本編2

第十七話 ポンチョ

「雨や……」


 その日、いつものように嫁ちゃんのおにぎりを食いながら、空を見上げていた俺の口から飛び出たのはそんな言葉だった。


「見てみ、葛城かつらぎ。雨やで。雨が降ってきとるわ」


 葛城が俺の横に立って、窓の外を見上げる。低く垂れこめている曇り空から、ポツポツと雨粒が落ち始めていた。土砂降どしゃぶりとまではいかないものの、その勢いは少しずつ強まっているように見える。


「本当ですね。青井あおい班長がたくさんてるてる坊主を作っていたのに、御利益はなかったのかな。あ、今ここにいる影山かげやま三佐は、三佐の着ぐるみを着ている別の誰かなんて言いませんよね?」

「んなわけあるかいな」

「その関西弁を完璧にマネできる人間は、松島基地うちにはいないから間違いなく三佐本人ですね」


 葛城は、相変わらずすました顔で失礼なことを言ってくる。だが俺が気にしているのはそこじゃない。


「とにかくや。雨ってことは待ちに待ったポンチョの出番とちゃうん?」

「たしかに。これは間違いなくポンチョの出番ですね」


 俺に言われて気がついたのか、葛城はなるほどとうなづいた。


「やーっと雨がふりよったで。ほんま、ここまで長かったわ~。もうブルーを卒業するまで、着れへんかもって半分あきらめてたんや」


 今日の天気予報はたしかに曇り時々雨だった。だが俺が飛ぶ日に限って、その予報をくつがえすような天候が続いていたので、今日もあまりあてにしていなかったのだ。だが雨は間違いなく降っている。ポンチョやポンチョ。ポンチョの出番やで!


「でも、航空祭当日の雨にここまで喜ぶライダーがいるなんて、他の人には聞かせられませんね。見に来る人達は今頃、この雨で展示飛行が中止になったらどうしようって心配してますよ」

「せやけどポンチョ姿の俺達も貴重やで。喜んで写真を撮る連中もおるんとちゃうか?」


 少なくとも、俺が飛ぶようになってからは初めてのことなのだ。ということはブルーとしても、かなり御無沙汰ごぶさたなポンチョ姿なんじゃないか?


「そういうマニアックな人は横に置いといて。アクロを見せてこそのブルーでしょ」

「まあそうとも言うわな」

「それに今日は、息子さんと奥さんも見にこられるんですよね? だったらここは晴れてもらわないと。せっかくお父さんの雄姿を見にきたのに、ポンチョ姿だけなんて息子さんガッカリしちゃいますよ」


 今日は地元松島基地の航空祭。いつもは官舎のベランダから訓練を見物している嫁ちゃんとチビスケも、会場に来ることになっていた。


「ま、三佐がいるんですから、きっとブルーの展示飛行が始まる頃には、晴れてくると思いますけどね」

「なんでやねん。これだけ待ってちょっとしか着られへんなんて、あんまりやんか」

「でも三佐的には、一度でもポンチョに袖を通せたらそれで満足なんですよね?」

「そんなことあるかい。着るんやったら、最初から最後まで着たいに決まってるやん」

「無理だと思いますけどね~~」


 葛城が笑う。


「なんでそんなに自信満々なんや。今日の天気は曇り時々雨やったぞ?」

「そりゃあ、これまでの実績が蓄積ちくせきされているからに決まってるじゃないですか」

「なんでやねん」


 ブリーフィングが終わり、俺達がポンチョを取りに行くと、そこには総括班長の青井がいた。几帳面な班長らしく、机の上に人数分の青いポンチョをきちんと並べている。


「なんや班長、えらい早いやん」

「並べておいたら取りやすいだろ?」


 軽くポンチョをたたいた。


「せやけど、こんなん班長の仕事ちゃうやろ。誰か下のモンにさせたらええやんか」

「ダメダメ。そうした結果が、今のようなバラバラのナンバーを着ちゃってる状態なんだから」

「バラバラってなんのことや?」


 そう言いながら、たたんであるポンチョに手をのばす。


「待った。それは2だろ。影山のはこれ。葛城はこっち」

「はあ? どれも同じやんか」


 差し出されたポンチョを反射的に受け取りながら、首をかしげた。


「一緒じゃないよ。ちゃんとそれぞれに番号がついてる」


 たしかにポンチョの頭の部分には、それぞれナンバーがふってあった。だがそれはあくまでも装備品としての通し番号であって、着る人間がブルーで何番機を飛ばしているかは無関係なはずだ。


