第二章 竜の友達
第1話 帰還
アーデミーロに着くまでの時間が、やけに長く感じた。フェーデルに向かったときと同じ道のはずなのになぜそう感じたのか。その理由は、すでに判明していた。
「おー、着いた着いた。おじさん、こんにちはー」
ロロが門の守衛に声を掛ける。歳を重ねた守衛は「こんにちは」と笑みを返す。クリフが馬を操って馬車を進めようとすると、守衛がクリフに尋ねた。「女嫌いは治ったのか」と。クリフは頭を掻いた。これで丁度十度目だった。
ロロと一緒に馬車で帰る途中、何組かの集団とすれ違った。商人、旅行者、クリフと同じ戦士といった様々な人たちだ。そのなかでクリフを知っている人からは、必ずと言っていいほどの確率で守衛が尋ねて来たときの言葉をかけられた。最初こそ丁寧に答えていたのだが、何度も聞かれるとうんざりしてしまい、少々言葉が荒れてしまった。
「うるせぇ俺の勝手だ」
クリフは投げ遣りに答えた。守衛は表情を引きつらせた。クリフは彼の表情が戻らぬうちにその場を去った。
「もうっ、クリフったら……もっと優しく言おーよ」
ややご機嫌斜めな表情のロロをクリフは睨んだ。ロロの動きが一瞬固まり、それが解けると心配げな顔を見せた。
「どしたの? 大丈夫?」
「何でもない。そのままでいろ」
「なんで?」
「いいからだ」
クリフはロロを戒める。ロロは納得いかなそうな態度を見せたが、間もなくして街の景色を眺めはじめた。馬車に乗るのも、ゆっくりと街の景観を見るのも初めてなのだろう。その姿は小さな田舎の村から来た子供のようだった。ロロの注意が逸れたところで、クリフは一息ついた。
アーデミーロに着くまでの間、ロロはほぼ休みなくクリフに話しかけてきていた。他愛のない世間話ばかりだったが、ロロを意識してしまうと上手く口が回らなかった。竜であるとはいえ見た目は女性。しかもかわいい。そんな相手と近くで会話をすれば、緊張しないはずが無かったのだ。
だがそれも、アーデミーロに着いてようやく終わった。ロロは無邪気に街を眺めていた。クリフに話しかける事も忘れて、街行く人に挨拶をしている。すれ違う住民たちは律儀に挨拶を返す。その反応に喜んだロロは、また別の住民に挨拶をする。この様子だと、詰所に着くまでの間は話しかけてこないだろう。
馬車を進ませてから少し経つと、戦士団詰所に着いた。クリフはロロと一緒に馬車から降りると、詰所の入り口横に立っていた戦士団職員に声を掛け、馬車を移動させるように頼んだ。御者台に職員が乗り、早速馬車を移動させる。馬車は詰所の裏門の方に向かった。
「ねぇ、荷物はいいの?」
「用事が終わったら取りに行く。それまでお前はここに居ろ」
クリフはロロに入り口付近から動かないことを命じた。ロロは不思議そうな顔で首を傾げた。
「なんで?」
「いいからだ。すぐ終わるから待ってろ」
そう言って、クリフは詰所に入った。時刻は正午近く。任務に向かった戦士が多いため、詰所の中は静かだった。任務の無い戦士が酒場にちらほらといる程度だ。クリフは酒場を一瞥してから受付に向かう。
が、クリフは足を止めた。
窓際の四人掛けテーブル席。いつの間にかレイの指定席になっていたその席に、一人で座る黒髪おかっぱ頭の後ろ姿があった。クリフはその席に向かって進む。近づいて顔を見てみると、案の定レイだった。レイはクリフに気付いて顔を上げる。
「……こんにちは」
相変わらずの小さな声で、レイは言う。
「おう。今日は休みか」
飾り気のない単色の服を着ていたので、今日が非番であったことが見て取れていた。にもかかわらず、クリフは知っていたことを尋ねた。
「うん、休み」
「そうかい。俺は予定してた任務が中止になって、今帰ってきたところだ。実績が積めなくて困ったが、それ以上の成果があって大助かりだ」
「……そうなんだ」
「おう!」
クリフはレイの言葉を待った。次にクリフの上げた成果が何かを聞いて来ると期待していたからだ。同じ歳で自分の立場を脅かそうとする戦士の現状を知りたいのは至極当然のことである。俺なら気にする。
だがいくら待っても、レイの口から催促の言葉は出なかった。レイはじっとクリフの顔を見つめたまま貝のように口を閉ざしており、その口が開く様子はない。クリフはいつ聞けるか分からないレイの言葉を諦め、自分から語り出した。
ロロが竜であることを伏せて、クリフは語る。ギリアン山脈の調査から黒竜を相手にして勝ったところまでの内容を若干盛って、物語の英雄譚のように語った。
