2.小柳静香の事情

 リビングにてものの数秒で回収されたフラグをなんとか片付け、急いで学校へと駆けつけた。


 クソッ、あのポンコツ幽霊め……後で覚えとけよ……。


 手早く一限の支度を終えた俺は、すでに到着していたと思われる近くの友人へと声を掛ける。金髪にピアスで、なんとなくおチャラけたイメージがするが、実際チャラい。


「はよーす」

「ああ、おはよ。今日は遅かったな」

「いやあ、ちょっと色々あってね」

「色々ってなんだよ、なんだ? やましいことか?」

「ちげーし、ユウちゃんが皿割ったから片付けてたんだよ」

「ゆうちゃん? 彼女か?」

「彼女? いや、違う違う」

「じゃあなんだよ?」

「え、あー。いや、間違えた。俺が皿割ったから片付けてたんだ」

「へー、そーなの。ふーん」


 なにか面白がるようにニマニマとした表情が癪にさわるが、これ以上言ったところで信じてはくれないだろう。


「ところで秋斗、今度みんなで集まって遊びに行く予定があるんだが、お前も来るか? 女の子も来るぞ」

「うーん、どうしようか」


正直言うとあまり乗り気でない。だが、みんなが行くというのに自分だけ断るのは躊躇われた。

 しばらくどうしたものかと悩んでいると、視界の端、正しくは講義室の隅っこに一人、ぽつんと座っている、ミディアムヘアーの女子学生が目に入った。彼女は確か……。


「小柳さんは誘ったのか?」

「小柳さん? ああ、あの子か、小柳静香おやなぎしずか。誘ってないぞ。いつも一人で居て、なんか誘いづらいし……なんだ? お前、気になるのか?」


 友人は、「だがしかしお前にはゆうちゃんという彼女が……」などと呻いている。

小柳静香さん……か。彼女が行かないなら別に行かなくてもいいか。


「誘ってくれてありがとう、今回は遠慮しとくよ」




 午前の講義を終え、昼休みとなった。講義室では、友人たちが遊びの話で盛り上がっている。仕方なく俺は、一人で学食に向かうことにした。

 少し並んで、券売機にて食券を買う。今日は……ラーメンにしようか、いや、今日「も」ラーメンにしよう。

 ラーメンの食券を購入し、食堂のオバチャンに渡す。しばらくすると茹で上がりなのか、もくもくと湯気をたてるアツアツのラーメンが出てきた。


「はーい、栄玲ラーメンね」

「いただきます」


 特製醤油の濃厚な匂いが鼻腔をくすぐる。うん、相変わらず旨そうだ。ここ栄玲えいれい大のラーメンは秘伝のスープとできたてが売りのいわゆる学食グルメというやつだ。そのため、このラーメンを食べに、卒業生までわざわざ学食にやって来る程だそうだ。

 俺はラーメンを受け取ると席を探すために辺りを見渡した。もうハラペコだ。どこか、空いている席は……。学食の隅の壁際、窓際でもなく、日当たりも悪く、見通しも悪そうな場所に一つだけ席を見つけた。


「仕方ないか」


 そう言って俺はその席へと向かった。二人掛けの席で、向かいは既に埋まっているようだ。そこに座っていたのは、黒髪ミディアムの女子学生。そう、話題にも上がった小柳さんだった。


「すいません、ここいいですか?」


返事はない。


「失礼しますね」


そう一言だけ言って座らせて貰った。

 なにか話そうかと思ったが、さっきからずっと漂ってくる、香ばしいラーメンの匂いに、俺の腹はもう限界だった。早速一口目をすする。秘伝のスープの油を纏ってテカテカと照り輝く麺を口に運ぶと、ちじれ麺の確かな弾力と特製醤油の濃厚な旨みが感じられる。やっぱり美味しいなぁ。



