第6話 戦士としての覚悟
フェーデルは北と南にある二つの山脈に挟まれた街である。北はギリアン山脈、南はウタール山脈と呼ばれており、どちらの山脈も自然が豊かなため、山菜や果実が多く生殖し、それを食すモンスターも多数生息している。違いといえば、北の山脈の方が標高が高く、南が低いという差だけである。
生息するモンスターは北の山脈の方が強く、数も多い。そのため、危険度の高いギリアン山脈の方から調査を始めることにした。
「街に寄らずに、直接行くのかよ……」
馬車に乗って約四時間。街によって一服する間もなくギリアン山脈の麓に来たことに、イアンは愚痴を吐いた。いつもならクリフも街に寄って小休憩を取るのだが、今回は別である。
「誰かさんが遅刻したからな。さっさと始めたいんだよ」
もたもたと馬車の荷台で準備をするイアンを尻目に、クリフは馬車から降りて周囲を見渡す。近くにモンスターの姿は無い。この様子なら、御者も無事に街に戻れるであろう。
イアンが馬車から降りると、クリフは御者に指示を出す。
「おじさん。日が暮れる前にここに来てくれ。近くにモンスターが居て無理そうなら信号煙を撃って知らせてくれ」
「おいおい、何言ってんだ」
しかし、イアンが口を挟んでくる。
「馬車はここに居させろよ。仕事が早く終わったらすぐに帰れないだろ。そんなことも分かんないのか?」
「モンスターが生息する森の近くで、戦う術の無い人を待機させる。それがどんなに危険なのか理解してないのか?」
「俺たちはどうするんだよ。危険なモンスターから逃げる手段が無くなるだろ」
「倒せばいい。それだけだ」
「倒せないほどのモンスターがいたときだ! 竜がいるかもしれないだろ!」
「竜が居る可能性がある重要な任務に、あんたは遅れて来たんだな」
「その話は終わった! 俺が話してるのは今の話だ!」
「そんときは死ぬだけだ」
イアンは息を呑んだ。信じられないと言いたげな眼でクリフを見ている。
「一般人を助けるために命を張る。それが戦士だろ」
「……正気か?」
「いたって正常だよ。それともあんたはどんな相手とも戦う覚悟はあるのに、自分が死ぬことを考えないお気楽野郎なのか」
「……ふざけてるだろ」
小声で悪態を吐くが、それ以降イアンは何も言って来ず、森の方に進んで行った。何も反論を出さない様子を見て、クリフは御者に戻るように促す。御者は軽く会釈をしてから馬車の手綱を操り、来た道を戻って行った。
御者が無事に出発したのを見送ってから、クリフはイアンの後に続いて森に入った。
生態調査は、主にその地域に生息するモンスターの変化を調べることが目的である。モンスターの種類、数、強さなど、生態系に影響が無いかを戦士がその地に足を運んで調査する。
実際にモンスターが住む地に訪れるので、当然、襲われる危険性はある。ただ任務の目的は調査のため、必ずしも戦う必要はない。モンスターと対峙して強さを計る方法を取る者はいるが、多くの戦士は視るだけで調査する。何体ものモンスターを調べるので、一体一体相手にするのは骨が折れるからだ。それに、モンスターの行動を見ていればある程度の情報は得られることから、この方法でも充分であった。
クリフは最初、モンスターを相手取って強さを調べていたが、調査対象が多いことと、モンスターが生息する地を歩き回るだけでも疲労が溜まることを知り、視て確認する方法に切り替えていた。
今回の任務でも、例にならって隠れながら調査を行っていた。最小限の会話だけをしながら山を歩き、モンスターの気配を察したら音を出すことなく隠れて位置を探る。見つけるとモンスターの様子を観察し、異常がなければ静かにその場を離れて次の調査対象を探す。これを何度も繰り返した。
任務開始直後こそイアンの機嫌は悪かったが、さすがに森に入ると態度を表に出すことなく任務に没頭していた。
イアンがモンスターを観察し、十分な情報を得られるとハンドサインで退くように伝えてくる。クリフはそれに従い、音を立てないように離れる。しかし、イアンの足元から枝が折れる音が発した。「やべっ」とイアンが驚き、次にモンスターの声が聞こえる。
「グルルルル……」
犬狼種モンスター、ギラフの殺意がこもった呻き声。明らかにこっちに気付いている様子だ。クリフは即座に、背中に担いでいた大剣を抜きながら走り出した。ギラフは仲間を呼ぶ習性がある。即行で片付けないと面倒だ。
