3.お一人様デート

「え?……どうしてここに……?」


 小柳静香が親の仇でも見るような、それとも信じられないのもでも見るような表情で尋ねる。


「い、いやあ……えーと」


俺はそれに答えること出来ず、曖昧な声を出す。それもそうだ、実際答えることなんてできるはずがない。ストーキングしていたなんて……。


「と、ところでさ、君は何をしているの? わざわざこんな場所まで……」

「……妹の見舞い」


小柳さんは、これ以上聞くこともなくこちらの質問に答えてくれた。後を付けてきたことは、恐らくバレているだろうJK(常識的に考えて)。


「そうか……それで、どんな病気なんだ? 病名は?」


彼女は俺の無神経な問いに呆れたようにため息を漏らす。


「うっ……わかった、教えてあげる。どうせ言わないと放してくれなさそうだし」

「いいや、そのようのことは、全く、おそらく、たぶん……しない」

「場所を変えましょうか。下の階にカフェテリアがあるの」


彼女はそう言って、手で歩くよう促した。




「病名は……『わからない』わ」

「え? それってどういう……」

「正しくは『治っているはず』ってところね」


 俺は淹れたてのカフェラテを口に含みながら、聞いている。彼女は抹茶ラテを購入した。


「昨年の十二月、当時の私たちの自宅で、妹が倒れているのが見つかったの。両親も遅くまで働いているし、その日はちょうど試験があって私の帰りも遅かったから、発見されたのは夜遅くになってしまったわ」


