第十一話 千歳
「今日も晴れよったなあ……」
廊下を歩きながら窓の外を見上げる。たしか週間天気予報では曇りのち時々雨の予報だったはずなんだが、毎度のことながら低気圧と雨雲はどこへ行ったのやら。
「ん? おい、
そろそろ予行の時間なんだが、なぜか葛城がのんびりと食堂でテレビを見ながら座っているのを見かけたので、声をかけた。いつもは真面目にブリーフィング三十分前には席についているというのに、珍しいこともあるものだ。
「……はい?」
俺の声に、葛城がこっちを不思議そうな顔をして見上げてきた。
「はいって……なに呑気にニュースを見とるんやって話や。そりゃあ、ローカルニュースは他府県から来た人間にはおもろいやろうけどな。そろそろブリーフィングの時間やろうが、時計を見てへんのか?」
「三佐、そろそろ集合時間ですよ」
腕時計の文字盤を指でたたいていた俺の後ろから声がした。振り返れば葛城が立っている。んん?! こっちにも葛城、あっちにも葛城?!
「葛城?! おいおい葛城、自分のドッペルゲンガーがここにおるで? 朝から怪奇現象なんて勘弁してくれや」
「え?」
葛城が俺のさした指先をのぞき込んで「ああ」と言いながら笑った。
「三佐、それ、自分の弟です」
「なんや弟か……って弟?!」
慌てて座っている葛城を見る。言われてみれば、つけている階級章も一尉ではなく二尉のものだ。それにこっちの葛城に比べると少し若いか?
「もしかして双子なんか?」
「いえ違いますよ。そんなに似てますか?
「失礼しました。葛城二等空尉です、兄の葛城がいつもお世話になっております」
そう言って、ニタニタ笑っていた葛城弟が席を立って敬礼をした。なんとまあ。そう言えばいつだったか、弟がいてそいつもイーグルドライバーだとか言っていたな。そうか、目の前に立っているのが葛城の弟なのか。
「影山だ。しかしそっくりやん……ってことは、親父さんがここにならんだら三色ダンゴみたいになるんか。驚きやな、葛城家の遺伝子」
あまりのそっくり具合に、敬礼をしながらそんな失礼な言葉が飛び出す。
「昼から広報の取材で三人で写真を撮ることになっているので、そのダンゴ状態を見ることができますよ。もし、お時間がとれるようでしたら見にきてください」
「一佐がわざわざ
「母の実家がこちらにあるので、休暇でこちらに来るんですよ。取材はそのついでのようです。うちの父親が写真を撮るためだけに、こっちに来るわけがないですから」
葛城がそう言って笑うと、弟のほうがニヤリと笑った。ふむ、こういうところの反応は正反対なんだな、なかなか面白い。
「そう言えばオヤジさんも、F-2のテストパイロットをしていなかったら、ブルーにって話があったほどの人やったな。葛城二尉、もしかして君もブルーを目指しとるんか?」
俺の質問に、葛城弟はいいえと首を横に振る。
「自分は、ドルフィンではなくコブラを目指しています。せっかく親子三人が戦闘機パイロットになったんです、それぞれ違った道を進まないと。同じ道ばかりでは面白くないでしょう?」
そう言ってニッと笑った。兄のほうをチラリと見れば、そんな弟の言葉にやれやれといった感じで笑っている。ははーん、次男坊君は負けん気の強い暴れん坊君とみた。だがこれはこれで将来が楽しみなパイロットだ。
「そりゃまたえらいこっちゃやな。あそこはブルーとはまったく違う意味で技量が必要なところや。頑張りや」
「ありがとうございます」
葛城弟に見送られて食堂を出る。
「くもりやゆーてんのに雲一つないからおかしいとは思ってたんやけどな、葛城一佐が来るんやったら納得や。こりゃ明日も晴天で第一区分間違いなしやな、あー、飛びたないのに無念やわ」
「晴れ男なのは三佐も同じでしょ。うちの父親だけのせいではないと思いますよ」
「そんなことあるかい。少なくとも俺だけやったら、少しぐらい雲が出ていたはず」
「そうですかねえ……自分は父より三佐のほうが、晴れ男パワーは上だと思うんですが」
歩きながら葛城は首をかしげた。
「ところでさっきの話、ほんまなんか?」
「どのあたりの話がですか?」
「君の弟がコブラを目指しているって話や」
「ああ、そのことですか。それは本当です。弟は、俺より先に空自のパイロットになると決めてましたし、その時から、将来的には教導群のパイロットになりたいと言っていましたよ。
葛城一佐と榎本一佐は航学の同期で、両家は長く家族ぐるみの付き合いをしているらしい。小さい頃から二人が飛ぶのを見ていたら、そういう考えになってもなんら不思議ではないな。
「なるほど。見た感じ負けん気が強そうやし、向いてるかもしれへんな」
「負けず嫌いすぎて心配ですよ」
葛城が溜め息まじりに笑う。その顔はすっかり「お兄ちゃん」の顔だ。
「もしかして心配で、自分もパイロットになったとかいう話なんか?」
ふとそんな考えが浮かんで質問してみた。
「弟のことが心配で、自分でもあれこれ空自パイロットのことを調べているうちに、なんとなく?」
「なんとなくでブルーまで来たんか。恐ろしいやっちゃな」
さすが米空軍のパイロット達に「高笑いしながらキルコールするとんでもないヤツ」と言われた、葛城一佐の血をひくだけのことはあると感心する。
