第十二話 影山ファミリー
「ただい……」
玄関のドアを開けて、ただいまと言おうとしたところで、嫁ちゃんの悲鳴が聞こえ、チビスケが台所から飛び出してきた。チビスケはなぜか上から下までびしょ濡れだ。
「みっくん、どうした?!」
「パパー、こわれちゃっておみずいっぱいでてきたーーー!!」
「台所の水道か? そりゃ緊急事態や、まずは水を止めんとな」
急いで玄関脇にある
「おーい、嫁ちゃん、大丈夫かー?」
俺が声をかけると、びしょ濡れになった嫁ちゃんが顔を出した。
「ありがとう。ご飯の準備してたら、いきなり蛇口が飛んじゃって」
「怪我はしてへんか?」
「うん、大丈夫。あ、水道栓、どこに飛んでったかな?」
「こっちー!」
チビスケが走っていったのは、キッチンの隣のリビングだ。ソファの下に潜り込んでいた水道栓を拾い上げて、手をこっちに突き出してくる。
「えらい派手に飛んだもんやな。二人に当たらんで良かったで。当たりでもしたら大怪我や。……おい、みっくん、その蛇口に五番のシール貼るのはやめといて。パパはこんな無茶はせんから。それはこっちのテーブルの上に置いとき」
「パパみたいにビューンてとんだー」
「パパはそんなとこに落ちひんから。それとそれはオモチャやないんやから、シールはアカン」
「はーい」
貼りかけていたシールを、チビスケが片づけるのを見届けてから、嫁ちゃんのほうに視線を戻した。
「えらいこっちゃやな。風邪ひいたら大変やからまずは風呂、と言いたいところやけど今は使えへんから、とりあえず二人して着替えてたらええよ。ここの片づけは俺がするから」
「せっかく唐揚げの用意してたのに、水びたしになっちゃった……」
水びたしになってころもがドロドロになった鶏肉を、しょんぼりと見下ろす。
「揚げてる時でのうて良かったわ。ま、これは水をかぶっただけやから、あらためて作ったらええやん。みっくん、ママとあっちで着替えておいで」
「パパー、すいどーなおせるー?」
「どうやろなあ。こういうのは、プロに任せておくのが一番やと思うで?」
嫁ちゃんがチビスケの着替えを出すのを見ながら、自分も急いで制服を脱いで着替えた。そして台所に戻って、水浸しになった床をぞうきんで拭いていく。こんなことをするのは、航学時代の寮生活以来のことかもしれないな。
「いやしかし、ほんま、揚げてる時でのうて良かったで。油に水が飛び込んだら、とんでもないことになっとった」
俺が帰ってくるタイミングだったことも幸いしたな。ある程度、片づけたところで、官舎に出入りしている水道業者に電話をする。ちょうど近くにいるから、すぐに来てくれるとのことだった。こちらもまさにナイスタイミングや。
「嫁ちゃん、水道修理のおっちゃん、すぐに来てくれるそうやで」
「良かった。そこがなおらないと、ご飯の用意もお風呂も使えないものね。けど油断した。なんとなく先週からグラグラしてるかなって感じたから、見てもらおうと思ってたの。うっかり忘れてた」
「慎重派な
ここ一週間のお互いの生活パターンは、いつも通りだったはずだ。小さい子供がいるから、パートも今は短時間しか入っていない。もしかして職場で、急な欠員でも出たのだろうか。
「うん、それがねえ……」
「うん?」
嫁ちゃんにしては珍しく、話すのをためらっている様子だ。
「ママ、おなかすいたー」
チビスケが嫁ちゃんの足にしがみついた。
「その前に、みっくんのご飯をなんとかしないと。みっくん、ここをなおしてもらうまで台所が使えないから、チンしたミートスパゲッティで良い? あとトマトとブロッコリーがあるよ」
「いいよー! トマトすきー!」
「先にみっくんのご飯用意するね。
「俺はまだええよ。修理が終わってから、なにか適当に食べたらええし。みっくん、今日は食べるのはこっちや。水道のおっちゃんが来るから、邪魔になったらあかんしな」
「りょーかーい!」
用意を始めた嫁ちゃんを気にしながら、チビスケをリビングに連れていき、テーブルの前に座布団を敷いて座らせる。
「あのね! できたみたいなの!」
しばらくして、背中を向けたまま嫁ちゃんが言葉を発した。
「なにが?」
「赤ちゃん!」
「ほーんアカチャンか……って、赤ちゃん?!」
きっとその時の俺の顔は、間抜けたものになっていたに違いない。
「嫁ちゃん」
「なあに?」
「今日は、出前で寿司の特上でも頼んだほうがええんやないか?」
