考えるな。感じろってことでは? なのでそもそも純文をレビューなんかできません。逆に純文学で評価を得ようとする行為も浅はかだと思います。
「こんな社会の役にも立たない、排泄物のような心の澱を書き綴ってる俺は屑だ。こんなものはエゴでしかない。恥ずべきことだ」って悶々としながら書くのが純文学だと思います。(なんという偏見)
ところで純文って、作者が純文学だと主張するなら純文学で、他者がカテゴライズできるものではないと私は思ってます。
作者からの返信
なるほど。
純文学で評価を得ようとするのはナンセンスというのは分かる気がします。
偏見に対して。
なんかストロングゼロ文学と似た匂いを感じました。(これもまた偏見)
カテゴライズの件。
純文学とは(哲学)
ラノベとは(哲学)
答えはいずこ。
私も純文学は苦手ですが、純文学は心の情景や動き、またそれをどう表現するのかというのを楽しむものなのではないかなぁと思っています。
それも受け手によって様々な接し方があって、寄り添って見ていくのか。距離を置いて眺めるのか。
同時にエンターテイメントの骨子として、わかりやすい起承転結や納得の提示よりは、考えさせたり疑似体験させたりすることに重きがありそう。
私は味わい深さよりは消費される娯楽として「あー面白かった。ためになった! ぽいっ」で良いというスタンスですので、純文学の理解が浅い意見かもしれませんが、参考程度に!
作者からの返信
コメントありがとうございます。
そうですね。
好き嫌いで切るのではなく、違いを考えてみることも必要なのだと思います。
世楽八九郎 様
素敵なお言葉をくださり誠にありがとうございます。明らかにジャンル違いだろうなあと感じてはいたのですが、世楽先生の快活な文体からどのようなお言葉が紡がれるのかが気になってエントリーさせてもらいました。
上で両先生がおっしゃっておられますように、心の澱や動きを綴るのが純文学です。ストーリーや人物を動かしていくライトノベルとはまた対極ですね。いちおう構成要素はあって、ざっくりと、"感情に主眼が置かれ"てあり"文章芸術"であり"視線誘導"の法があり"道徳の教科書"っぽいものが純文学とカテゴライズされております。悩みや葛藤に対する答えのひとつが提示されている場という意味で。
なので、個々人がどのように感じるかであり、奈月先生のおっしゃる"レビューなんかできない"というのはまさしくその通りなのかもしれません。
とくにこの拙作は思想文学を下敷きにしておりますため、なおさら難しかったかもしれません。いや、ご迷惑をおかけしました。
さて、孤独を注文したら何が出てくるかですが、世楽先生が頼まれましたら寂寞のそれと同じものが給されるかもしれませんね。もしかしたら、別の人が頼めばまた違うものかも。
これがあるから、情動を描くのはやめられないのです。
作者からの返信
極端にトンチンカンなことを言っていないようでホッとしました。
先生なんて恐縮です。
なるほど、純文学というのはけっこう自由なものなんですね。厳しい自由な気もしますが。いや、自由はそもそも厳しさを含んでいるか。
迷惑だなんてとんでもない!
佐藤様からの返事を見て「なるほど、そういう見方、書き方もあるのか」と素直に納得できました。
同時に自身の成長(あるいは単純に変化、でしょうか)も感じられたのでとても良かったです。
昔だったら「なんかはぐらかされたみたいで嫌だ」と反応していたと思います。