第21話 小心者の協力者

 詰所前でロロと別れてから、クリフは広場に向かう前に別の場所に出向いていた。

 ロロを助けるにはクリフの力だけでは足りない。しかしフェーデルには、竜を助けるためにクリフに協力する者は居ない。戦士はもちろん、一般市民も無理だ。ミネルバのような老人に手伝わせるのも気が引ける。

 だがミネルバの家にあった絵から、救出に最適な者が思い浮かんでいた。その者に頼るために、クリフはギリアン山脈を上る。


 向かう場所は竜の痕跡を見つけた山頂付近。場所は記憶していたため、迷うことなくその場所に辿り着いた。


 昨日となんの変りも無い景色。倒したはずのモンスターの死骸さえもない。ロロが片付けたのか、他のモンスターが処理したのか、はたまたクリフが尋ねに来た者が綺麗にしたのか。

 だがそのことに関しては深く考えず、クリフはその場で叫んだ。


「ファルゲオン! 近くにいるのか! いたら出てきてくれ!」


 精一杯の大声で、クリフはファルゲオンを呼ぶ。


「頼みたいことがあるんだ! 力を貸してくれ!」


 助けを求めて何度も叫ぶ。

 内心、焦りはあった。モンスターが住まう森の中で目立つ行為をすることなんて、自殺行為も同然だ。しかもここは、昨日モンスターに襲われた場所だ。近くにモンスターがいる可能性も高い。ここでモンスターに襲われて怪我をしたら、ロロを助けることに支障が出るだろう。


 だが、それでも叫ぶしかなかった。


「あんたと同じ、人と仲良くなりたい竜が殺されそうになってるんだ! 助けるために手を貸してくれ!」

『本当?』


 森が大きくざわついた。土が舞い、茂みが揺れ、木々が震える。クリフが立つ場所に、風が舞い込んでいた。空気が上空から流れ落ちている。

 クリフは顔を上げて空を見た。一体の大きな竜が空に浮かんでいる。竜は徐々に高度を下げ、クリフの前に降り立った。


 碧色の身体。長い首。背中の大きな翼。四本の足。そして三本の前爪と一本の後爪。

 ミネルバの家で絵に描かれていたファルゲオンの足は、ここで見た足跡と同じものだった。だからクリフは、あの絵を見たときにここに来ていたのがファルゲオンだと確信していた。


 昨日の今日でまたこの場所に訪れるかは定かではなかった。むしろクリフたちが来たことに気づいて、もう来なくなる可能性が高かった。クリフにとって、ここでファルゲオンと会えるかどうかは、分の悪い賭けだった。


 だが、クリフは賭けに勝った。クリフは拳を握った。


「あんたがファルゲオンか?」

『うん、そうだよ』


 ファルゲオンがクリフの質問に素直に答えた。会話する気がある事に、クリフは安堵した。万が一、人間たちから追い出されたことを恨んでいる可能性を考えていたからだ。どうやら敵意は無いようだ。


「俺はクリフ、戦士だ。フェーデルじゃなく、アーデミーロに所属している」

『うん、知ってる。半年くらい前から戦士になったんだよね。お仕事お疲れ様』

「……何で知ってるんだ?」

『君が戦士の格好をしてフェーデルを出入りする姿を見たからだよ。乗ってた馬車がアーデミーロのものだったから、そうじゃないかなって』

「なるほど、単純な話だな。というより、いつも見てるのか。出入りする奴を」

『いつもじゃないよ。ここに来た時だけ。ここが一番良い場所なんだ。遠くから見つかりにくいし、町の様子がよく見えるから。けど皆に見つかったから、また移動しないと』

「皆って、モンスターか?」

『うん。僕この辺のモンスターたちに嫌われてるんだ。昔、町から追い払うたびに怪我させちゃったせいで、恨まれてるの。だから今は逆の立場なんだ。見つかったら襲って来るから、その度に場所を変えてるの』

「じゃあ昨日、俺が襲われたのもそのせいか……」


 竜を倒すために、山のモンスターたちが種族を超えて協力していた。そういうことなら、あの異常事態も納得できる。


『あれ? やっぱり来てた? 来た時に死体があったから誰か倒したのかなーって思ってたんだ。ごめんね、僕のせいで』

「……いや、気にしなくていい」


 随分と腰が低い竜である。クリフは竜に会いに行くにあたって身構えていたのだが、ファルゲオンの態度に拍子抜けしていた。


「モンスターと戦うのも戦士の仕事だ。それよりも、本題に入りたい」


 気の抜けた会話で遠回りしてしまったが、クリフは本来の目的をファルゲオンに告げた。


「さっき言った通り、フェーデルで竜が殺されそうになっている。あんたと同じで、人と仲良くなろうとしている竜だ。助けるのに協力してくれ」


 他の者たちの手は借りられない。しかし竜なら、かつてフェーデルで時を過ごしたファルゲオンなら、ロロを助けることに協力してくれると信じていた。

 クリフにとって、ファルゲオンこそが最初で最後の希望だった。


 この場所に来るまでに、かなりの時間を使った。フェーデルに帰るときには、もう広場で処刑が始まる時間になるだろう。だからここでファルゲオンの助けを得なければ、クリフは一人でロロを助けに行くことになる。


 一人で戦うことに恐怖はない。今までにもそういう機会は何度かあった。だが今回は戦うだけじゃない。ロロを助けなければならないのだ。

 ロロが竜になれれば、空を飛んで逃げられるかもしれない。だが飛行するまでの間に攻撃されたら易々と逃げられない。そもそも飛べる状態であるかも不確かだ。もし竜になれなかったら、クリフはロロを守りながらフェーデルから脱出しなければならない。


