デジタルの風と鳥

 サーバ室に縁のある人はわかるかもしれないが、あの手の部屋は異常に寒い。熱を持つ筐体を冷やすために冷房やファンがフル回転しているのだから仕方ないことだが、真冬ともなると人間が作業する環境ではなくなる。

 冬はスーツにモッズコートを着込むのが常だが、あの防寒仕様をもってしても、寒さは骨身に染み渡る。


 特に天敵は床から吹き上げる冷風である。

 大量のコードを使うために、サーバ室は大抵底上げされている。床下のスペースにコードを這わせるというわけだ。そうでもしなければ、おちおち床も踏めぬほどコードが敷き詰められてしまうだろう。

 その床下スペースから、巡り巡った冷風が吹き出す。足を冷やされると一気に体温が奪われる。


 我々システム担当はそれを避けることが出来るが、サーバ構築担当はそうもいかない。寒さに叩きつけられながら、サーバを組み立てなければいけないのである。


 ある時、後から一つサーバが追加されたため、構築担当が現場にやってきた。

 もう大元のサーバは組み立て終わっているので、床に這うようにしながら配線を行っていた。

 何気なくその様子を眺めていたら、その人は丁度床の通風口の上にいたので、ズボンの裾が風でバサバサと揺れているのが見えた。

 寒そうだなー、と完全なる他人事モードで見ていると、今度はシャツがバサバサ音を立て始めた。

 動き回っているうちに、ズボンに入れていたシャツの裾が少し出てしまったのだ。


 吹き上がる風。はためくシャツ。

 とうとうシャツの裾が完全にズボンから外に飛び出した。

 白いシャツの裾が勢いよく風に舞い上がり、その人の背中がチラ見する。

 良い年したオッサンの背中が視界に入る。あまり楽しい光景ではない。

 教えたほうが良いかな、と思ったが、丁度繊細な作業をしているところで、声が掛けにくかった。


 まぁ、少しだし良いか。気付くだろ。

 そう思って、私は別の作業をするためにサーバ室を出た。


 五分後に戻ってきた時に見たのは、シャツの裾を豪快に舞わせながら作業をしている姿だった。

 背中も腹も見えてる。バサバサバサバサ音を立てて、まるで翼のように揺れている。


 え? 何で気付かないの?

 それとも気付いてて放置してるの?


 どうしたら良いか分からないでいる私の目の前で、ふと床下からの風が止んだ。

 ゆっくりとシャツの裾が重力に従って落ちていく。

 指摘するなら今だ、と思って一歩踏み出したときだった。


 空調が再び、今度は断続的に動き始めた。

 シャツが小刻みに上下運動を開始した。小さい鳥が羽を動かしているかの如く。


 限界だった。思い切り吹き出した。

 私の声に気づいた他のメンバーも、その視線を追って次々に笑い出す。


 彼は真面目にやってるし、1ミリも悪くない。

 だが、彼の腰に突き刺さった鳥のようなシャツの動きは、破壊力抜群だった。


 寒い部屋の中、冷風に叩きつけられながら私達は笑いを零す。

 ごめんなさい、悪気はないんです。

 全て、風が悪い。シャツが悪い。


 笑い声に気付いたその人は、自分がどうなっているか気付くと、焦ったようにそのシャツを掴んで、強引にズボンにねじ込もうとした。

 その拍子に、ズボンがずり落ちた。


 もうダメだ。笑いの神がここにいる。寒さの中に震える私たちのために降臨したのだ。

 ズボンを引き上げようとする彼の手から離れたシャツは、また鳥の姿へと戻る。

 いつまでも終わらない地獄絵図の中で、誰も彼もが笑っていた。

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