話し終えた後、クリフはレイの反応を窺った。少しは興味を持っただろうと期待していた。しかし、レイの表情に変化は無かった。「凄いですね」と一言だけしか言わなかった。クリフは出掛かった声を一旦呑みこみ、落ち着いてから別の言葉を口に出す。
「まぁな。俺にはもう竜を狩れる力がある。これなら次の試験で竜狩りになることはほぼ間違いない。お前だけが特別扱いされるのはそろそろ終わりだぜ」
「特別?」
「そうだ。昇格最短記録は俺が貰う。そうなれば今みたいにチヤホヤされなくなるからな。今のうちに楽しんどけよ」
「……そっか」
レイは口の端を微かに上げた。
「期待してるね」
顔が熱くなるのを感じた。クリフは歯の奥を強く噛んで感情を抑える。深く息を吸い、吐くと同時に体内の悪感情を放出した。少しだけだが気持ちが落ち着けた。また怒りが再燃しないうちに、クリフはレイの傍から去った。
クリフの知るレイは、いつも無表情で無愛想で、よく分からない戦士だった。喋ることも当たり障りのない返答ばかりで自分の事を話したがらない大人しい少年だ。
そんなレイが、クリフに向かって挑発してきた。クリフの知る限りでは初めての事だ。クリフが黒竜を倒したと聞いて、地位が危ぶまれると意識したのか。予想外な挑発に一瞬怒りを抱いたが、そう考えると気分が良い。クリフの心境は、今やご機嫌であった。
気分を良くしたクリフは、改めて受付に行って任務の報告をする。調査結果とフェーデルで起こった事を報告し、その内容を職員が記録する。黒竜が出たうえに竜狩りのエリザベスが死んだこともあって、職員に長い時間拘束されて質問攻めにあった。
街や森で黒竜出現の前兆があったか、黒竜の姿はどのようなものか、エリザベスに化けていた時の黒竜の振る舞いや姿に違和感が無かったか、どのような戦い方でどれほどの強さだったのか等々、事細かく質問を受けた。
クリフが職員から解放されたのは、労働者が昼休みを終えたのと同じ時間だった。予想以上に時間がかかってしまったため、クリフは急いで詰所の裏口に向かった。
裏口は馬車の格納庫と繋がっている。いつもは馬車が数台止まっているが、今はクリフが乗ってきた馬車しかない。その馬車の傍らにクリフが運んできた荷物が置かれており、隣に馬車を移動させた職員が立っている。彼は一定のリズムを刻みながら足裏で地面を叩いていた。クリフは職員の下に駆け付ける。
「すみません、遅れてしまいました。報告に時間がかかって―――」
「これにサインして」
クリフの言葉を遮って、職員が書類を乱暴に渡す。《受け渡し確認書》、その名の通り荷物が持ち主に届けられたことを証明する書類だ。荷物の紛失や盗難を防止するために、受け取られるまで担当した職員が待つことになっていた。今回運んできた荷物は、クリフの服や小道具を入れたバッグと黒竜討伐の証拠の歯や鱗等の部位を一袋分だ。クリフは書類を持ちながらそれらを確認する。
「おい、さっさとサインしてくれ。こっちは腹が減ってるんだ」
イラついた声色で、職員が言う。クリフはしゃがんで荷物を確認しながら、丁寧な口調で答える。
「遅れたことには謝罪します。けど確認するのは大事なことなんで待ってください」
「俺の事も考えろ。毎回毎回いちいち確認しやがって……そんなのお前くらいだ。他の戦士はすぐにサインするぞ」
「そいつらと一緒にしないでください。私は自分の目で確認したいんです」
「俺を信用していないのか?」
「はい」
躊躇うことなく、クリフは言った。背中に受けていた視線が尖る。だがクリフは平然と続ける。
「あなたは他の職員に比べて大雑把なところが多々あります。以前私が持って来た荷物を壊したことがありましたよね?」
「……いつの話だよ」
「戦士になり立ての頃です。それに他の戦士の荷物を乱暴に扱っている姿も度々見てきました。私以外にも不安を抱いている方はいらっしゃいますよ。こんな人に支援を任せても良いのかって」
クリフは荷物を確認し終えると、書類に名前を書いて職員に差し出す。
「これからは気をつけた方が良いですよ」
職員はひったくるように書類を取り、乱暴な足取りで去って行く。不満を隠す気のない様子に、クリフは溜め息を吐いた。クリフよりも年を重ねた大人が、あぁも子供みたいな態度を見せることに辟易とした。