 一通り食べ終えたところで、やっと意識が小柳さんに向いた。


「小柳さんは遊び、行かないんだ?」


彼女は暫く黙っていたが、ようやく口を開いてくれた。


「ああ、その話ね……行かないわ」

「そうか残念。小柳さん、いつも一人で居るみたいだから気になって。新しい友達を作るいい機会だと思うんだけどなぁ」


彼女の表情が少し険しくなった。


「私は好きで一人で居るの。それに私、誘われてないから」

「あ、ああ、そうなのか。分かった」

「……ほかに何か? 私、この本読んでるから……」

「そ、そうだな。すまなかった……」


俺はラーメンのお盆を持って、そそくさと立ち上がる。


 これが、彼女との初めての会話だった。




 午後の講義を終え、帰宅する。


「ただいま」

「あ、おかえりなさーい」


本来なら返事がないはずの我が家から、可愛らしい声が返る。


「もう、遅いですよぅ! わたし、おなかペコペコですっ!」

「いつも通りの時間じゃないか。待ってろ、今から夕飯作るから」


そう言って上着を脱ぎ、台所に向かいながら何気なしに尋ねる。


「今日は何も変なことしてないんだろうな?」


その言葉にユウちゃんはびくっと跳ね上がり、目をしばらく泳がせた後、錆びかけた機械のごとくぎぎぎと音をたてながら首を右に逸らし、ぴゅうと口笛を吹き始めた。


「なにか……したんだな……?」

「な、なんの……事でしょう……?」

「とぼけるな! いまどきそんなわかり易くとぼけるやつは、ギャグ漫画でもそう居ないぞ!?」


彼女は、な、なんだってー!? と呻きながら大袈裟に崩れ落ち驚愕の表情を見せた。


「それで、なにをしでかしたんだ?」

「し、しでかしたとは人聞きの悪い! わたしはなにもしてないですー! ふうひょうひがいですー!」

「そうか、そうか、なるほど分かった。そんなに今晩の夕飯を抜いて欲しいのか」

「や、ヤメテ! それ、それだけは!」


ユウちゃんはあっさりと吐いてくれた。





 彼女の話を要約するとこういう事だった。俺が前から気になっていた自動パン焼き機をネット通販にてポチッたところ、今日が配達となっていたようなのだ。

 自動パン焼き機って凄いんだぞ! 普通の食パンはもちろんのこと、菓子パンやおかずパン、ついにはピザまでこれ一台で簡単に作ることができる。明日からの朝食が楽しみで仕方ない。黒糖パンにココアパン、メイプルにコーヒーミルk……。


 失礼、話が逸れてしまった。とにかく、黒い猫の配達員がわざわざ家まで届けてくれたのだ。しかし、その時俺は大学の方へ行っていたので受け取ることができなかった。そこでユウちゃんは気を利かせて受け取りに出てくれたらしいのだ。

 普通に玄関のトビラを開け、普通にお礼を言いながら判を押し、普通に商品を受け取り、普通に扉を閉めた。彼女にしてはごく自然な受け取り方である。

 だがそれが、全く霊感のない、普通の配達員の立場から見たらどうなるか……。もうお分かりだろう。

 ひとりでにトビラが開き、宙に浮いた判子が勝手に押され、いきなり商品が持っていかれ、再びひとりでに扉が閉まった、という訳だ。

 配達員の方が恐怖に叫びながら不格好に逃げ出す様子が目に浮かぶ。まったく……あれだけ怖がらせるから人前に出るなと行っているのに……。


「良かれと思ってやった事なんですー」

「そうか、ありがとな。宅配便なら後でも受け取れるんだから、わざわざ出なくていいんだからな」

「はい……」


ユウちゃんはしょぼーんと肩を落とし、アホ毛を垂らす。どうなってんの? そのシステム。


 あーあ、これでまたご近所さんから変な目で見られるんだろうなぁ。まあ、そもそもここしばらくの幽霊騒ぎでご近所さん居ないけど。





 さて、まずは夕食だ。今日の晩飯はご飯に味噌汁、豚の生姜焼きに温野菜サラダといった、小学校の家庭科で習ったようなメニューとなった。ちょうどスーパーで豚肉が安かったのだ。


「んー、おいしいっ!」


 それでも、こうやってとてもおいしそうに食べてくれるなら、わざわざ作った甲斐があるってもんだ。


 それにしても……。彼女、ユウちゃんは一体どういった存在なのだろうか……?

