第24話 日常

『あれ? もう行くんだ』


 翌日、ギリアン山脈の山頂付近にクリフとロロは向かい、ファルゲオンと再会した。ファルゲオンは身体の傷を舐めながら、クリフたちを見下ろしていた。


「あぁ。任務が無くなったからな。長居する必要は無い」

「ロロはもう少し居たかったのにー、クリフが早く帰ろうっていうからー」

「あいつらが冷静になって、またお前を疑い出したらどうするんだ」

「ちぇー」


 不満気な顔をするものの、ロロが反対することは無かった。

 黒竜を倒した昨日、クリフとロロ、そしてファルゲオンは住民たちに感謝された。黒竜討伐を聞いて戻ってきた住民と戦士は、ロロを疑ったことの謝罪もし、詫びと礼を兼ねた宴が催された。しかしファルゲオンは黒竜を倒した後、「まだ竜に嫌悪感を持つ人もいるかもしれないからね」と言って退散した。フェーデルを助けたこと、傷を癒す竜の血を使って戦士たちを治療したファルゲオンを見て、いずれ和解する日が来るだろうとクリフは感じていた。

 一方のクリフとロロは、遠慮せずに宴の誘いを受けた。フェーデルで一番大きな料理屋に行き、並べられた料理と酒をたらふく飲み食いし、戦士たちや住民たちと一緒に宴を楽しんだ。ロロを竜だと疑る者は、もう彼らの中にはいなかった。


 翌朝、クリフはあてがわれた宿屋で目を覚ました時にある事を思い出した。それはロロを詰所に連れて来たとき、ロロが竜であることをクリフ自らがばらしたことだ。住民たちはあの場にいなかったが、戦士たちは大勢いた。騒ぎが終わった翌日、冷静になった者がいたらクリフの発言を思い出すかもしれない。そうなれば、またロロが竜であると疑われる。

 それに気づいたクリフは寝ていたロロを叩き起こし、大慌てでフェーデルから出る準備を始めた。戦士団詰所の受付でアーデミーロに戻ることを伝え、馬車に乗って町を出た。ロロに急に街を出ることを詰問されたが、馬車に乗ってからそのことを説明すると渋々と納得してくれた。本当は少し観光させたかったがタイミングが悪い。ほとぼりが冷めたらまた来よう。


 そうしてアーデミーロに戻っている途中、クリフはファルゲオンへの用事を思い出した。ギリアン山脈に進路を変え、山の麓で馬車から下り、ロロと一緒に山を登る。そして再び、ファルゲオンと顔を合わすこととなった。


『やあ、どうしたの?』

「帰る前にお前に用事があるのを思い出したんだよ」


 こうして今に至る。


「用事って何?」


 クリフはロロをファルゲオンの前に出す。


「こいつ竜なんだが、黒竜かどうかって分かるか?」


 ロロが黒竜なのか元竜なのか、結局のところ、それはクリフには分からなかった。人の姿になれるが身体に竜の特徴が無い。人を食べるよりも人を助けることを重視する性格。ロロを助けるとクリフは決めたが、これを曖昧にすることはできない。だからはっきりとさせるために、クリフはファルゲオンを訊ねた。同じ竜なら分かると思ったからだ。