クリフはバッグを背負い、黒竜の部位が入った袋を持って詰所内に戻る。受付で職員に声を掛けて袋を渡す。詰所での用件を終えると、クリフはすぐに外に出る。さっきからロロを外に待たせっぱなしだ。ロロに対する申し訳なさがクリフの中に芽生えていた。
外に出たクリフは辺りを見渡す。詰所の前は人通りが多くなっていた。しかも詰所の入り口横で人だかりができている。クリフはその集団に目を向ける。
それはロロに群がる戦士共の集まりだった。
予想外の事態に、クリフは息を呑んだ。ロロがトラブルに巻き込まれたか、はたまた竜であることがばれたのか、嫌な考えが頭に浮かぶ。しかし集団から聞こえてきた会話で、その心配は霧散した。
「見ない顔だよね。どこから来たの? フェーデル? コマロット? それとも王都?」
「うるせぇ、どこでも良いだろ。それよりさ、一緒に飯でも食いに行こうぜ」
「服を買ってあげるよ。君に似合いそうな服がある店たくさん知ってるからさ」
「良い顔だ。スタイルも抜群だ。俺に抱かれる権利をやろう」
「えぇっと……」
戦士たちはロロを責めている訳ではなく、むしろ言い寄っているようだった。戦士団詰所の付近は女性が好む店が無いため、必然と男ばかりとなる。そんな場所に器量の良いロロが来たら、女に飢えた独身男戦士が放っておくわけがない。しかも長い間放置してしまったため、多くの戦士が集まることとなってしまった。思慮が不足していたことに悔いた。
ロロはどう応対すれば良いのか分からないようで、戦士たちの誘いに対して困り顔で曖昧な返事をするばかりだ。その様子が面白くてクリフは眺めていたが、ロロと目が合ってしまうと、そうも言っていられない。クリフは集団の真ん中にいるロロに声を掛けた。
「ロロ、待たせたな」
「クリフ!」
ぱぁっと明るい顔でロロはクリフを呼ぶ。満点の笑顔を向けられて、心臓が爆発しそうになる。危うく笑顔で死にかけた。
「もうっ、クリフったら遅い! 待ちくたびれたよ」
人だかりを掻き分けながらロロが駆け寄って来る。ロロがクリフに抱き着こうとして、寸前でクリフはロロを手で押さえて止める。ロロは不満気な顔を見せたが無視した。
「すまん。思ったより時間がかかった」
「じゃあご馳走して。お腹ぺこぺこだよー」
「分かった分かった」
クリフはロロを連れて詰所前から去ろうとする。その直前、「おい」と声が聞こえた。
「なに連れて行こうとしてるんだ、クリフ」
とりわけがたいの良い戦士がクリフに話しかけた。黒色でやや長髪のその戦士は、女好きで乱暴者だという噂のモーガンだ。さっきまでは卑しい眼でロロを見ていたが、今はきつい目をクリフに向けている。
「俺の知り合いなんだよ。この街に来たばかりだから色んなとこを案内したいんだ。だからお前らは安心して任務に行ってこいよ」
「女嫌いのお前がそんなことできんのか?」
「女嫌いじゃねぇ。苦手なだけだ」
「どっちでもいい。ガキのお前に任せられるか。俺が案内してやるから、お前は適当にぶらついてろ」
「女に手を上げる野蛮人よりかは、俺の方が紳士にエスコートできるさ」
「喧嘩売ってるのか?」
「お安くするぜ」
モーガンの威圧をクリフは一歩も引かずに受ける。不機嫌そうな顔を見せたモーガンが、不機嫌な顔を見せながら近づく。自然とクリフの体に力が入った。モーガンが人だかりから出たとき、ロロがクリフの身体に触れる。
「クリフ、行こ」
ロロはクリフの背中を押して、モーガンから遠ざけようとする。意外と強い力のせいで、どんどんと詰所から離れてしまう。
「待てロロ。あいつと話が終わってねぇ」
「じゃあまた今度しようねー。じゃあねー、バイバイ」
ロロが戦士たちに別れの挨拶をすると、彼らはまばらに挨拶を返した。モーガンは「逃げんのか!」と声を上げる。言い返したかったが、それ以上にロロの事を考えてしまい、言葉が出なかった。冷静になった今、ロロを戦士たちの前に晒し続けるのはまずいことだと思い至った。
「あー……分かったよ。飯でも食いに行くか」
「うんうん。そうしようそうしよう。美味しいお店に連れてって―」
無邪気な笑顔に魅せられて、クリフは内に溜まった怒りを吐き出した。腹が減っているのも事実だ。美味しいものでも食べれば、少しは落ち着けるだろう。
クリフはよく利用する店を思い出し、その方向に歩を進めた。
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