第十話 草刈り

「あれ? 葛城かつらぎ君、影山かげやまがどこに行ったか知ってるかな?」


 朝のブリーフィングが終わってからしばらくして、総括班長の青井あおい三佐が部屋に顔を出すと、俺に声をかけてきた。


「三佐ですか? さっきまでそのへんに……」


 そう言われて部屋の中を見渡す。ついさっきまで、呑気な関西弁が聞こえていたはずなのに、いつの間にか三佐の姿は消えていた。


「さっきまでそこで、ファンレターの整理をしていたんですが。午後からの飛行訓練のことでなにかありましたか? なんなら呼び出しをかけますが」

「いや。まあ急ぎの用件でもないから、見かけたら話をするよ。邪魔してすまない」


 班長は心なしかがっかりしたような表情をして、部屋を出ていった。最近は、飛行前のおにぎりタイムを二人で楽しんでいるから、もしかしたらそのことだったのかもしれない。そう言えば今日の三佐のおにぎりの具はなんだろう?と考えて、自分もかなり毒されてるよなと心の中で笑ってしまった。


「そう言えば、今日は影山さんの飛びたくないをまだ聞いてなかったよな」


 コーヒーを飲みながら長尾ながお一尉がつぶやく。


「今日の午前は、滑走路脇の草刈り作業がありますからね。朝から御機嫌でしたよ、朝一メトロもないし、少なくとも午前中は飛ばなくてもすむって」


 今日の松島まつしま基地は、朝から滑走路脇の草刈り作業が予定に入っていた。たかが雑草されど雑草。放置しておけば視界も悪くなるし、滑走路のアスファルトの状態にも悪影響が出る。意外と知られていないが、滑走路を常に良い状態にしておくためには、草刈り作業は非常に大切な作業だった。


 そしてその作業があるため、ブルーを含めたこの基地すべての航空機の訓練は、午後からの予定になっている。午前中は久し振りにファンレターをゆっくりと読めるで~と三佐は楽しそうにしていたんだが、一体どこへ行ってしまったのだろう。まだ、全員に対しての御礼状のサインは完了していないはずなのに。


「だが、三佐の飛びたくないを聞かないと、一日が始まった気分にならないのも困ったもんだよな。完全に俺達、影さんに毒されてる。通常任務に戻ってからのことが、心配になってきたよ」


 それは全員に言えることだ。朝からなんとなく物足りなく感じていたのは、飛行訓練がないせいだけではなく、三佐のいつもの愚痴りを聞いていないせいなのだから。


「たしかにそうですね。自分も三佐のいつもの愚痴りを聞かないと、一日が始まった気がしません」

「こりゃ、ここを離れる前に、目覚まし用に三佐の愚痴りを録音しておかないとダメかもしれないな」


 そんなことを言いながら、その場にいる全員で笑い合った。



+++



「あの……よろしいでしょうか」

「?」


 それから二十分ほどして、警務隊に所属する隊員が顔を出した。


「総括班長を探したのですが、おみえにならないようなので、沖田おきた二佐に、どうしたら良いのか確認をさせていただきたくまいりました」

「隊長に?」


 もしかして基地の外で自分達が飛ぶのを待っているマニアさん達が、なにかもめごとでも起こしたのだろうか? 警務隊員の言葉に、それまで午後からの訓練飛行の計画書に目を通していた隊長が顔をあげた。


「どうした? なにか問題でも?」

「問題といいますか……。まずはこれを聞いていただけますか……」


 そう言いながら彼は、無線機の音量を大きくして机の上に置く。


『三佐~~そんなことされたら困りますよ~~バレたら自分達が首っすよ~~』

『なにゆーとんねん、この人数でちんたらやってたら、いつまでたっても終わらへんやん。このままやったら午後になっても飛ばれへんで。終わらへんかったらパイロット全員が、君等のその貧相なケツを蹴りにくるんちゃうんかー? うちの隊長からは、きっついかかと落としやで』