今までに分かっていることは二つ。


・ユウちゃんはいわゆる『幽霊』で実体はないが、非生物や植物には触れることができる

 ・ユウちゃんは俺の住むアパートこの部屋から出ることができない


 ふと気になったことを、口いっぱいに白米を頬張る目前の幽霊に尋ねてみた。


「お前さ、いい加減成仏しないの?」


すると、ユウちゃんは急いで飲み込もうとしたのか、苦しそうな顔で胸を叩いた。


「んっ、んーー!!」

「ああ、ごめん。食べ終わってからでいいから!」


ようやく落ち着いた彼女は少し考える素振りを見せた後、こう答えた。


「さあ、分かりません」

「成仏っていったら、やっぱりなにかきっかけがいるんだろ? この世に思い残したこととかないのかよ?」

「知ってたら苦労しないですー」

「だよなー」

「成仏しろだなんて、秋斗さんはわたしがいなくなっても寂しくないっていうんですかっ!?」

「ああ、もちろんだとも! こっちは毎日毎日散々迷惑かけられてるんだ、居なくなったらさぞ清々するだろうよ!」

「あー! そんなこと言って! わたしがいなくなったらなんにもできないくせにー!」

「なんにもできないのはお前だろ! 家事だってロクにできない居候の穀潰しのクセに!」

「なんですって! わ、わたしだってちゃんと役に立ってますー!」

「例えば何だ? 言ってみろよ」

「それは……あー、えーと……。そう、そうだ! 秋斗さんの話し相手になってあげてます! こんな可愛い子に相手してもらっていること幸運に思ってくださいね!」

「別にー、頼んでないしー?」


そうあしらうと、彼女はむむむ……と悔しそうな表情を浮かべた。


「あー、もういいですーだ! わたしはこれからふて寝してやります! 秋斗さんの相手なんかしてあげないんですからねっ!」

「ああ! 勝手にしろ!」

 そう言って彼女は隣の部屋へとそそくさと逃げていった。おいお前、そこは俺の部屋だ……。




 食器を片付け、風呂に入り、明日の支度を終わらせて自室へ戻る。

 ユウちゃんは本当に寝てしまったようだ。


「さて、勉強するか」


 俺は机へと向かい、今日の授業で使われた情報の教科書を広げた。

 しばらくして、ふと今日あった出来事を思い出す。遊びに誘われたこと、そして……


「小柳さん……ね」

「呼びました?」

「うわっ!?」


後ろを振り返るとユウちゃんがいた。


「なんだよ、お前! 寝てたんじゃなかったのか?」

「なんか呼ばれたような気がして。さっきなんて言ったんですか?」

「はあ?」


声に出してしまっていたらしい。


「小柳さんのことか?」

「へー、小柳さんですか。あ、もしかして、好きな人とかですか?」

「ちげーよ、ただのクラスメイトだよ」


 ユウちゃんは、ふーん? と意味深に呟きながら、何やらニヤニヤしている。なんか気に食わない。

 なにやら気分が乗らないので、今日はもう寝ることにして、布団に入る。

 しかし、「小柳さん」という言葉に反応したのはいったいどういう訳か……。生前の彼女の苗字……? いや、それはないだろう。言い直すとまるで知らなそうな反応してきたし……す、好きな人がどうとかって。

 どうにも腑に落ちず、悶々と考えているうちに、いつの間にか眠りについていた。



 翌朝の目覚めはとても酷いものだった。




 今日も今日とて大学へ向かう。まあ、平日だしな。

ただ、いつもと違うところがあるとすれば……。


「秋斗さんっ! 見てください! ネコ! ネコがいますよ!」


ユウちゃんが着いてきている事くらいか。


「あー、わかった、わかったから。頼むから話しかけないでくれ。さっきから周囲の視線が痛い」

「つれないですねー、秋斗さんはー」

「そういう約束だっただろ!」

「はて、なんの事ですかー?」

「な、こいつ……!」


すれ違った女子高生から怪訝そうな目を向けられ、再び押し黙る。


「いいか、大学では絶対に話しかけるなよ」

「はーい、わかりましたー」


ユウちゃんはいい加減な返事だけ返して、再び周囲の散策を始めた。


「あ、わんちゃん! こんにちはー」


  グルルルルーワンっ! ワンっ!

なんかめっちゃ吠えられてるし。

 それにしても、どうして今になって外に出られるようになったのだろうか……?




 そんなことをしているうちに、気が付けば大学へと到着していた。

 カバンを置き、授業の準備をしていると、友人が入って来る。


「はよーす」

「おーす。お、今日は早いな。」

「ああ、昨日のはたまたまだよ、たまたま」

「ふーん、あっそう。にしても今日も今日とて酷い顔だな」

「ブサイクで悪かったなっ!」

「そうそう、なんとも醜い顔で……って、それもそうだが、その話ではなくてだな。最近ひどく疲れた顔してるなって思ったんだよ」

「否定してくれよ! ……ああ、確かに疲れているかもな」


 心当たりはある。ユウちゃんだ。(仕方なく)彼女と共に生活し始めてから、早一か月……。あんな生活がずっと続いていれば、そりゃあ疲れも貯まる。


「噂の彼女とお楽しみか? いいですねぇ、リア充は」

「だから違うってば、そんなんじゃねえよ……」


友人の悪ふざけにうんざりして視線を逸らと、昨日の窓際の席が目に入った。

そう言えば今日は小柳さん見当たらないな……。


 そうこうしているうちに、校内一の巨漢、鎧塚教授が入ってきた。




 退屈な授業とぽかぽかした春の陽気についウトウトとまどろんでしまっていた頃、不意に講義室の前方から女子学生の甲高い悲鳴が聞こえてきた。なんだ!?

