他の方のコメントも見ていて思ったのですが、なんだか文章ってお酒の好みみたいですね。
味わい深いものが良いのか。スキッとキレが良いものが良いのか。芳醇な香りか癖のあるものか。味なんて気にせず燃えるような度数か、はたまたフレーバーを楽しみたいのか。
作り手は自分の好みを追求して、お届けするのみ!
その洗練が足りていなければ、読み手は無料だろうと読む労力を放棄するだろうし、足元を見られてしまう。
おいしく楽しめる物語を届けたいところです。
作者からの返信
そうですね、私的にはまさにそれ! って感じです。
プロ作家なら事情は多少変わるでしょうが、我々は縛られずに好きなものを探求出来るという強みを持っていますから、それを大事にしたいなと思うのです。
あと、
実は無料で手に入れたものって読了されにくいらしいですよ。身銭を切ったら意地でも読み切るけど、タダで手に入れたんだったらいいや……みたいな感じで。
この回を拝見して、他の方のコメントも拝見して、一晩考えて、ふと思ったのですが、読みやすさというのは、料理にたとえると料理以前の「具材の切り分けだったり、下ごしらえ」みたいなものなのかな、と。
いくら「具だくさん野菜ごろごろカレーです」って言われても、野菜の大きさが皮むいただけのジャガイモ丸ごとだったりしたら、「えっ、ちょっ、口に入らないし!」ってなりますし、御飯にまだ固い芯が残ってたり、反対にべちょべちょだったりしたら、やっぱり食べる気をなくしてしまう。
どんなに頑張っても、人様に食べて(読んで)もらえる文章じゃないと、そもそも最後まで食べてもらえない。
そのためには、たとえば具材を小さく切ってみたり、あく抜きしてみたり、と読んでくださる方への気遣いが必要な気がします。
そうした基本ができて、さらに作者の考える面白さが料理されていれば、一定、読んでもらえる作品になってくるのかな、と。
まあ、世の中には蟹とか、くさやとか、「食べるのすごく面倒だけど、おいしい!」とか「この癖のある感じがたまらない!」とかいう嗜好もあるので、作品の個性や面白さが突き抜けていれば、読みにくくても読み切ってもらえる、という作品もあるかと思います。
が、それは一部の天才にあてはまる特異な例で、凡人は、まずは「読者に読んでもらえる文章を書けるようになる」から始めるべきかと……。
そして、奈月様がおっしゃられているように、「文章以外の読んでもらえる力」。たとえば続きが気になるような構成や、読み進めたくなるキャラクターなども習練していくと、一定のクオリティに近づいていくのではないでしょうか。
つまり結論は、世楽様の章タイトル通り、「読み易さは「売り」にはなるが到達点じゃないハズだ」ですね。
長々と失礼いたしました。
作者からの返信
いえいえ、とてもいいお言葉頂きました!
料理の下ごしらえとは良い例えだと思いますっ!
下ごしらえ段階のミスってなかなか取り戻せませんし、
逆に下ごしらえがしっかりしていれば、割とカタチになりますしね。