第十八話 小松

「今日の隊長、えらい御機嫌やったなあ」

「たしかにそんな感じでしたね」


 松島まつしま出発前のブリーフィングを終え、部屋から出たところで葛城かつらぎに声をかけた。広報用スマイルは別として、めったに感情を表に出さないうちの隊長なんだが、今回の遠征は、はたから見てもわかるぐらい楽しみにしているのが感じられた。そして出発当日である今朝のブリーフィングは、そりゃもう超絶御機嫌ちょうぜつごきげんさんやった。ほんま、珍しいこともあるもんや。


「行き先は小松こまつやで。あそこに行くのがそんなに楽しみなんか? 俺には理解でけへんわー。あそこには、おっかないのがよーさんおるのになあ」

「赤ペン先生ですか」

「やめい、その呼び方は。恐ろしい記憶がよみがえるやんか」


 飛行教導群ひこうきょうどうぐん、またの名をアグレッサー部隊。空自の戦闘機パイロットなら、誰もが一度や二度は夢でうなされたことがある恐ろしい存在だ。俺がパイロットになりたての頃は、まだ新田原にゅうたばる基地が本拠地だった。訓練空域に向かう途中にわざわざ築城ついきに立ち寄っては、これみよがしに低空で基地上空を飛んでいくのを、よく震えながら見上げたものだ。


影山かげやま三佐でも怖い相手なんですか」


 葛城が意外そうな顔をする。


「当たり前やろ。コブラが怖くない戦闘機パイロットなんて、この世におるんか? そういうお前はどうやねん?」

「怖いかどうかは別として、ここに来る直前の巡教で叩きのめされましたよ。あの人達を見ていると、同じイーグルドライバーとは思えないですね」

「やろ? しかもお前んとこの弟が目指しているのがあれやで」

「あー……ですよねえ……」


 次のブルーの展開先は石川いしかわ県の小松基地。その恐ろしいアグレッサーがいる基地なのだ。もちろん行ったからといって、彼等が襲ってくるわけじゃない。だが何度も容赦ない教導を経験している身としては、彼らが恐ろしい存在であることには変わりなかった。


「隊長かて長いこと痛い目におうとるはずやのに、なんであそこまで楽しそうなんや。ほれ見てみ、めっちゃ笑顔やで」


 俺の視線の先では、隊長が飛行前の点検を始めている。普段から他のライダーより早く出てきて準備を始めるが、今日は一段と早い。


「笑顔ですか? いつもと同じで真顔に見えますが」

「いや、あれは笑顔や。めっちゃニタついてるで。ほんま、信じられへんわ」

「あれが笑顔……」

「間違いなく笑顔でニタニタや」


 こっちは本気でビビっているというのに、うちの隊長ときたら。


「まあ飛行教導群の但馬たじま隊長と沖田おきた隊長は親しいらしいですからね。そのせいかもしれませんよ」

「そうなんか?」

「はい」


 そう言えば以前に、教導群司令の榎本えのもと一佐が、アグレス機でいきなり松島基地に来たことがあったなと思い出す。突然のアグレッサーの訪問に、F-2操縦過程の第21飛行隊の連中は、パンツを濡らさんばかりにビビったらしい。あの時は単なる視察で、一佐はアクロをするブルーの機体に搭乗されただけだったが、うちの隊長とあっちの隊長が親しいのであれば、そういう突発的で変則的な視察があっても合点がてんがいく。


「ま、別々の飛行隊にわかれたら、同期でもなかなか会えへんもんなあ」


 エプロン前に出たところで、いつものようにラップに包まれたおにぎりを取り出してほおばった。今日のおにぎりはひさしぶりにツナマヨだ。明日と明後日あさっての分はオカカ梅と鰹の角煮だったはず。どちらがその日に当たるか今から楽しみだ。


「明日の予行、イヤな予感しかせーへんわぁ……飛びたないわ~~」

「もう今から飛びたくないとか。大丈夫ですよ、三佐には無敵のおにぎりがあるじゃないですか。明日と明後日あさっての分はちゃんと積み込んだんですよね?」

「ちゃんと冷凍されて保冷バッグに入っとるで」

「だったら心配ありませんね」

「いやいや、おにぎりがあっても飛びたないねんて。なあ後藤田ごとうだ、ここはやなあ……」


 後ろから遅れて出てきた後藤田に声をかけた。


「自分はまだORじゃありませんからダメですよ。いやあ、残念だなあ、アグレッサーの前でアクロを披露ひろうできないなんて。彼らの前で飛べる影山さんがうらやましいですよ、本当に。俺も頑張らないと」