 広場には大勢の人が集まることが予想される。そのうえ戦士たちも大勢いるだろう。そのなかには竜狩りのエリザベスもいる。彼らに囲まれながらロロと一緒に逃げるのは、いくら腕に自信があるクリフでも不可能だ。

 だからクリフには、一緒にロロを助けてくれる者が必要だった。そして今、クリフに手を貸してくれるのはファルゲオン以外にいないと考えた。


 クリフの懇願に、ファルゲオンは口を開く。


『嫌だ』


 それは、明らかな拒絶の言葉だった。

 クリフは驚き、言葉に詰まる。その間に、ファルゲオンが言葉を続けた。


『少なくとも、大っぴらに助けるのは嫌。僕が助けたっていうのがばれないようにってなら話は別だけど、君の望みは違うんでしょ?』


 ファルゲオンの問いに、クリフは一旦落ち着いてから「そうだ」と答える。


「広場から出るために、あんたの力を借りたいと思っている。注目を奪うとか、逃走の援護とか、そんな感じだ。決して戦えとは言わない。だが人目に出ることは確かだ」

『じゃあダメだね』


 再び、ファルゲオンが拒絶する。その態度に苛立ちを覚えたものの、クリフは堪えた。


「なんでだ? 殺されそうになっているのは同類だぞ。助けたいとは思わないのか? 礼だってするぞ」

『同じ竜とか見返りとか、そんなのはどうだっていいよ』

「じゃあ何故だ?」

『だって恐いじゃん』

「…………は?」


 信じられない答えに、クリフは唖然とした。聞き間違えかと思い、クリフは改めてファルゲオンに尋ねる。


「すまん。理由はなんだって?」

『だから恐いからだよ。二回も言わせないでよ』


 間違いではなかったことに、クリフは呆れていた。

 怖い? 竜ともあろう生物が、何を恐れているんだ。


「恐いって何だ? 戦士か? 竜狩りか?」

『違うよ。誰がとかじゃないよ。嫌われるのが恐いんだよ』

「はぁ?」


 クリフは呆れ果てていた。

 嫌われるのが恐いって、小心者か!


「なんだよお前、ビビってんのか。竜のくせに人が、しかも戦士じゃなくて一般人が恐いのか」

『……そうだよ。悪い?』

「いや……みっともねぇなーって」

『ひどい!』


 ファルゲオンの顔は、人で言う泣き顔のようになった。その情けなさに、クリフの竜に抱いていたイメージが崩れ去っていた。

 人を襲う竜は、きっと強くて凛々しくて、挑み甲斐のある生物だと思っていた。だが蓋を開けてみれば、意外とひ弱で親しみやすい、人間味のある生物だった。

 ロロの例を思い出したクリフは、自然と笑っていた。


『何だよ……何が可笑しいんだよ!』

「お前じゃねぇ……いや、お前の事もだな」

『なにそれ?』

「お前含めて、全部が面白いんだよ。この二日間で起こった全部がな」


 この二日間で、クリフは色んな事を知った。ロロと出会い、人に化ける元竜の存在を知った。竜への大きな憎悪と、変わらぬ親愛がある事を知った。人と仲良くなろうとした竜が、臆病であることを知った。


 全部、初めての事だった。これらは、竜狩りになるには不必要なことだったかもしれない。だが、クリフが使命を果たすためには必要なことだったと言える。そして、それらを知る切っ掛けとなったのがロロだ。


 嫌っていたはずの竜に教えられるとは、人生何があるか分からないものだ。


『いったいどうしたの? 可笑しそうにして……』


 ファルゲオンは怪訝にクリフを見つめている。その人間臭い態度にまた可笑しくなったが、クリフは何とか堪えた。


「いや、なんでもない。……さて」


 笑いが収まったクリフは、またファルゲオンに願い出た。


「頼む。やっぱり手伝ってくれ。俺たちが逃げるのを助けてくれ」

『やだよ。ていうか、散々笑った相手によくそんなこと頼めるね』

「恥も承知だ。叱責も受ける。だが手を貸してくれ。ロロは俺の大事な奴なんだ」

『何でかなぁ……』


 ファルゲオンは不思議そうに尋ねる。


『人間にとって竜は、元竜も黒竜も同じで、敵なんでしょ? そのロロって竜も裏切るかもしれないんだよ? 何でそんな奴を助けようとするの?』


 ファルゲオンの言う通り、クリフもそう思っていた。

 元竜も黒竜もクリフの敵。黒竜の疑いがあったロロに対しても疑念があった。以前のクリフだったら、見殺しにすることを選んだだろう。


 だがクリフは、ロロの事を知った。

 明るくて、元気で、好奇心旺盛で、大食いで、可愛くて、感受性豊かで、堂々としてて、弱い子だ。


 ロロとはたった二日しか一緒にいなかった。しかし、その短い間でロロの事を十分に理解した。ロロはクリフが助けるべき相手だと。


 だから―――、


「助けたいと思ったからだ」


 この選択に、後悔は無い。


「人とか竜とかどうでもいい。今俺があいつを助けたいんだ。そのためなら何でもする」

『……人々から裏切者扱いされても?』

「そうだ」


 ファルゲオンは、静かにクリフを見下ろしていた。心の奥底を覗くような視線を、クリフはただ受け止める。


 幾秒かすると、ファルゲオンは視線を逸らし、呟いた。


『遠くから見てる。それで逃げられ無さそうだと判断したら助けに行く。それで良いでしょ』

「あぁ!」


 弾む声を、クリフは抑えきれなかった。

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