その頃は、俺も彼女も受験シーズン真っ只中だった。


「四十二度近い高熱だった。それで診断結果はインフルエンザ」

「まあ、そういう時期だしな」

「もちろんインフルエンザ自体は一週間程度で治って熱も引いたわ。でも……」

小柳さんの表情が一層険しくなった。

「まだ……目を覚まさないの」

「そ、それって!?」


 今の季節は春、しかも五月の半ばだ。高熱で倒れたのが十二月と考えると、その異常さがわかるだろう。


「しばらくしたら目を覚ますだろうって、お医者さんには言われた……でも、一か月経っても起きなくて、この大きな病院に移されて……」


 彼女の顔は、今にも崩れてしまいそうだった。


「でもやっぱり起きなくて……ここのお医者さんも……これ以上は、む……ムリ……だって……」


 認めたくなかったのだろう。『二度と目覚めないかもしれない』なんて……。それでも彼女は、なんとか伝えようと、言葉を絞り出すようにして、紡いだ。


「……そっか、大変だね。でも、きっと大丈夫だよ!」


気づけば俺は、そう声に出していた。


「ほんと……?」


 小柳さんは、その返しは予想外だったのか、言っている意味がわからないといった顔でこちらを見ている。


「あ……お、おう! その子はまだ生きてるんだろ? なら、きっと助かるって!」


 それは、医学なんて全くわからない素人の、根拠なんて一切ない無責任な言葉だったが、彼女、小柳静香が最も求めていた言葉でもあった。


「ほんとに……? ほんとにあの子は元気になるの?」


小柳さんは、今までの鉄のような仮面はどこへやら、まるで子どものような懇願の表情を見せた。


「ああ、なるとも! 俺が保証する!」


 ここまで言ってしまったからにはもう後戻りはできない。

 彼女はハッとしていつもの冷静な顔に戻ると、言った。


「あ、あなたの保証なんてこれぽっちもあてにならないわ」



……とげとげしい態度もここまでくるとかわいく見えてくるな。




「秋斗さん!」


 翌日の土曜日のこと。コーヒー片手に新聞を読みふけっていると、ユウちゃんが声を掛けてきた。


「ん、どうした?」

「どこか連れて行ってください!」

「ほう。例えば?」

「遊園地とか、映画館とか、リア充がデートで行きそうな場所!」

「ぶはっ! げほっ、ごほっ」


飲んでいたコーヒーを吹き出してしまった。


「で、デートって……おまっ」

「デートに行きたいんです! もしかしたら成仏するきっかけになるかもしれませんよ?」

「そんなモテない男の幽霊みたいな…………でもまあ、一理あるな」

「でしょう?」

「よし、デートに行こう!」

「やったー!」




  あまり人目について問題になるわけにもいかないので、デートにの舞台には『映画館』を選択した。


「どんな映画が見たいんだ? 好きなの選んでいいぞ」

「そうですねー……あっ! これなんてどうですか? デートっぽくないですか!?」

「んーと、なになに? 『十三番目の花嫁』……?」

「はい、これにします!」

「いや待て、これホラーだぞ? 大丈夫か?」

「え? ……だ、大丈夫ですよ! ホラーなんてぜんぜん余裕ですし? そもそも、お化けなんていないんですよ。うそんこです!」


おい幽霊。それを言っちゃあ、いかんぜよ。


 「やめといたら?」と再三聞いたが、本人の強い意向により、今日見る映画は『十三番目の花嫁』に決まった。

 チケットを二枚購入しようとすると、受付の人に不審がられたが、「連れの分です」と言ってごまかした。幽霊は見えてないんだから払わなくてもいいだろ、とか思うかもしれないが、なんか申し訳ないので、ユウちゃんの分も買うことにした。




 映画自体はそれなりに面白かった。浮気症の外人の主人公が結婚と離婚を繰り返していたが、ちょうど十三番目の結婚相手は、実は事故で亡くなってしまった最初の妻の妹だった。彼女は、主人公が姉を意図的に殺したと思い込んでおり、その復讐『信じていた結婚相手に殺される苦しみ』を味あわせるためだけに初対面を装って彼に近づいたのだった。しかし、なんとか結婚までこぎつけたはいいものの、彼女は志半ばで不慮の事故で亡くなってしまった。その幽霊に主人公が追い掛け回される……とまあ、そんなお話だ。


 だが、当のユウちゃんはというと……


「ひっく……えっぐ……」


御覧の有り様だ。


「ホラー余裕じゃなかったのか?」

「な、なにを言っているんですかっ? ぜ、ぜんぜんこわくなかったです!」

「嘘つけ。ずっとキャーキャー言ってたクセに」

「そ、そんなことは……」

「いやあ、面白かったなあ! 特に最後の方で花嫁のがい……」

「キャーッ!!」

「ほら、あるだろ?」

「うっ」

「ぶふっ、あははははは」

「うう……ひどいです……」

「ごめんて」


ユウちゃんはふんっと言って拗ねてしまった。


「悪かったって。あ、ほら。あそこにクレープあるから機嫌直して」

「クレープ! 食べる!」

「単純! 三平方の定理と同じくらい単純!」

「三平方の定理はそれほど単純じゃないと思いますよ?」


あ、やべっ、口に出してた?


「……って、いいのかよ単純の方は否定しなくて!」

「はっ!」


忘れてたんかーい! 知能レベルが妙なところで高校生だな……




 その後、ユウちゃんは『バナナチョコカスタード&イチゴショコラスペシャル』とかいうお高いクレープを幸せそうに頬張り、上機嫌だった。……トホホ。




「お、おはよー精神異常者!」

「ヤメロ、喧嘩売ってのか?」


 一週間後の学校。今日はあの診断書を提出する日……。


「なあなあ秋斗、聞いてくれよ! この前、遊びに行く話したじゃん? そんでこの週末にカラオケ行ってきたわけよ。そしたらユミちゃんとめっちゃ目が合ってさー。これって俺のこと好きなんじゃね?」