 後藤田が胡散臭うささんくさい笑みを浮かべる。


「ほんま君達つれないわあ……」

「そんなことないですよ。俺は本気で影山さんと葛城がうらやましいんですから。そういうわけだから、明日の予行は俺の分まで頑張ってくれよ、葛城」

「はい、頑張ります」


 二人はますます胡散臭うさんくさげな笑みを俺に向けた。ほんま、つれないわあ……。



+++++



「飛びたないねん」

「わかってますよ」

「ほんまに飛びたないねんて。おっかない連中が見ているから余計に飛びたないねん」


 ハンガー前には、腕を組んでこっちを見ているパイロット達の姿があった。ドクロのマークをつけたアグレッサー達だ。


「そりゃあ、ブルーのアクロをゆっくり見る機会なんてなかなかありませんからね。どこの基地でも、予行は似たようなものじゃないですか。教導群の人達だって同じでしょ」

「立ってるだけで威圧的なんはここだけやで。かなんわあ……。間違いなくこっちにプレッシャーかける気まんまんやろ、あれ。めっちゃ並んどるやん、ほぼ全員とちゃう?」

「向こうはそんなこと思ってないですよ、三佐の気のせいですって。もしかしてサインしてくれって言われたりして」


 キーパーの神森かみもりは、彼等の無言の圧力に気がついていないらしく呑気なものだ。


「そんなことあるかいな。絶対にあれはこっちにプレッシャーかけとるで。はー、飛びたないわあ……」

「はいはい。三佐が飛びたくないのは、いつものことだからわかってます。とにかく点検を早く終わらせましょう」

「人の話、聞いてへんやろ」

「聞いてますよ」

「なにわろてんねん」

「笑ってませんて」


 神森は口元を震わせながら、俺から視線をそらせた。そして俺に表情を見られないようにするためか、帽子を深くかぶりなおす。機体をはさんで反対側にいた坂崎さかざき萩原はぎわらも、なぜか慌てて帽子をかぶりなおした。


「やっぱりわろてるやん」

「ですから笑ってませんて」


 絶対に面白がってるだろ、こいつら。心の中で悪態をつきながら、機体の点検を三人とともに始める。


「なあ、このギアの収納部分、おかしゅーないか?」


 機体の下に潜り込んでから指をさした。心なしかゆがんでいるように見えるんだが。


「いつも通りですよ。異常ありません」

「それやったらええんやけど。あ、なんや数字がおかしい気がするわ。ほれ、ここに大きな穴があいとるやん?」


 機体の鼻先にペイントされた数字を指さすと、萩原が噴き出した。神森はなんとか真面目な顔を保ちながら首を横に振る。


「0なんだから当然でしょ。穴があいてなかったら逆に大事件です、ただの黒い楕円形だえんけいじゃないですか」

「いやいや、ここは〝1〟とちごうたか? いきなり〝1〟がドーナツみたいにふくらんで〝0〟になったとかあらへん?」

「一年前から〝0〟ですよ」

「そうやったかなあ、おかしいなあ……ほな後ろ見てくるわ……おかしいなあ絶対に〝1〟やったはずなんやけどなあ」


 神森と坂崎が黙って俺の後ろについてきた。


「なんやねん」

「いえ、そのまま走って逃げたら困るので念のために」

「逃げてもええんかい」

「良くないに決まってます。今ここで逃げたら、間違いなく隊長のかかと落しですよ」


 機体越しにハンガーの前に並んでいる人だかりに目をやる。


「自分らも予行で飛ぶのに、なんで呑気にあんなところで見物しとんねん。さっさと離陸準備をしたらええのに」


 しかもうちの隊長が、あっちの隊長の横に立ってなにやら話をしている。きっとアクロの概要を説明しているのだろう。


「そんなところで隠れてないで、そろそろコックピットのほうの点検もしてもらえると助かるんですけど~」


 先にコックピットの点検を始めていた萩原が声をかけてきた。


「誰が隠れてるんや。ちょ、押すなて坂崎」

「先輩が隠れてもたもたしてるからですよ」

「だから誰が隠れてるんや」

「先輩がー」

「なんでやねん、俺は隠れてへんぞ」


 なかば追い立てられるようにしてコックピットの前に向かうと、ステップに足をかけた。そして二段ほど上がったところで、秋の気配が漂い始めた周囲を見渡す。あっちこっちで飛んでいるトンボの姿が目についた。


