

「……なのに私が道に迷ったとか、入館証をトイレに落としたとか、そういう話は知ってるんだよね」

「私が広めてますからね」


 脇腹を平手で思い切りぶっ叩かれた。

 酷い。私はただ新人たちに先輩の面白エピ……もとい、心温まる逸話を伝えていただけだ。平素会社にいない人にも親しみを持ってもらおうとしただけなのに横暴ではないか。


「会社いないほうがいけないんですよ。偶には会社行けばいいのに」

「用事がないんだもん」

「私の出張報告出してきてもいいですよ」


 はい、と領収書を張り付けた出張報告書を渡すと先輩は釈然としない顔をしながらも受け取ってくれた。

 ぜひとも会社に行き、後輩たちに「憧れの先輩像」を見せてほしいものである。

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