第22話 竜の戦い方

 フェーデルの広場に、二体の竜が向かい合う。一体は黒竜で、もう一体はかつて街の人たちと時を過ごした碧色の竜ファルゲオン。竜たちは互いを睨むように顔を合わせていた。

 元々、ファルゲオンはクリフたちの逃走支援のために用意していた手だった。しかし、突如黒竜が現れて、戦闘に集中していたクリフはファルゲオンの存在を忘れていた。


 そして今、予期していた展開とは違うが、ファルゲオンが助けに来てくれた。

 クリフはファルゲオンに感謝していた。約束に違ったものの、助けに来てくれたことに。

 これならなんとかなる。クリフは即座にファルゲオンに指示を出した。


「ファルゲオン! 戦士たちを守れ! 空気弾を撃たせるな!」


 黒竜の空気弾は脅威だ。軽々と人を飛ばし、物を破壊する。だが竜であるファルゲオンならば防ぐことができる。それを願って、クリフはファルゲオンに指示をした。


 が―――、


『よくも……』


 ファルゲオンはクリフに一瞥もせず、黒竜を睨み続ける。その様子から、クリフの声が聞こえていないことが窺えた。


『よくも皆を傷つけたな!』


 怒気を含んだ声に、クリフの身体は退いていた。あの弱々しかった竜が、クリフが以前から想像していた竜の姿へと変貌していた。広場に来る前に会ったファルゲオンとはまるで別人、いや別竜かと思えるほどの変りぶりだった。


『邪魔するんじゃないよ! 餌を横取りするな!』

『餌じゃない、人だ! 僕の愛しい隣人だ!』


 竜たちは同時に動いた。互いが相手方に向かって走り、身体が交差するようにぶつかり合う。衝突音が響き、音だけで竜の力強さが伝わった。

 人とは比べ物にならない程の身体の体積と体重、そして筋力。それらから生み出される力は、たとえ竜狩りでさえも敵わない。


 だが、クリフは怖気づかない。竜狩りは腕っぷしで劣っていても、別の力を駆使して竜を狩る。だから竜狩りは皆に尊敬されるのだ。

 竜狩りの存在は、クリフの目標であり、希望であり、支えだった。それらがあったから、クリフは冷静に竜同士の戦いに目を向けられていた。


 竜たちは身体をぶつけたり、噛みついたり、爪で引っ掻こうとしている。黒竜は空気弾を放ち、ファルゲオンは口から火を放つ。両者が動くたびに広場は荒れるが、竜の身体にも傷が増えていく。一見、互角のように見える戦いだった。

 しかし、徐々にファルゲオンが押され始める。身体の傷が黒竜よりも増え、身体の動きが鈍くなっている。僅かに、だが確実に、ファルゲオンが傷つく時間が長くなっていた。

 始めこそ、お互いは激昂して感情に任せた動きが多く見られた。だがじきに、黒竜の方は落ち着きを取り戻して、ファルゲオンの動きを見ながら反撃をしている姿が多々見られた。


 これはおそらく、戦闘経験の差だろう。ファルゲオンは本来臆病な性格だ。他の竜と戦闘をするような機会があったとは思えない。仲間がいたときに黒竜と対峙することすら恐れた竜なのだ。あの黒竜よりも経験があるわけがない。その差が今、明確に表れ始めた。

 クリフは今一度、武器を握り直した。


「ロロ、お前は―――」

「ファルゲオンを守って」


 クリフより先に、ロロが言い切った。ロロはクリフの身体を掴みながら、今にも泣きそうな顔で懇願する。クリフの心臓の鼓動が速くなった。


「あの子、ロロと同じで弱い竜だから、守ってあげないとやられちゃう。だから、早く助けてあげて」

「分かってる。だがロロ、お前はここから離れろ。今なら逃げられる」


 黒竜は元竜の相手をしているため、クリフたちを無視している。街の戦士たちは負傷者が多く、治療や退避に精一杯だ。住民たちは既に逃げ去っている。皆、自分たちの事で手一杯だ。今ならロロは自由に動けられる。逃げることも十分可能だ。だからクリフは、当然のように逃げることを勧めた。