「なあ、こんだけトンボが飛びまくってるんや、コックピットに一匹ぐらいもぐりこんどったりしてな。虫と一緒に飛ぶのはかんべんやで」

「さっきキャノピーを開けたばかりですよ、いるわけないでしょ」


 坂崎が呆れたような声をあげた。


「わからへんで。あ、もしかしてシートに下敷きになっとったりしてな」

「なってないです」

「それともシートの下に隠れてるのは、トンボやのうて画びょうやったりして」

「それどんな悪戯いたずらなんですか。ほら早く座ってください先輩」


 坂崎が後ろから押してくる。


「押すなっちゅうねん、画びょうがうっかりケツに刺さったらどうするんや」

「だから画びょうなんてありませんて。もー、なんで今日はいつにも増して飛びたくない理由が出てくるんですか」

「そりゃ、おっかないのが見物してるからに決まってるやん。あー、教導を思いだしたらますます飛びたないわー……超憂鬱ちょうゆううつやわあ……」

「少なくとも、ブルーにいる間はアグレスの巡教におびえることもないでしょ。いい加減にあきらめましょうよ。ほら、隊長が来ちゃいましたよ!」


 あっちの隊長と立ち話をしていたうちの隊長が、こっちにやってきた。


「ほれ見てみ。隊長めっちゃ御機嫌やんか。信じられへんわ」

「どうした、なにか問題でも?」


 俺達の様子に、隊長が首をかしげる。


「いいえ。いつもの三佐の飛びたくない病が、三割増しで絶賛発動中なだけです」


 神森が苦笑いしながら隊長の質問に答えた。飛びたなくない病てなんやねん。しかも三割増しとか。


「アグレッサーに予行を見られるプレッシャーを感じているなら、あっちも御同様ってやつだぞ、影山。アクロが本職の俺達に、自分達のヘロヘロ機動が鼻で笑われるんじゃないかと心配しているそうだ」

「まーたそんな嘘っぱちをいけしゃあしゃあと。コブラ集団が心配するなんてことがあるわけないですやん。しかもヘロヘロ機動やなんて」

「本人がそう言っていたから言っただけだ。本当にヘロヘロかどうかは、見てのお楽しみってやつだな」


 そして俺達の予行が終わった直後に離陸した飛行教導隊のイーグルは、ヘロヘロどころかそりゃもう呆れるぐらいえげつない機動を見せてくれた。


「なんやの、あの本気度。どこがヘロヘロやて?」


 俺達はアグレス機が頭上で飛び交うのを、呆気にとられながら見あげていた。


「展示飛行の参考で見た、ブルーの飛行映像で刺激されたらしい」

「刺激……」

「その結果がこれだ」


 俺達が見上げる中、向かい合って飛んできた二機のイーグルが至近距離で交差する。そして機体を何度もひねりながら反対方向へと飛んでいった。


「げっ」


 予想だにしなかった機動に、思わずそんな声がもれた。葛城はポカンと口を開けたまま遠ざかっていく機体を見送ると、ニヤニヤしている隊長の顔を見た。


「今のオポジットコンティニュアスロール、ですよね」

「予行限定の課目だそうだ。さすがにイーグルがやるには危険すぎると、本番の展示飛行では許可が出なかったらしい。今回一回きりのお披露目ひろめ機動だな」

「えげつなすぎや……」


 隊長は、目の前を横切っていった緑色の迷彩色のイーグル、通称〝ガメラ〟を目で追いながらニヤニヤしている。


「しかし驚いたな。但馬はソロ課目の模写を完璧にできるとは聞いていたが、まさかデュアルソロ課目の模写にまで手を出していたとは」

「ソロ課目を完璧模写……」

「どうやらアクロは俺達ブルーだけの十八番おはこじゃないってことらしいぞ」

「ほんま、コブラはえげつない……鬼や……」


 俺達がそれぞれもらす言葉に、隊長が愉快そうに笑った。

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