クリフが茂みから飛び出すと、すでにギラフは体を低くしてすぐに動ける体勢になっている。このまま攻撃しても避けられるだろう。そう考えたクリフは右手で大剣を持ち、左手で腰に携えたナイフを手に取って、ギラフに向かって投擲した。ナイフはギラフに向かっていったが、寸前で後方に跳ばれて躱される。狙い通りの動きだった。クリフは加速して距離を詰め、ギラフが着地したと同時に剣を振り下ろした。
着地した瞬間ならばそう簡単に避けられない。案の定、クリフの大剣はギラフの脳天に落ち、ギラフの頭を真っ二つに斬り裂いた。
クリフはすぐに踵を返し、呆然としていたイアンに退却のサインを送る。イアンははっと気づき、クリフの後に続いて移動する。
「強さはどうだった?」
ギラフを倒した場所から大分離れて、イアンが尋ねてきた。辺りにモンスターはいない。
「普通だな。強さも反応も他の森のギラフと大差ない。特に問題らしい問題は起きて無さそうだ」
「そうか。じゃあ時間もちょうど良いし、そろそろ―――」
「もう少し山頂の方を調べよう。念のために」
クリフは走った後でも休むことなく調査を続ける。日暮れまであと一時間程ある。ここから御者と待ち合わせた場所まではニ十分もあれば着くので、まだ調査できると踏んだ。
「十分だろ」とイアンは小声で不満を垂れ流しながらクリフについていく。二人で行動することを義務付けられていて、クリフが調査終了することに同意しないため、イアンは行動を共にするしかなかった。
調査を再開して三十分。モンスターの姿は見かけないが、段々と木や茂みが多くなり、歩きづらくなる。たいした成果が無いため、そろそろ帰ろうかと考え始めたとき、奇妙な場所を見かけた。周りには木々や雑草が多く生えているのに、そこは木どころか雑草すら生えておらず土しかない。上から見たらぽっかりと穴が空いている様な状態だった。
近づいてみるとやはり何もない。円形で直径約二十メートルほどの範囲に広がっている。その場所に入ってみても、特に変な感じはしない。何者かが意図的に作った場所なのかと疑ったとき、ふと地面にある物を見つけた。
「……来て良かったな」
地面には足跡があった。それもただのモンスターのものではなく、ある生物のそれだ。
三つの前爪と一つの後爪の大きな足。紛れもない、竜の足跡だった。
「これ、竜のか」
竜の足跡を見たイアンがクリフに尋ねる。今までにイアンも見たことはあるだろうが、確認を取りたいのだろう。クリフはその判断を後押しするように答えた。
「そうだ。何度も見たことあるから間違いない。竜はここに何度も来ていたんだ」
「ほとんど草が生えていないのはそのせいか」
「あぁ。降りやすいように木々を倒して、居心地を良くするために除草をしたんだろう。一二回しか来なかったらそんなことはしない」
近くにはフェーデルの町がある。町を襲う前の下見のために、ここを拠点にして町の様子を観察していたのだろう。竜のほとんどは人を見かけたら襲うので、ここに居た竜はかなり慎重なのだろうと推測できた。
そうだとするとかなり厄介だ。一刻も早くフェーデルの警備を強化しなければならない。クリフはすぐに戻ろうと山を下りようとした。
その瞬間、殺気を感じた。
反射的に武器を取って周囲を見渡す。殺意は一つではない。複数で至る場所から感じられる。前後左右、殺意の隙間が見つからないほどだ。イアンもほぼ同じタイミングで剣を抜いた。
直後、茂みが揺れるとともに、殺気を放った者たちが現れる。
「おいおい、どういうことだ……」
イアンがうんざりするような言葉を吐いた。
そのモンスターは先程クリフが討ち取ったギラフ。対して強くはないモンスターだ。
だが今回は数が多い。十は優に超えるほどの数のギラフが、クリフとイアンを囲んでいる。
しかしイアンが驚いたのはギラフにではない。ギラフが群れることはイアンでも知っている。
問題はギラフの群れの中に、別種のモンスターがいることだ。
グレザリン。手足の毛が黒く、手足以外の体毛は灰色の熊。全長三メートルに及ぶ体格のモンスターだ。見た目通りに力が強く、巨体に似合わず足が速く、泳ぎが得意なうえ木登りも出来る。そのためグレザリンに見つかったら、逃げ切ることはできないと言われている。そのような特徴を持ち、人里に下りて農作物を荒らすことがあるため、戦士団には討伐依頼が持ち込まれることが多くあった。
クリフ自身、グレザリンを討伐したことは何度もあった。最初こそ他の戦士と協力していたものの、最近では一人で倒せるほどになっている。
だがイアン同様、クリフもこの状況に危機感を覚えていた。
通常、別種のモンスター同士で群れることはない。人に調教されたモンスターなら別だが、グレザリンを飼い慣らせるほどの腕を持つ調教師はこの地域にはいない。つまりこいつらは、自分たちの意思で組んでいるということであり、そうせざるを得ない程の異常がこの山で起こっていることだ。