 しかし、ロロは首を縦に振らなかった。


「ううん。ロロにはやることができたの。だから逃げない」

「やることって何だ?」

「皆を助ける。ファルゲオンを見たら、ロロもそうしなくちゃって思ったの。皆と仲良くなるには、やっぱロロから助けなきゃ」

「だがお前がどうやって助けるんだ。竜の姿になったら、竜だとばれなかったことが無駄になるぞ」


 クリフが危惧していたのは、ロロが竜になってファルゲオンに加勢することだった。弱い個体とは言え、ロロが加われば二対一になり、数的有利となる。黒竜を討てる可能性も上がる。

 しかし代償として、ロロが竜であることがばれてしまう。そうなればロロの望みが叶えにくくなるだろう。街の人たちの命を天秤にかければ、ロロが竜になって戦うことが最善だ。だがロロの事を考えたら、戦うことを避けて欲しかった。

 やっと上手くいく未来が見えたというのに……。


「違うよクリフ」


 しかし、ロロの考えはクリフの予測と違っていた。


「ロロは竜にならない。皆が幸せになれる方法で助けるよ。フェーデルの人たちとファルゲオン、そしてクリフが幸せになれるような方法で」

「……そんなことができるのか?」

「うん。だけど時間が必要なの。そのために、クリフはファルゲオンを守ってあげて」


 ロロの顔を見て、嘘をついている様には見えなかった。彼女の真剣な顔を見て、ロロの言ったことができそうに思えてくる。

 だからクリフは、ロロの策に乗ることにした。


「分かった。じゃあ頼むぞ」

「うん。クリフも頑張ってね」


 言葉を交わしてから、クリフは竜たちが戦っている場所へと走り出した。

 竜たちの戦闘は、今や黒竜の方が明らかに優位になっていた。ファルゲオンは体勢が低くなり、立つことも辛そうにしている。一方の黒竜は、いくつか身体に傷が残っているものの、疲労の色は見られない。そして黒竜は、動きが鈍くなったファルゲオンに向かって空気弾を撃とうとしていた。


「させるかよ」


 黒竜が空気弾を放つと同時に、クリフは跳び上がり、黒竜の頭に大剣を振り下ろした。クリフは渾身の力で振るったが、前回と同様、黒竜の頭部に傷がつくことは無い。むしろ攻撃の反動により、クリフの腕の方に強い衝撃が伝わっていた。

 黒竜は何の障害に阻まれること無く、空気弾を放つ。しかし、黒竜の攻撃はファルゲオンに届かなかった。


『くっ……小癪な事を』


 空気弾は、ファルゲオンの足元で弾けていた。クリフの攻撃により黒竜の頭が下に向き、ファルゲオンに届かなかった。空気弾が地面にぶつかったことで突風が発生したが、人の何倍もの体重があるファルゲオンには無意味なものだった。


「敵の数を覚えてないのが悪いんだよ」


 クリフはファルゲオンの前に立ち、黒竜と対峙する。これでクリフが攻撃される危険性は増したが、ファルゲオンへの攻撃は減る。被弾が減れば戦える時間が増し、ロロが事を為すまでの時間稼ぎになるはずだ。


 黒竜はクリフとファルゲオンを警戒しているのか、仕掛けずに二者の様子を窺っている。時間を稼ぎたいクリフにとって、黒竜の選択は好都合だった。

 いいぞいいぞ。長引くほど住民たちの避難は進むうえ、ロロを助けることになる。じっくり時間を掛けて、俺たちを確実に倒す手段でも考えてろ。


 内心ほくそ笑んでいたクリフ。ファルゲオンも敵が動かないことを良しとし、その間に呼吸を整えている。地面に倒れていた戦士たちも、まばらに動き始める者が増えてきた。


 そして、


『なるほど』


 黒竜は呟いた。


『これだけ隙を見せても攻撃してこないってことは、もう兵器は使えないのね』


 クリフは息を呑んだ。

 数分前、黒竜は屋上で兵器を操っていた戦士たちを狙って攻撃した。そのせいでいくらかの戦士たちは被害を受け、兵器にも損傷が生じた。しかし、全てではない。広場の周りには多くの建物があり、そのいくつかに兵器が設置されていただろう。そのなかで黒竜の攻撃から逃れた場所もあったはずだ。まだ兵器を使える場所があり、黒竜が飛び立つのを待っているとクリフは考えていた。