『だからって。ああああ! 草刈り機、勝手に動かさないでください! 危ないですよ! 怪我したらどうするんですか!』

『こりゃまたえらい年季の入った草刈り機やな、これ。いくらなんでも、もうちょっと新しいの買ったほうがええで? 刃先が錆びてボロボロやん? こんなんでちゃんと草刈れるんかいな』


 ブーンというモーター音と共に、なにやら御機嫌な歌声が無線機から流れ始めた。


「……この声はもしかして影山か?」

「もしかしてなくても影山三佐だと思います」


 姿が見えないと思ったら、どうやら外に出て草刈りの作業に参加することにしたらしい。飛行訓練は午後からなのに、朝からやけに天気がいいと思ったら、そういうことだったのか。


「ってことは、あっちの集団の中に影山三佐がいると……」


 窓の外から滑走路のほうを見ると、トラクターと何人かの隊員達がいるのが見える。あの草刈り機を持っているのが三佐のようだ。


『めっちゃのびとるやん。よーもまあ、こんなんなるまでほっといたな、これ。午前中どころか一日かかるんちゃうん? きちんと刈らな午後から飛べへんで。あ、青井、よーきた! 班長もちょっと手伝ったって。めっちゃすごいことになっとるで、このへんの草』


 そこに近づいていく人影。どうやらあれが青井班長のようだ。そしてその人影も、最初のうちはなにやら挙動不審な動きをしていたが、やがて草刈り機を持って作業を始めた。


『あの、本当にお二人とも困ります! この仕事はこちらに任せてもらわないと、自分達が叱責しっせきを受けるんですから!』

『かまへんかまへん、毎日のように滑走路を使うのは俺達なんやから、綺麗きれいにするんを手伝うのは当然やろ。ほれ、ここは俺と班長に任せて、自分らはあっちの草刈りしてきー。のんびりお喋りしてる時間なんてないんやで? 午前中に終わらすつもりあるんか? そっちのほうが叱責しっせきされる元なんちゃうん?』


 自分達がやっている場所とは反対方向を指でさし、他の隊員を追い立てている。その様子を見た隊長が、やれやれと言わんばかりに小さく溜め息をついた。


「まあ、特にこちらですべきこともないから問題ないだろう。本当に問題ありなら、あちらから救援要請が出されるだろうし、それまでは放置でかまわない」

「え、本当にそれでよろしいのですか?」

「ライダーが滑走路の手入れを手伝ったとしても、問題はないだろう? 警務隊が気にすることはない、ほおっておけ」


 まあたしかに、これは警務隊の任務の範疇はんちゅうではない気がする。彼も、たまたま無線を聴いたからここにやってきたのだろうし。


「……わかりました。では、自分達はこのまま聞かなかったことにします」


 それでよろしいと隊長がうなづくと、隊員は失礼しましたと一礼して部屋を出ていった。


「よろしいのですか?」

「なにがだ」

「三佐と総括班長が、このまま草刈りの作業を続けていても」


 俺の質問に、隊長はしばらく考える仕草をしてみせる。


「さっきも言ったとおり、空き時間を利用して手伝う分には問題ない。影山は築城ついきでも草刈りをしていたらしいからな。初めてのことでもないだろうし、大丈夫だろう」


 そういう問題なのか?


「総括班長は?」

「あいつは無駄に器用だから問題ない」

「……」


 隊長は総括班長と長い付き合いらしいし、その隊長がそう言うなら問題ないか。もう一度、窓の外を見る。最初はなんとかやめさせようとしていた隊員達も、あきらめたらしく離れた場所で草刈りの作業を始めていた。


「葛城」

「はい」

「お前も草刈りに参加したいのなら止めはしないぞ」

「……あー、いえ、自分は遠慮しておきます、邪魔になりそうですので」



+++++



「おーー、こりゃまたずいぶんとすっきりしたやん?」


 刈り集めた雑草を、トラックの荷台に積み終えてから周辺を見渡す。それまで地味に視界をさえぎっていた雑草が一掃いっそうされ、作業を始めたころに比べて、視界はかなりクリアーになった。うむ、大変よろしい。