『黒竜?』


 ファルゲオンは顔をロロに近づけ、眼を細めながらじっと見つめる。視点を変えたり、匂いを嗅いだりと、いろんな手段でロロを観察していた。

 そして顔がロロから離れると答えた。


『黒竜じゃないよ。多分』

「多分って何だよ」


 あいまいな答えに、クリフは突っ込んだ。


『うん。黒竜に近づいたらなんか嫌な感じがするんだけど、この子はそんな感じしない。だから違うよ』

「それは竜にだけ分かるのか?」

『多分ね。空気が違うっていうのかな。黒竜は人や竜とは変わった空気を持ってるんだよね』

「なるほど……じゃあ元竜なのか?」

『それなんだけどねー』


 ファルゲオンが困った顔を見せた。


『黒竜じゃないのは明らかなんだけど、かといって僕と同じ元竜って感じもしないんだー。黒竜とは違う方向で空気が違うのかな。なんかこう、近寄りがたい高貴な感じ?』

「高貴ぃ?」


 普段の振る舞いを見ていれば、ロロが高貴という言葉と縁が無い存在であることは明らかである。故にファルゲオンの言葉は少々納得しがたいものだった。


『そう感じたんだから仕方ないじゃん。それが普通の竜っぽくないから、元竜でも黒竜でも無いなーって思ったんだよ』

「……そうか」


 ファルゲオンからロロは普通の竜とは違うということらしい。それはクリフにとって喜ばしいことなのか、よく分からなかった。

 ただ黒竜と違うということが分かったので、それでよしとした。


「じゃあ次に、これ、お前に渡しとく」


 クリフは懐からペンダントを取り出した。ミネルバからもらった、ファルゲオンの鱗が付いた物だった。


『……なんでこれを持ってるの?』

「ミネルバさんから預かったんだよ。ロロに渡してくれって頼まれたんだが、その必要もなくなったしな」

「え? ロロ聞いてないよ」

『必要ないって?』

「これを預かったのは、ロロ以外に貰う人がいないからっていう理由だ。だがその原因も無くなるから、ロロが貰う必要が無くなった」

『原因?』

「竜嫌い、だよ」


 ミネルバは周りの人が竜の事を嫌いになったから、赤の他人だが竜に興味のあるロロにペンダントを渡そうとした。だがこれからは、フェーデルの住民たちの考えは戻るだろう。前のような、竜と交流を持つ町に。


「それが無くなれば、今度こそ大切な人にこれを託せられる。だからミネルバに返しに行ってくれねぇか?」

『僕が?』

「そう、お前が。理由があれば行きやすいだろ」


 クリフはペンダントを差し出す。ファルゲオンは迷ったものの、しばらくしてからペンダントを受け取った。


『分かった。渡しに行くよ』

「任せたぜ」


 クリフは用事を済ませ、その場から立ち去った。ファルゲオンに見送られながら、クリフとロロは山を下りる。その間、ロロは口を開かずに、何か考え込んでいるようだった。喋らないロロは珍しく、気になってクリフは声を掛けた。


「どうした? 何か心配事か」

「あのペンダントって何?」


 今思えば、ロロにペンダントの事を何も話していなかった。

 クリフはロロに一通りの事を説明をした。離している間、ロロは相槌を打ちながら聞いていた。しかしクリフが最後まで話し切ると、ロロは少しばかり不機嫌そうな顔を見せた。


「なんだ? 変な顔して」

「……ううん、何もない。何にもないよー」

「そうか、何にもないのか、じゃあ帰るか」

「うそ、ある。あるから聞いてー」


 クリフは一つ溜め息を吐き、ロロに聞き返す。


「で、なんなんだ?」

「うんとね……もしかしたら貰えたのかなーって思って、ちょっと残念だったの」

「何をだ?」

「ペンダント」


 あぁ、なるほど。クリフはロロの心情を察した。人との交流に飢えていたロロだ。そういった想いのある贈り物が欲しかったのだろう。ペンダントを返したことは良いことだと思っていたが、ロロに対してはしこりが残る結果になってしまった。


「仕方ねぇだろ。あの町が前みたいに戻るには、ファルゲオンが動かなきゃいけねぇ。そのために切っ掛けが必要なんだよ」

「うん、それは分かってるよ。けど……うん、そうだね……そうだよね」


 ロロは「はぁ」っと息を吐く。物寂しげな顔に、クリフは胸を痛めた。

 悪いことをしたつもりは無い。しかしロロの顔を見て、何かしなければならないという使命感が芽生えていた。


「町に戻ったら何か買ってやるよ」

「……本当?」

「あぁ。だから落ち込むな」

「うん!」


 ロロの明るい顔を見て、クリフは安堵した。上手くやられたような気がしたが、悪い気はしなかった。

 やはりロロには明るい顔が似合う。それが再確認できた。


「じゃあ、とっとと帰るぞ。マリーの飯も食いたいしな」

「うん。ロロも楽しみー」


 軽快な足取りで、ロロは山を下りる。はしゃぐ子供のような声色と笑みに、クリフの頬は緩んでいた。

 アーデミーロに帰れば、以前とは違う日常が始まる。それに不安を感じていたが、一方で期待も抱いていた。竜と過ごす日常は一体どんなものなのだろうか。


 クリフの歩は、自然と速くなっていた。

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