第10話 クリフの使命

 焚き火の火が消えかけた頃、クリフは武器を持って立ち上がった。足音を立てないように靴を脱いで、ロロの下に静かに歩を進める。


 ロロの寝息はだいぶ前から聞こえていた。しかし眠りが浅ければ、クリフが動く気配で起きる可能性がある。だから慎重を重ねて、深い眠りについた時を狙うことにした。

 クリフがロロの前に来ても、ロロが起きる気配はない。完全に寝入っていることを確認し、クリフは息を吐いた。


 黒竜を殺す。そのことに不満はない。それどころかむしろ光栄なことである。

 人を恐怖に陥れる黒竜を屠ることで、多くの人間を助けることができる。弱者の命を救うことが、クリフが戦士になった理由だ。


 だがロロを前にして、どうしようもない感情が胸に沸き上がり、苛立ちを覚えていた。

 見た目はクリフが守るべき、か弱い少女だ。実態は人を襲う黒竜で、粛清すべき敵であるが、人の姿でこうも無邪気に振る舞われると、黒竜も人格を持った存在であるということを意識してしまう。

 いっそ寝るときは竜の姿になっていて欲しかったと、クリフは内心で不満を垂らす。そうであったら、クリフが頭を悩ませることもなかっただろう。


 しかし、竜の姿であろうと、人の姿であろうと、やるべきことは同じである。

 人里に下りたら、ロロは黒竜になって人を襲うかもしれない。クリフに言ったことは嘘かもしれない。その可能性があるため、クリフがロロを殺さない理由はなかった。


 クリフは大剣を構え、ロロの首に狙いを定める。細くて白い綺麗な首に一瞬ドキリとしたが、唾を呑みこんで気を取り直す。ロロが人間ではなく黒竜である事を、自分に言い聞かせた。


 息を整え直してから大剣を持ち上げる。首を一刀両断すれば黒竜であっても死ぬ。クリフは両手に力を入れて、大剣を振り下ろす。


 その直前、クリフはある事を思い出した。

 クリフは構えを解き、右手を大剣の柄から離す。そしてその手をじっと眺めた。


 何故、右手が無事なんだ?


 湧いて出た疑問に、クリフは困惑していた。


 グレザリンによる攻撃で、クリフは右腕を負傷した。あのときの腕に走った痛みと感覚は、経験から骨折であると判明したいた。

 しかしクリフの右腕は何事も無かったかのように動いている。それだけではない。クリフはグレザリンから突進を受けた。骨折程ではないが、身体に痛みが残るほどのものであったが、今は痛みを感じない。

 まるで何も起こってなかったかのように、クリフの身体は十全であった。


「どういうことだ……」


 何故このような事態になっているのかが分からない。ただ、思い当たるふしはある。否、一つしかなかった。


 クリフは再び足元のロロを見た。可愛らしい寝顔を見せながらスヤスヤと眠っている。

 普段ならば、その可憐な寝顔を見たことで心拍数が上がっていただろう。だが今のクリフには、ロロの可愛さに見惚れるような余裕は無い。初めて竜と対面した時と同じ感覚を浴びていた。


 未知で、正体不明で、謎に満ちた生物。

 あのときは恐怖を感じて、何も出来なかった。ただ逃げるだけで精一杯だった。あのときの自分が嫌いで、クリフは強くなるために研鑽を積んだ。


 今のクリフも、ロロに対して恐怖を抱いている。何度か竜を目撃したが、未知なる能力を持っていることに戸惑い、それが恐れとなった。

 だが同時に沸き上がった使命感が、クリフをその場に留まらせた。


 恐怖に臆することなく、クリフは考えた。

 最初はここでロロを倒す予定だった。黒竜を殺すには絶好の機会だからだ。街に戻ったら、その機会が訪れるとは限らない。


 だがロロは本当にただの黒竜なのかという疑惑が浮かび上がった。


 怪我を治す竜なんて聞いたことが無い。本当にここで殺していいのか。生かして上官に判断を仰いだ方が良いのではないか。

 そもそも、何で腕が治っていたことに今まで気付かなかった。ロロが起きているときに聞いていたら問題無かったのに。いくらロロが竜であることに驚いていたとはいえ、自分の体調確認を後回しにするなんて、戦士として失格だ。

 それに、ロロが黒竜であるかもどうか定かではない。思い返せば、ロロの裸体を見たときには、身体に竜の特徴が見られなかった。もしかしたら背中側にあったのかもしれないが、今になっては分からない。それとも今見るべきか? いや、それだとただの夜這いになってしまうし、そんな度胸は持ち合わせていない。もしかしたら人間になれる新種の竜かもしれない。ならば殺す必要は無いのか。


 クリフは悩みに悩んだ。一生で一番と言えるほど頭を働かせ、どうすべきか考えた。今ここがクリフの人生を決める分水嶺と思い込み、最善の案を出そうとした。


 しかし、


「ん……」


 ロロの寝言が聞こえて、思考が停止した。


 クリフはロロの表情を見る。ロロの顔が少しだけ歪み、唇がわずかに開く。


「うぅ、うぐっ……ぐすっ……」


 苦しそうな声。眼から零れる涙。小さく身体を丸めて、ロロは泣いていた。


 寂しげなロロの様子を見て、クリフの頭はスッと冷めた。

 ロロの正体や力には不明なところがある。最初に思った通りの黒竜かもしれないし、未知なる敵かもしれない。または味方かもしれない。

 だがロロの姿を見て、クリフはここで彼女を殺す気にはなれなかった。


 クリフは亡き父の言葉を思い出した。


 ―――弱き者を助けなさい。お前の力は、そのためにある。


 クリフの使命は、力のない弱者を守ること。

 そしてロロは、庇護すべきか弱き者に思えた。


 クリフは嘆息すると、踵を返してロロから離れた。最初に寝付いた場所に戻ると、武器を置いて目を瞑った。


 ロロの正体を見定めてからでも遅くはない。クリフはそう判断した。

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