「俺達が手伝って良かったやろ? 昼飯まであと……」


 腕時計を見る。


「あと三十分やで。余裕やん?」


 雑草を積み終わった隊員が、眉毛をハの字にしてこっちにやってきた。


「結果的に助かりましたけど、上に見つかったら絶対に俺達、首っすよ。このことは内密にしておいてくださいね。それとお手伝いは助かりました。ですが、これきりってことで」

「つれないなあ、いつも使ってる滑走路の整備やから、はりきって手伝ったのに」

「ですから、助かりましたけどって言ったじゃないですか。もうこれっきりですからね」

「やっぱりつれないわあ……どう思う、総括班長?」

「滅多にしないことだし、いい運動になったよ。でも、さすがに腹がすいたかな」


 青井の言葉に賛成するように、俺の腹の虫も鳴く。


「ふむ。結構な肉体労働やったもんな。きっと昼飯はうまいで。今日は唐揚げの日やったよな? ああもちろん、飛行前のおにぎりも持ってきてるで。ほないこか。後のことは任せても?」

「はい、どうぞ戻ってください。くれぐれも今回のことは、言いふらさないでくださいね?」

「また手伝ってもええんやったら黙っとくわ」


 ああああ~~となっている彼等を置いて俺達は戻ることにした。


「悪かったなあ、そっちまで手伝わせて」


 歩きながら青井にそう話しかける。


「いい運動になったから問題ないよ。おかげで、おにぎりがおいしく食べられそうだし」

「今日の具はなんや? ってか、班長のところは形のほうが気になるんやけどな」

「今日はなんだったかな……たしか、いつもブルーの皆がさわってるものとか言ってたけど」


 青井の奥さんはなかなか独創的なアイデアの持ち主で、たまにとんでもない形のおにぎりが飛び出すことがあった。ブルーの皆がいつもさわっているものか、さてはて、今日は一体どんな形のおにぎりが出てくるんだろうな。



+++



 そして午後からの飛行訓練。午前中は飛べずにいたこともあり、午後からは六機全機が上がることになっていた。つまり晴天で視界も良いので、第一区分を通して飛ぶということだ。


 さらに隊長の話によると、今回俺達の飛行を下から監視するライダー達の中に、次の五番機のパイロット候補がいるらしかった。候補は何人かいるようで、今日を含めて何度か監視報告をさせていて、その内容から一人にしぼるということだ。いよいよ五番機にもデッシーさんがやってくるようだ。えらいこっちゃやで。


 滑走路に出ると、前の四機が離陸するのを待ちながら、自分達が草刈りをした成果を見渡す。


「おおー、やっぱりすっきりしとるやん? ええやんええやん、すっきりした滑走路。これで飛ばんでええなら、もっとええんやけどな」


 一番機から四番機が編隊を組んだまま離陸した。次は俺の五番機と葛城の六番機だ。


「ほな、今日の訓練も無事に終わりますように!」


 パンパンと両手を合わせて拝むと、操縦桿とスロットルに手を置いた。


「こちら管制塔。ブルーインパルス05、06、離陸よし」

「了解、管制塔。ほな行くで、オール君」

「了解です、シャウト」

「05、ブレーキリリース、ナウ」

「06、ブレーキリリース、ナウ」


 五番機のデッシーということは、将来的には葛城とデュアルソロを飛ぶということだ。もちろん、誰と組んでも問題なく飛べなくてはならないのはわかっていた。だが相性が良いに越したことはない。誰が選ばれるにしても、葛城と相性の良いパイロットが選ばれてくれれば良いんだが。


 そういう点では、長尾も葛城も飛びやすい相手だったから、俺は実に恵まれているよな。


「はー、飛びたないけど、05、レッツゴー!」

「はいはい、行きますよ、06、レッツゴー!」


 こんな掛け合いができるデュアルソロの相棒なんて最高やん? それを認めてくれている隊長も最高なんやけどな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る