第8話 最弱の竜
「この世界には二種類の竜がいる。体の一部が黒く染まった黒竜と、染まっていない元竜だ」
戦士団では定期的に講義が行われる。戦士たちが知識をつけることで、任務での生存率を上げるために様々な講義が開かれる。
竜の生態についての講義で、講師が最初に教えてくれたことを思い出した。
「見た目以外での、この二種類の違いは二つある。一つは、黒竜は人や同族の竜を食べるということだ。黒竜は人と竜を食べれば食べるほど力をつけ、同時に体がさらに黒くなっていく。つまりたくさん食った黒竜ほど強く、体が黒いということだ。黒竜を見かけたら、体の面積がどれほど黒く染まっているか確認しろ。それによって危険度が変化する」
現役である竜狩りの戦士直々の講義を、クリフは熱心に聞いていた。竜に関することはよく覚えている。将来、竜狩りになるには必要な情報だったからだ。
「そしてもう一つ」と講師が説明を続ける。
「人を食った黒竜は、食った人間に化けることができる」
ざわざわと教室が騒がしくなる。クリフも顔には出さなかったものの、内心ではひどく動揺していた。
「誰にでもなれるというわけではない。一人の人間にだけ変身できるということだ。人間になっているときの能力は、元々の人間の力に竜の能力がある程度加えられる。つまり、見た目は人間だが力は人間の枠を超えている、ということだ」
「それって……ここにも竜がいるかもしれないってことですよね?」
受講生の一人の質問に、教室のざわめきがより一層大きくなる。竜が自分の隣で暴れられたらと思うと、誰だって平静を保てない。
すると講師は「安心しろ」と皆を宥めた。
「人に化けた竜にはある特徴が出る。それは身体の一部が竜と同一になる点だ。眼、耳、歯、肌。他にも尻尾や翼が生えていることがある。それさえ見つければ竜であるかが判別できる」
少しだけ教室内の音が静かになった。少なくとも身の回りにはいないということが分かって、受講生は落ち着きを取り戻した。
だがクリフは、講師の言葉を聞いても楽観視できなかった。
「ではなぜ、竜は人の姿になるのですか?」
講師はクリフの質問を聞き、にやりと笑う。まるでこの言葉を待ちわびていたかのように。
「もちろん、人里に近づくためだ」
講師はテンションを上げて話し続ける。
「身体を見れば判ると言ったが、それは明らかに竜と分かる特徴……例えば翼とか尻尾とかだ。それ以外の特徴は、相手が竜かもしれないと疑ったときにしか気づかない。眼や耳を長い髪で覆われていたら、マスクをしていたら、肌を完全に隠されていたら、君たちは気づくことができるかい?」
「町の出入り口で入念に調べたら―――」他の受講生が質問をする。
「竜は空を飛ぶ。壁なんて簡単に超えてくるさ。物見塔はあるが見逃さない保証はない。真っ暗な夜闇に紛れれば尚更だ。君の知人で街の外に出た人はいるかい? もし町で会ったら注意した方が良いよ。黒竜が化けた姿かもしれないから」
質問をした受講生は、顔を青ざめたまま俯いた。竜の危険性を改めて認識したのだろう。
「さらに黒竜は化ける人間を選べられる。故に黒竜が化ける人間は、腕利きの戦士か権力者だ。一人にしか変身できないなら、旨味のある者に化けるのは当然でしょ。だから大きな都市には必ず複数の竜狩りが配置されている。もし彼らが食われたら、その都市は簡単に落とされるからね」
いつの間にか、教室内のざわめきは収まっていた。あまりの恐ろしさに、皆喋る余裕もなくなっていた。
そんななか、クリフは講師に再度質問をした。
「ではそれらの竜に対して、どんな対策をとればいいんですか?」
講師はまたニヤリと笑った。
「竜狩りになることだ」
眼を開けたクリフの視界に入ったのは、足元から見える灯りと岩の天井だった。視線を動かすと左右には岩の壁が、足元の方向には焚き火が見えた。頭上方向には何も見えない真っ暗な空間がある。これらの情報から、クリフは洞窟にいることを推測できた。
寝転んだままクリフは記憶を辿る。グレザリンに倒されそうになったとき、竜が現れてクリフを助けた。クリフが立ち向かおうとしたら竜は喋り出してロロに変身し、その姿を見たクリフは気を失った。
そのときの記憶が甦ったクリフは赤面する。いくら女の裸体を見たからとはいえ、竜の目前で気を失うなんて情けなさすぎる。自然とクリフの顔が熱くなっていた。
「クリフー、起きたー?」
クリフが己の不甲斐なさに悶絶していると、足元の方角からロロの声が聞こえた。クリフは慌てて目を閉じて、耳に意識を集中する。なぜ寝たふりをしてしまったのか、クリフ自身にも分からなかった。
ロロの足音が洞窟に響き、クリフの近くまで来ると、見下ろしながら独白する。
「まだ寝てるんだ。起きたと思ったのになー」
ロロは焚き火の方に引き返して、その近くで座る。音でロロの行動を探っていたクリフにも、その様子は伝わっていた。
するとロロは突然鼻歌を歌い出し、何やら作業を始めた。何かを切る音と、ものを動かす音が聞こえる。
気になって薄目でロロの様子を見る。何処から調達したのか、ロロは動きやすそうなショートパンツと女性用シャツを身に着けている。焚火の前で座りながら足元にある網から魚を取り出し、一匹一匹をナイフを使って内臓を処理する。処理した魚を竹串で刺し、焚火の前に置いて魚を焼いていた。