「お祝いするにはちょっと早い気がするけど」
「ぼくはー?」
寿司に反応したおチビが声をあげる。
「もちろん、みっくんのも頼むで?」
「おしゅしさんせー!!」
「ってなわけで、家族だけで前祝いやな。特上や特上」
「とくじょー!!」
+++++
「
午前の訓練飛行が終わった直後、それぞれの機体から降りたところで、
―― あっかーん、やっぱり隊長の目は
二人目ともなれば、それなりに冷静に受け止められていると自分では思っていた。実際に寿司を頼んだ時も、水道修理の業者が来た時も普通にしていられたし、今もそのつもりで訓練飛行にのぞんだ。特になにかまずかったところもなかったと自分では思っていたが、エプロン脇で腕を組んで立っている隊長の様子からして、どうやら
「なんでしょうか」
「言葉が標準語になってるぞ」
いきなりの指摘にポカンとする。
「まさかそこが気になったとか?」
「そんなわけないだろ」
俺の言葉に隊長は呆れた顔をした。
「なにか自分のパートで、まずい飛行でもありましたか?」
「さてどうだろうな。その点は俺よりも、影山のほうが分かっていると思うが?」
「特にミスったとは思いませんでしたが」
それは間違いない。
「だから言葉が標準語になってると言っている。いつものシャウトが静かで標準語を喋っていれば、隊長として気になるのは当然だろう。なにかあったのか? あったのならさっさと話せ。このままだと、他のメンバーに動揺がひろがる」
「動揺がひろがるって、そんな
「話せ」
有無を言わさぬ隊長の口調に、やれやれと溜め息をつきながら後ろを振り返る。離れた場所には、他のライダー達が集まってこっちをうかがっていた。
「まさか、ほんまに動揺しとったとか?」
「しかもいつもより静かだ、おびえて当然だろ」
「おびえるて……なんでや……」
さてどうしたものか。相手は沖田隊長だ、下手な嘘は通用しない。だが嫁ちゃんからは、まだわかったばかりだし大騒ぎしないでくれと、口止めされている状態でもあった。お互いの両親にも話していないのだ、さてはてどうする?
「特に問題があったわけではないってことで、納得してもらえへんのですか?」
「俺が納得できなければ、他のライダーを納得させられないだろう」
「まあたしかに。……ほな隊長だけに言うときますわ。実は、嫁に二人目ができたみたいなんですわ。昨日それを聞かされて、まあなんていうか、自分でも思った以上に浮かれて飛んだのかも、な状態なんやと。以後は気を引き締めて、訓練にはげみます」
「……」
「隊長?」
隊長は俺が呼びかけると、ハッとした表情をしてから、いつものポーカーフェイスに戻る。
「なるほど……納得した」
そして独り言のようにつぶやいた。
「ただ、まだどちらの両親にも話してない状態なんで、できることなら御内密にってやつですわ。それで他の連中を納得させられるかどうか、わからへんけど」
俺も帰ったら、隊長に話したことを謝っておかないとなあ。まあ隊長に感づかれて白状しろと詰めよられたと言えば、きっと勘弁してくれるに違いない。
「わかった。お前から他の誰かに言うまでは、俺がこのことを話すことはないから安心しろ」
隊長はそう言うと、俺の後ろへと視線を向けた。
「影山は問題ない、心配するな、いつも通りだ」
隊長の宣言に、全員がホッとした表情を見せる。おい、それで良いのか、お前達。今の一言で安心するのはどうかと思うぞ?
「あのー、今の一言で納得するなら、俺が原因を話さなくても、隊長が問題ないと一言いえば問題なかったんでは?」
「そんなことはない。俺が事情を知っているのと知らないのとでは大違いだ。では午後からの訓練も頼むぞ、以上だ。……ああ、影山」
立ち去りかけたところで呼び止められた。
「まだなにか」
「午後からはちゃんといつも通りにしろ」
「いつも通りて……」
「いつも通りだ」
つまりいつものように愚痴れということらしい。静かにしろと言われるならわかるが、まさか愚痴れとは。
「言われたら逆にやりにくいですわ~~」
「これは命令だ」
「命令て」
「命令、だ」
「……了解しました」
そして午後からの訓練飛行では、いつも以上に張り切って愚痴ったら、今度はものには限度ってものがあるだろと指摘されたのは、納得できない。
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