 声の方へと目をやると、ユウちゃんがなにやらホワイトボードにラクガキをしているようだった。おー、すげぇー、何描いているか全然分かんねぇー。そりゃあ悲鳴もあがるわー、あの画力なら。

 ん……? 悲鳴……? あっ! そうだった、ユウちゃんは普通の人には見えてないんだった!


「どうです、秋斗さん! わたしの名画は!」

「お前はじっとしていられないのか!」

「スルーですか!? ま、まあ? わたしのすんばらしい芸術作品を前にして、言葉もでないのはわかりますがー?」

「どへたくそだよ! ……じゃなくて! 何やってんだよ! 大人しくしていろとあれ程言ったのに!」

「へたくそって言った! 秋斗さん今へたくそって言いました! ま、まあ、秋斗さんみたいな、かとうせいぶつには、あたしの絵は少し難しすぎましたかね」

「ああ、そうだとも、お前みたいなもう生物ですらないようなやつの感性なんてわかってたま……るか……」


 その時俺は、彼女の背後に……悪夢を見た。


「キサマ、何をしている……? このクソへたくそなラクガキをしたのはキサマか……?」


最凶の悪魔、鎧塚だった。


「いえ、違うんです! こいつが悪いんです!」


 鎧塚にまで自分の芸術を貶され、ようやくその真の価値に気付いたのか、酷くしょんぼりとした顔をしているユウちゃんを指さす。


「ふざけてんのか!? そんなところには誰もいないだろ!?」

「いえ、いるんです! ほら、お前も謝って!」


 彼女の頭を下げようと、頭を掴もうとするが、触れることなくスカッと通り過ぎてしまった。そうだ、ユウちゃんは物には触れても、生物に触れることはできないんだった……ほんとなにその都合のいい設定!

 その様子に鎧塚は、


「ほう? どんなやつだ?言ってみろ」

「えーと、高校生くらいの年の女の子で、黒髪ロングでふわふわした感じの髪型をしています。見た目はバカっぽくて、というか実際バカなんですけど、とにかくうるさいです。毎日毎日僕に迷惑かけてきて……ホント、頭が痛いです」

「そうかそうか、頭が痛いか。俺がいい医者を紹介してやるから行ってくるように。くれぐれも行く科を間違えるなよ? 精神科だぞ」



 この日俺は、不覚にも精神異常者のレッテルを貼られてしまったのだった。




「こんにちは。よろしくお願いします」

「はい、こんにちは。えーと、遠山さんですね」


 只今俺は、少し離れた場所にある、大型附属病院の精神科に来ている。鎧塚に「精神科で診てもらい、診断書を提出すること」と言われてしまったからだ。

 友人には「まあ、疲れが溜まってるんだよ。きっと」と慰められてしまった。もちろんユウちゃんには家でおとなしくしているよう、強く言い聞かせてきた。


「早速だけど、最近辛いこととかありました?」


……あるとすればユウちゃんの事だろう。しかし、それを話すわけにもいかず、「いえ、特には……」とだけ言った。


「そうですか。なら、今日はどうしてここへ?」

「えーと、教授に言われたからです」

「そうですか。それでは、先程記入していただいたシートから、いくつか質問させていただきます」




 その後も特に変わったこともなく、順調に診断は終わった。


これ精神科というより霊能力者とかに診てもらった方がよかったのでは……?

 

 それにしても結構広いんだな、さすが大学附属病院。高い天井に広いエントランスホール、中央には長いエスカレーター。俺の部屋の何倍あるんだこれ。


 普段見慣れない風景で、しばらく眺めていると見覚えのある人影が目に入った。

 俺は、悪いとはわかっていてもどうしても気になってしまい、後を付けることにした。


 沢山の病室が並ぶ廊下をしばらくあるくと、全く人がいない部屋がいくつも続いたのち、ようやく目的の部屋にたどり着いたらしく、その人は礼儀よく挨拶してから室内へと消えていった。

 さすがに室内にまで入るわけにもいかず、ネームプレートだけをちらりと覗く。


「小柳……優香……?」



 その時、再び扉が開き中から『その人』……小柳静香が現れた。

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