「まさか。あくまでも最初のきっかけが、そんな感じだったというだけです。今はこの仕事に誇りをもっています。少なくとも三佐のように、飛びたくないとは思っていませんから御心配なく」
「また失礼なこと言ってるな、葛城君や」
「でも三佐のところだって可能性があるのでは? 息子さん、毎日のようにブルーの訓練飛行を見てるんですよね? 大きくなったら、お父さんのようなパイロットになりたいって言いだすんじゃ?」
その言葉にどうだろうと考える。自分が飛びたくないからといって、息子にパイロットになってほしくないと思っているわけではない。息子がなりたいと言うならそれはそれで尊重するし、経験者としてできる限りのサポートはするつもりだ。
だが息子はまだ保育園児。今はまだパパが飛ばす飛行機より、テレビで流れる小さい子供向けのアニメ番組が気になるお年頃だ。将来になりたいものを口にするのは、もう少し先になるのではないかと思う。
「さあ、どうやろうな。俺が毎日のように飛びたなーいって言ってるのを聞いてるしなあ」
「でも三佐、本気で飛びたくないとは思ってないですよね? 少なくとも自分達にはそう聞こえますが」
「んなことない。何度も言ってるやん、俺はほんまに飛びたないんやって。今日かてそうやで? できることなら誰かに変わってほしいぐらいや。はようデッシーがきて二人体制になるとええんやけどな。はよう決まらへんもんかいなあ、隊長、なにやっとんねん、最終候補は決まったゆーてたのに」
+++++
ブリーフィングでは、まず当日に展示飛行する様々な航空機のパイロット達が集まった。その中には三沢基地にいる米国空軍のデモチームのメンバーも含まれている。考えてみたら、あちらこちらの航空祭で顔を合わせてはいるものの、彼等の展示飛行をゆっくり見た記憶がない。一度ぐらい、任務から離れてゆっくりと見物してみたいものだ。
「めっちゃ見物しとるやん」
「そりゃあ年に一度しか来ないブルーインパルスの展示飛行ですからね」
そして俺達の予行の時間になると、エプロン前には制服姿の見物人達がわらわらと集まって、とんでもないことになっていた。
「仕事はないんか仕事は。今は勤務時間中やで、なんで呑気な顔してこっち見とんねん。しかもカメラまで持って」
「自衛官だって、ブルーインパルスの飛行を見たいというのは民間の人と変わらないですよ」
「だから今は仕事中やんか」
「そりゃ基地司令自ら出てきてるんですから、下の者だって遠慮なく出てくるでしょ」
たしかにあそこに立っているのは、どう考えてもこの基地の司令だ。仕事はどうしたんや仕事は。司令はもっと忙しいんちゃうんか? なんでカメラ、しかも望遠レンズ付きのカメラをこっちに向けとんねん。それ、広報の仕事なんちゃうんか?
「明日はいろんな行事もありますし、展示飛行を見ている余裕なんてないでしょうからね。今のうちにゆっくり見ておくそうです」
「なんでそんな悟ったようなこと言っとんねん」
「弟がそう言ってましたから」
葛城はなんでもないような顔をしてそう言った。
「やれやれまったく。君の弟も展示飛行するんか?」
「いえ。弟は明日はアラート待機です。なので今日はああやって俺が飛ぶのを見るそうで」
そう言って葛城が指をさす。その先を見ると、葛城の弟と一佐が並んで立っていた。
「ほんま、よー似とるわ。驚きやな」
「昔はそんなこと言われてなかったんですよ。俺は母親に似てるって言われてたぐらいですから。もしかしたら、同じフライトスーツを着ているせいかも」
「なるほどな。広報の取材ってことは広報紙に載るってことやんな。楽しみにしとるわ」
そう言いながらウォークダウンを始める位置に立つ。俺の横で葛城が溜め息をついた。
「どうしたんや、珍しいやんか」
「父が見ているということは、きっとダメ出しが出るってことですから」
細かいところまで見てるんですよねと、少しだけ
「一佐のダメ出しなんて、訓練中の教官のダメ出しに比べたら大したことあらへんやろ」
「きっと今日は、三佐とのデュアルソロもしっかりチェックしますよ。ダメ出しは三佐にもあるかも」
だから俺も他人事じゃないんですよと言いたいらしい。
「俺は飛ぶ時は完璧を目指しとんねん。ダメ出しがあるってことは、自分でも納得できてへん飛行をしたってことや。つまり一佐から言われたら、それはごもっともってやつやな。だから気にならへん。ダメ出し大歓迎」
「それで飛ぶのが嫌いってやっぱりおかしい……」
「いいや、おかしゅうない。それとこれとは別問題やから」
葛城は納得していないようだが、そうなのだからしかたがない。飛びたくはないが、飛ぶからには完璧を目指す、ただそれだけだ。
「しかしもう、ほんま、飛びたないわー、なんで晴れるんや? 天気予報、仕事しとらへんやん」
俺の愚痴りに、全員が口々に慰めの言葉をかけてくる。一番端に立っている隊長はなにも言わないが、口元が変な形に曲がっているところを見ると笑っているらしい。笑いごとやないんやでほんまに。
「では予行を始める」
隊長の言葉に全員が横一列に並び、号令で全員が歩調を合わせて歩き出した。
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