「影山は5、葛城は6。自分が何番機を飛ばしているかぐらい、わかってるだろ?」


 俺が渡されたポンチョには『PARA5』と記されていた。ちなみにPARAとはパラシュートのパラのことらしい。


「なあ、そこまでこだわらんでもええんちゃうん? それにや、五番機ライダーは俺と後藤田ごとうだと二人もいるんや。PARA5は一着しかないんやで? その理屈でいったら、後藤田は何番を着たらええんや?」

「師匠の影山が5、弟子の後藤田は15だから」


 そのへんも抜かりなく、きちんと決めてあるようだ。


「まったく。なにもそこまでこだわらんでも。別に見えるもんでもないし、何番を着たって問題ないやろ?」

「それが見えてるんだよ。SNSの写真で、この部分が写り込んでいる写真が何枚も出回ってるのを見かけた。この通し番号は青地にオレンジだから、すごく目立つんだ」


 青色の生地に記されている装備品番号は、オレンジ色の文字だ。まあたしかに目立つといえば目立つ。だが俺としては、そこまで気にしなくても良いのではと思うんだがな。


「それで誰が何番かって問題になっとるんか?」

「まだそこまでにはなってないけど、あれだけ目立つんだ、言われるのも時間の問題だろ? あ、沖田おきた、それは8だからお前のじゃない。お前のはこっち」


 部屋にやってきた隊長がポンチョを取ろうとしたところで、青井が別のポンチョを押しつける。押しつけられた隊長は、戸惑った表情でポンチョを見下ろした。そこには間違いなく『PARA1』と記されている。


「別に何番でもいいじゃないか……」

「ダメだよ。飛行隊長なんだから、ちゃんと1を着てくれ。これは総括班長としての命令だから」

「……」


 隊長はどうしたもんだと、俺達のほうへと目をむけた。俺と葛城は、すかさず自分達が手にしたポンチョの、ナンバーが記されているところを見せる。それを見た隊長は、やれやれと小さく溜め息をつきながら首を横に振った。


「いちいち通し番号を確認していたら、時間のロスじゃないか」

「だからロスしないように、俺がちゃんと並べてるんだろ? 次からは左から順番に並べておくから、好き勝手にとっていかないように。ああ、これも班長命令だから」


 隊長はその言葉で、どうやら班長にさからっても無駄だと悟ったようだ。


「わかった……」


 さすがの隊長も総括班長には逆らえないってことか。普段はメトロだろうがなんだろうが、班長を問答無用でこき使っているくせに、こういうところでは逆らえないんだな。なんとも意外な発見だ。


「ちなみに班長は青井は何番なん?」

「俺は7。帽子もエンブレムも7だからね。7番目のブルーってことで」

「ほーん。てっきり嫁さんの名前から、7番を選んだんやと思ってたんやけど違うんか」


 とたんに青井の顔が赤くなる。


「ち、違うよ!」

「なんや怪しいわ~~7番目のブルーなんてできすぎちゃう?」


 ニタニタと笑いながら言ったら、イヤそうな顔をされた。


「とにかく、俺は7番目のブルーって気持ちでメトロを飛んでいるから、7なんだよ!」

「そーかそーか」

「そうなんだよ!」

「はいはい、わかったで~~」

「本当なんだからな! あ、沖田、なんでそこで目をそらすんだ!」


 耳まであこうなっとるわ。おもろいな、うちの総括班長。



+++++



 午前のブルー展示飛行の時間がせまってきた。他の機体の展示飛行が始まる時間も、雨は降ったりやんだりを繰り返していたが、どういうわけか俺達が会場に出てきてからは、ピタリとやんで雲の合間から青空が見えはじめていた。


「ほらね。やっぱり晴れてきたじゃないですか」


 それを見ていた葛城が満足げに笑った。基地からここまで移動した時に着ていたポンチョは、すでに全員が脱いでいた。まさかあれだけしか着れへんなんて、あんまりやん?