 だがそれは、戦士たちの状況を知っていないからこその所見だった。クリフと黒竜の見えているものは、異なっていた。


 黒竜は翼を羽ばたかせ、空を飛んだ。地面から足が離れ、ゆっくりと高度を上げる。飛んでいるものの隙だらけの体勢。さっきまでならこの瞬間に、屋上の戦士たちが攻撃をしていた。だが今は、砲弾どころか弓矢の一本も黒竜に飛んでいくことは無かった。


『あらやっぱり。もう戦士たちは逃げてたのね』


 黒竜は周囲を眺めながら言い放つ。おそらく黒竜の視界には、屋上に動ける戦士がいない光景が映っているのだ。だからこそのあのセリフだ。


 後手に回った。クリフは失態を悔いていた。黒竜の意図を早く察していれば、止めに行くことができた。ファルゲオンをけしかけることもできた。そもそも、黒竜の出方を待たずにクリフから攻撃することもできた。

 何もかもが遅すぎた。そのせいで、黒竜に制空権を取られてしまった。この展開から黒竜がすることは、誰が考えても分かる事だった。


『さぁ、地べたで這い回ってなさい』


 黒竜は口を開く。クリフは空気が動く気配を察した。クリフはその場からすぐに移動する。その直後に、さっきまでクリフが立っていた地面が、大きな音を立ててへこんでいた。やはり空気弾だ。

 黒竜は何度もクリフに空気弾を放つ。クリフは風の流れと口の向きを見て攻撃を予知して躱し続ける。空気弾の速度は弓矢よりも遅い。弓矢を避けられるクリフならば、不意を突かれない限り空気弾を回避することは容易かった。

 しかし、それはクリフが万全の状態ならではの話だ。こうも何度も一方的に攻撃されたら、先にクリフの体力が限界を迎える。その状態で空気弾を避けることは難しい。だから何とかして、黒竜を地に下ろす必要がある。そのためには、竜であるファルゲオンか屋上の兵器の力が必要だった。


「ファルゲオン! あいつを地に下ろせ!」


 そのなかでクリフができることは、ファルゲオンをけしかけることだけだ。クリフは早速ファルゲオンに指示を出す。


『わ、分かった』


 ファルゲオンは翼を動かして飛ぼうとする。だが黒竜は、その行動を見逃さなかった。黒竜はさっきまでクリフを攻撃していたが、空気弾の照準をファルゲオンへと変更した。


「早く飛べ!」


 クリフは黒竜の狙いを察してファルゲオンを急かす。気づいたファルゲオンはすぐにその場から飛び上がったが、その直後にファルゲオンの身体に空気弾が命中した。ファルゲオンは身体を傾かせた。


『ぐぅっ―――』


 なんとか堪えたファルゲオンは、黒竜に向かって飛んでいく。そして飛びながら黒竜に向かって火の玉を放った。だが黒竜はそれを易々と躱し、反撃として空気弾を放つ。黒竜の攻撃は、またファルゲオンに当たった。


『馬鹿ね。私に空中戦を挑むなんて』


 黒竜は優雅に空を舞う。先ほどまでの野蛮な地上戦とは打って変わって、黒竜には余裕があった。一方のファルゲオンは黒竜に攻撃を当てる事はもちろん、追いつくことさえも出来なかった。黒竜の方がファルゲオンよりも飛行能力が上回っており、その差によりファルゲオンは苦戦を強いられていた。クリフは頭を掻きむしった。


 何とかしてファルゲオンを助けないといけない。そのためには黒竜を地面に引きずり落とす必要があるが、クリフにはそれができる手立てがない。空を飛ばれたら成す術がないのだ。何もできないクリフは、歯痒い思いで二体の戦いを見守るしかなかった。

 だが、それも間もなくして終わろうとしていた。


『とどめよ』


 黒竜の口元に風の渦が巻き起こる。目視できるほどの濃い空気が、黒竜の口に集まっていた。しかも黒竜の頭よりも一回り大きい空気弾だった。


 あれを喰らえば、同じ竜であるファルゲオンでもただでは済まない。ファルゲオンは避けようと飛行するが、その動きは緩やかだった。黒竜はゆったりと動くファルゲオンに狙いを定める。


 轟音が響いた。

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