竜が度々この地に訪れていることと、何か関係があるのかもしれない。これほどの重要な情報は絶対に報告しなければならない。
クリフは今一度、眼だけを動かして状況を把握する。右後ろにはイアンがいる。乱れた息遣いが聞こえ、しきりに首を動かす様子が感じ取れる。ギラフたちは呻き声を上げながら、徐々に徐々にクリフたちとの距離を詰める。グレザリンはクリフの正面から動かず、じっと見ているだけだ。
「イアン。あんたは山を降りろ。俺がこいつらを食い止める」
クリフの指示に、イアンは「正気か?」と聞き返す。
「そうだ。俺が後ろのギラフを倒す。その隙に逃げてくれ」
「無茶言うな。こいつらは俺より速いし数も多い。お前が足止めしても何匹か抜けてくる。逃げながらそいつらと戦うとか……」
「だができなきゃ、ここで俺と死ぬかもしれないぞ」
「……どういうことだ? お前ならグレザリンを倒せるだろ。ギラフなら俺が……まぁ全部は無理だが、何匹かは相手取れるぞ」
イアンの話は間違いではない。確かに異常な状況だが、落ち着いて戦えば倒し切れる相手だ。イアンが居なくてもクリフならば対処可能な展開だ。
しかし、それはこれから何も起こらなければの話だ。
「増援が来ないとは限らない。時間がかかれば他のモンスター、下手すりゃ竜が来るかもしれない」
竜の痕跡があり、別種同士のモンスターたちに囲まれる。異常な事態が二度も起こっていて、三度目が無いとは限らない。また事態が悪化する可能性がある。
「そんな状況でもたもたと戦ってる場合じゃない。最悪の場合を考えて動く必要がある。そのためなら多少のリスクは仕方ないだろ」
「……」
「あんただって戦士だろ。だったら覚悟を決めたらどうだ」
クリフはイアンが息を呑む気配を察した。近づいて来るギラフを視線で牽制しながら、クリフは返答を待つ。クリフの眼光に気圧され、ギラフたちはなかなか近づけずにいた。
しばらくすると、イアンが苦しそうな表情で答えた。
「…………合図しろ。タイミングは任せる」
クリフは「おう」と短く返事をする。一瞬だけ背後のギラフたちを視界に入れ、位置を把握する。
約五メートルの位置に三匹。クリフたちが背を向けているせいか、他のギラフよりも積極的に距離を詰めて来ている。クリフにとって、これは好都合だった。
音に意識を集中させてギラフの動きを探る。視界のギラフたちの動作を目で捉え、耳に入る音との相違を確かめる。動作と違うタイミングで聞こえるのが、背後のギラフの足音だ。
徐々に背後からの足音が大きくなる。三匹中二匹がクリフの攻撃範囲に入っているが、あと一匹が遠い。クリフは残りの一匹が動くのを待った。
「……まだかクリフ」
先にイアンが焦れてくる。クリフは「まだだ」とすぐに答える。余計な言葉を発して、音を聞き逃したくなかった。
「だが―――」
直後、待っていた音が聞こえた。クリフは迷うことなく後ろに振り向き、一気に距離を詰めて大剣を振り下ろした。距離が近かったことと、クリフの急な動きに反応できなかったせいで、真ん中のギラフは何もできずに攻撃をくらった。
仲間がやられたことに気づいた両隣のギラフは、即座にクリフに跳びかかる。鋭い牙が生えた口を開け、噛みつこうとする。右のギラフがクリフの上半身に、左のギラフは下半身に。
クリフは振り下ろした大剣から両手を離すと、その手で上半身に跳びかかってきたギラフの顔を掴む。すぐに体を捻り、下半身に跳んでくるギラフに向けて、掴んだギラフを叩きつけた。二匹のギラフは重なるように地面に伏す。クリフはすぐに大剣を握り、重なったギラフに向かって剣を刺し下ろした。
「行け!」
そのタイミングでクリフは合図を出す。イアンはクリフが空けた包囲網から走り抜け、山を駆け下りていった。
すぐさまイアンを追いかけるように他のギラフが走り出す。だが、
「させねぇよ」
クリフはギラフの進路上に大剣を振り回した。当たれば真っ二つになるであろう攻撃に、ギラフたちは素早く下がって攻撃を避ける。そしてクリフを警戒して、ギラフたちは足を止めた。
モンスターの動きを見て、クリフは笑みを浮かべた。今のは当たれば儲けもの程度の攻撃だ。だから当たらなくても問題はなかった。
そして本来の目的である足止めは出来ている。しかも全員、クリフに対して殺意を向けていた。
これはクリフにとって最高の展開だった。
「来いよ害獣ども。一匹残らず斬り伏してやる」
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