「せやかて、まだ晴れというほどでもないで。どう見ても、曇が占める割合のほうが多いやんか」

「ウォークダウンとプリタクに、何分ぐらいかかりましたっけ。さらにそこから滑走路にタキシングして、天候確認をしてテイクオフ。その間に晴れ間がひろがっても、俺は驚きませんけどね」

「間違いなく晴れるだろ」


 予備機までの準備を確認して戻ってきた隊長が一言そう言った。


「風もないのに、あれだけの雲が短時間で切れるなんてありえへんでしょ」

「そこが影山坊主の不思議なところだな」

「は? カゲヤマボウズって?」

「知らなかったのか? 気象隊の報告を聞いた青井が、先週あたりから基地のあちらこちらにぶら下げていた、テルテル坊主のことなんだがな。たしか顔がお前だった気がするが。見ていないのか?」


 青井のやつ、まーた変なもんを作って、基地のあちらこちらにばらまいとったんか。


「どうりでここ最近、基地内の連中の俺を見る目が妙やと思ったんや。班長のせいやったんやな、ただのテルテル坊主やゆーてたのに」


 しかも顔が俺だって?


「幸いなことに天候確認はお前の役目だ。快晴祈願かいせいきがんの最後の仕上げに飛んで、邪魔な雲を蹴散らしてこい」

「そんな無茶な」


 そして午前の展示飛行。ウォークダウンを披露ひろうし、全機が滑走路に出た。そして天候確認のために、今回は五番機の俺が先発して離陸する。もちろん通常のテイクオフではなく、五番機の十八番であるローアングルテイクオフキューバンだ。雲のこともあるので、天候確認の先発の時ぐらい普通にテイクオフしたいんですがと言ったんだが、隊長にあっさり却下された。なんでやねん。


 展示飛行のために展開する空域を周回する。見上げていた時にはあれだけ雲がたれこめていたのに、空に上がって周回を始めるとまったく雲が見えない。


「おかしいな、雲、あらへんで。さっきまで見えてた雲は俺の目の錯覚さっかくか? 管制塔? そっちはどうや?」

『レーダーのほうでも、雨雲はほとんど確認できません。ですが、三佐の目の錯覚ではありませんよ。先ほどまでは基地上空には、雨雲が確実に存在していました』


 少し高度を上げるとそこはもう青空だ。ほんま、さっきまでの雨雲はどこへいったんや? ここはさっきと同じ東松島ひがしまつしまの空やんな? 耳元で管制からの〝影山坊主すげー〟という声がかすかに聞こえてくる。


「ほんまに晴れてきよったで。えらいこっちゃや。こちら影山、天候確認完了。隊長、この感じやったら第二区分は余裕でいけるんちゃいますか」

『了解した。ではブルー01から各機。ミッションをスタートする。天候はかなりめまぐるしく変わっている。上がってからの状況次第では、課目をいくつかスキップする可能性もあるのでその心づもりで』


 隊長の合図で、四機がスモークを吐きながら離陸した。そして今日の六番機は、ソロでローアングルテイクオフだ。六番機が上がってくるのを待ちながら、五機で基地の周囲を旋回する。その間も隊長はコックピットから天候状況を確認して、後席の吉池よしいけ班長と打ち合わせをしているようだった。


 全機がそろい、あらためて編隊を組む。さて、隊長の判断はどうや?


『本日のミッションは第一区分。スキップなし』


 そんなわけで、総括班長が作ったテルテル坊主、通称〝影山坊主〟は、ブルーの展示飛行に関しては、絶大な効果を発揮することが証明されたらしい。俺はいまだに見たことがないんやけどな。

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