どうやって魚を手に入れたかは知らないが、夕食の準備かと思ってクリフが安心した。しかし、ロロの使うナイフには既視感があって気になった。
そのナイフをじっと見ていると、焚き火の明かりで照らされたことで、ロロの持っているナイフが黒色の刃をしていることに気づいた。
黒刃のナイフはクリフ以外で使っている者を見たことが無い。つまりあれは、紛れもないクリフのものだった。
父の形見を勝手に使われたことに、クリフは動揺して息を呑んだ。
「ん?」
勘付かれたのか、ロロがクリフに視線を向ける。クリフは慌てて目を閉じたが、ロロは立ち上がって近づいて来た。
「ねーねー、起きてるんでしょ? 寝たふりなんかしないでよー」
子供のような甘えた声でクリフに話しかける。しかしクリフは頑なに目を閉じる。もう少しだけロロの動きを観察したかったからだ。
クリフが起きていると確信があるのか、ロロは何度も呼びかける。
「ねー、起きてよー」「ごはんあるよー。食べようよー」「全部食べちゃうぞー」
しかしクリフは動揺しない。寝たふりを続行してロロが諦めるのを待つ。次第に諦めるだろうと期待していた。
少し待つとロロは飽きた様で、声を掛けてくることは無くなった。何やら考え込んでいるようで、クリフの隣でうんうんと唸っていた。
突然、ロロは「そうだ」と何かを思いついたようだった。何を考え付いたのかクリフは気になったが、すぐにそれは分かった。
ロロがクリフの腰の上に乗りかかったのだ。
予想外の出来事に、また息を呑むクリフ。目を瞑ったまま顔を強張らせて、明らかに起きていることがばれるような表情を見せてしまう。だがロロは、その顔を見たにもかかわらず、クリフの上からどかなかった。
「まだ寝てるんだったら、こんなことしても気づかないよねぇ」
それどころかロロは、己の身体をクリフと重ねるようにゆっくりと倒れ込んだ。
「―――っ!」
クリフは陸に打ち上げられた魚のように身体をビクンと跳ねさせながら、声にならない叫びをあげた。
今クリフの身体には、成長著しい女性の身体が密着している。ロロの下半身がクリフの腰にしがみつき、ロロの胸がクリフの胸板に押し付けられ、ロロの両手がクリフの首を優しく触り、ロロの顔が息遣いが聞こえるほどの距離までクリフの顔の真横に近づいていた。
例えクリフでなくても、この状況は男性が耐えられるものではなく、クリフならば尚更だ。心臓の鼓動が外に漏れるほど鳴っていた。
クリフは耐えきれずに目を開けて、ロロに訴えた。
「起きた! 起きたぞロロ! さぁ早く退け! 退いてくれ!」
顔どころか身体中が熱くなり、我慢の限界に達しようとしていた。
しかしクリフが必死に懇願したものの、ロロはどこ吹く風でクリフの上で寝転がっている。
「んー、クリフはまだ起きないのかなー。じゃあこうすれば起きるかなー」
ロロは両手でクリフの肩を掴み、さらに身体を押し付けた。密着度が増し、女体の感触が強くなる。クリフの呼吸は大いに乱れ、過呼吸状態に近くなっていた。
クリフはロロを退かせようと、両手でロロの身体を掴もうとする。その寸前で、女性に触れてしまった時のリスクを考えて手を止めてしまう。また気を失ってしまうことを考慮したら、無理に退かせることもできなかった。
解決策を考えて頭を抱えていると、ロロが諭すような口調で独白した。
「けどあんなに声を掛けても起きなかったからねー。ちょっとくらい謝って欲しいなー」
ニコニコと笑みを浮かべるロロを見て、クリフはロロの思惑を覚った。
ロロはクリフが起きていたことに勘付いていて、それでもなお寝たふりをしたことに怒っていたのだ。つまりこれはクリフが寝たふりをした仕返しで、ロロは気づかないふりでやり返してきたということだ。
クリフは観念して、ロロが望んだ言葉を口にした。
「す、すま、すまなかった……寝たふり、して、ごめ、ごめんな、さい……」
呼吸が不確かで息も絶え絶えな状態で、なんとか謝罪をした。これでダメなら、リスクを受け入れて無理矢理退かすことを考えていた。
だがそれは不要な心配だった。
「はい。良く出来ました」
ロロはクリフの謝罪を聞くと、何事も無かったかのようにクリフの身体から降りた。クリフは乱れた息を整えながら安堵したが、同時に落ち込んでいた。
竜と戦う前に竜に屈してしまう。クリフが傷心するのには十分な理由だった。
「これからは寝たふりなんかしないでね。じゃないと今度は、もっと過激なことをしちゃうよ」
悪戯っ子の様な笑みを見て、クリフは溜め息混じりに「悪魔かよ」と返す。
「ううん、竜だよ」
ロロはクリフの言葉を正す。それはクリフが問い質して聞きたかったことでもあった。
竜は人類の敵。それを知ってか知らずか、ロロはそう言った。竜狩りを目指すクリフが聞き逃せる言葉ではなかった。
「本当だな」
「うん。けどね、ただの竜じゃないよ」
そしてロロは宣言した。
「私は黄金色の最弱の竜。人と仲良くなりにきたの」
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