「知らんて。偶然じゃないの?」

「いや、俺にはわかる。幾度となく女性にあの目を向けられてきた俺ならな!」


そんなに向けられてるなら彼女いない歴=年齢にはならないだろ。


「あのまるで獲物を睨むかのような鋭い視線、捕らえられなさそうだと悟ったかのように屈辱感で歪ませた顔……いやあ、ゾクゾクするねっ!」

「ア、ハイ……ヨカッタネ」


うわあこいつやべえ奴、近寄らんとこ。


 その時、俺の背後から声が掛かった。


「ねえ君、ちょっといい?」

「へ? 俺?」


声がした方へ振り返ると、小柳さんが立っていた。


「そう、君。他に誰がいるの?」

「え、いや、コイツとか」


俺は、隣の友人(変態)を指さした。


「はい? ありえないわ」

「あ、そっすね」

「え、何? ひっど!」


 友人がガーン、と言ってリアクションをとるが、彼女はそんな彼にはお構いなしといった様子で話を続ける。


「ちょっと来てくれないかしら」

「わかった」


まあ、ぶっちゃけちょうどよかった。


「な、お前。いつの間に小柳さんと仲良くなってんだ? 彼女はどうした、彼女は」


…………この変態と少しキョリを置きたいと思っていたところだったからな。




「それにしても、あの誘い方はないわ。教授に呼びつけられたかと思ったじゃんか」

「そうかしら? どのあたりが?」


小柳さんは本当にわからない、といった風に首を傾げた。


「『君』ってなんだよ君って」

「だって私、君の名前知らないもの」

「ああ、そっか」


そういえば言ってなかったけ。


「秋斗。遠山秋斗だ」

「そう、遠山秋斗、ね。私は小柳静香よ」

「うん、知ってる」

「それで、要件なのだけど」

「ああ、そうだったな」

「連絡先を教えてくれないかしら」

「へ?」

「ほら、妹のことで連絡が取り合えないとなにかと不便でしょう?」

「あ、ああ。そういうことね」


 病院で話したあの日俺は、妹さんのことを救う手助けをする、と約束してしまったのだ。俺は、スマホを取り出して、無料通話アプリのQRコード画面を表示した。


「それは……なにかしら? 私は連絡先を交換したいのだけど」

「え? だからこうやって友達追加のためにQRコードを……って、もしかしてやってない?」


小柳さんはコクリと頷いた。


「ならしょうがないか。えーと、電話番号とメアドは……」


電話番号もメールアドレスも、いまどきなかなか使わないので見つけるのに少々てこずってしまった。


「はい、これ」


メモアプリに番号とアドレスを書き写した画面を小柳さんに見せた。小柳さんはそれらを入力すると、こちらに電話を掛けた。


「はい、もしもし」


応答すると、スピーカーからのブツッという音とともに切れてしまった。


「その番号を登録しておいて」


そう言われてスマホの画面を見ると、彼女の電話番号と思わしき十一桁の数字の羅列が表示されていた。


「おおー、すげえ」

「何を驚いているの? 一般常識でしょうこんなもの」


SNSという便利ツールに染まった今どきの若者はこんなやり方知らんのですよ。え? 俺だけ?


 同じように、件名に「こんにちは」とだけ書かれたメールが届いたので、彼女のアドレスを登録する。かくして、電話番号とメールアドレスの交換というミッションを無事に完遂することができたのだった。これは、俺の電話帳に両親以外の連絡先が初めて登録された、記念すべき瞬間である。




「ふーむ、それで。検査の結果、何もなかったと……」


 ここは鎧塚の研究室。さっきからガンガン警告を鳴らしているのは俺の大脳新皮質。


「はい、ですので自分は別に精神異常者じゃないんですって」

「この紙を見る限りはな。それにしても、半分冗談だったのに本当に行くとは」


アンタの場合冗談に聞こえないんだよ!


「……まあいい、今回は見逃してやる」

「あ、ありがとうございます!」


 鎧塚はゆっくりとこちらに振り向き、だが……と言った。


「いかなる理由があろうとも、金輪際俺の講義の邪魔をするんじゃないぞ。わかったな?」

「は、はいっ!」



……しくじった。声が裏返った。

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