第4話 憧れと現実
湯上り後、寝間着に着替えたクリフは浴場を出て、自分の部屋へと戻り始めた。たそがれ荘の浴場は、宿泊部屋と料理屋のある本館と離れた別館にある。本館とは屋根の付いた通路で繋がっていて、住人はここを通って本館と別館を行き来する。十メートルも無い短い通路だが、ここから眺める月はなかなか綺麗だった。月の色は金色に近かった。
月を眺めていると、クリフはロロの言葉を思い出した。
―――女性と話せるように協力してあげる。
あの後、ロロは「じゃあ準備してくるね」と言って二階に駆け上がった。ドタバタと音を鳴らすほど張り切っていたが、その活力がいつまで続くのか心配だった。
クリフは女性が苦手である。歳の離れた相手ならともかく、同年代の女性は特に不得手だ。その原因は、幼少時からの生活にあった。
幼い頃、クリフは戦士である父に憧れていた。強く逞しい父の背中は頼もしく見え、そうなりたいとクリフ自身も願い、努力した。
立派な戦士になるために、クリフは毎日鍛錬を続けた。雨の日も風の日も休むことなく鍛錬をし、その成果として大きな身体と力を手に入れ、戦士として活躍できるようになった。
しかし、代償はあった。
遊ぶこと無く一人で鍛錬を続けていたため誰かと遊ぶことが無く、また身近に同世代の女子が居なかったことから、女性を前にすると緊張するような体質になっていた。触ったり話をするのはもちろん、近づいて顔を合わせるだけでも身体がこわばってしまうのだ。
そんな体質を治すために、店では女性店員に話しかけたり、女性の戦士と一緒に任務に就いたときはなるべく会話をするように心がけた。だがそれを何度か繰り返しても体質は改善することなく、むしろ失敗したことがあったため悪化してしまった。
そんなこともあって、クリフは諦めていた。女性と話したり、手を握ったり、ちょっとした青春を送ることを。
この体質に気付くまでは、そういうことへの憧れは多少なりともあった。まだ思春期だったため、そう考えるのも無理はないと顧みる。今となっては、それは叶わない夢になった。
今回のロロの提案には驚いたものの、少し嬉しく思う一方で、悲しみも抱いていた。彼女の気遣いには頭が下がるが、数日もすればクリフの体質の深刻さを思い知り、向こうから止めてしまうだろう。
自分の体質は治らない。それを改めて知る未来が、クリフには視えていた。
そのときのロロへのフォローの仕方を考えていると、自室の前に辿り着いた。明日の仕事は早い。早く寝ようと考えて自室の扉を開けようとした。
しかし、ドアノブに伸ばした手とは逆の左手を何者かに捕まれた。驚いて呆けている隙に、クリフは強い力で自室の向かい側の部屋に連れ込まれる。
そこはロロが寝泊まりするためにあてられた部屋だった。
「一名様ごあんなーい!」
能天気な掛け声が聞こえる。当然のように、それはロロの声だった。
「いらっしゃーい。待ってたよクリフ」
「……何のつもりだ。俺は早く寝たいんだが」
落ち着きを取り戻したクリフは、冷静に部屋の中を見渡す。部屋には以前の住人が置いて行った荷物が部屋の端に寄せられており、中央には布団が敷かれている。部屋の角にあるベッドの上に布団が無いことから、ベッドからとってきた物だろう。
そしてロロは、いつの間にかボロボロの外套から着替えていた。工事現場の人が着るような長袖長ズボンの薄い黄緑色の作業服を身に付けている。部屋にある箱が一つ開いているので、そこから服を取ったのだろう。少なくとも、さっきの外套よりかは綺麗である。
布団をわざわざ床に敷いたり、着替えたりしていったい何をするつもりなのか。ロロの行動を不思議に思っていた。
「大丈夫。ぐっすり寝られるようにお手伝いするだけだよ。ついでに女性慣れするための訓練もするけどね」
「で、何をするんだ?」
「マッサージだよ、マッサージ。疲れが取れて気持ち良くなるうえに女性にも触れられる。一石二鳥でしょ」
「おやすみなさーい」
部屋から出ようとしたクリフだが、
「待って待って!」
ロロに抱きつかれたため動けなくなった。
「ちょっとちょっと、逃げちゃだめだよクリフ。これくらい平気にならなきゃ」
「馬鹿! 俺が女が苦手なの知ってるだろ! 話すだけでもきついのに触られるのなんて無理だ。今だってヤバイ。早く離れろ」
クリフは興奮気味に早口でロロに訴える。クリフの様子を察したのか、ロロはあっさりと離れる。だがクリフが安心した隙に、ロロはクリフと扉の間に割り込んでいた。
「大丈夫だって。ほら、こうやって手袋すれば、女に触られてるって思わないじゃない?」
ロロは手袋をつけた両手を前に出して見せつけた。そういえば今までは素肌で触られることはあってその度に身体が熱くなったが、手袋をした相手に触れられることは無かった。
ロロの意見には一理ある。試してみるのも悪くないかもしれない。それに風呂上がりのマッサージは格別に気持ちいい。
魅力的な提案に誘われ、クリフの考えは前向きになっていた。
「嫌になったらすぐに止めるからさ。お試しでやってみない?」
「……ほんとだな」
念を押すとロロは良い笑顔で「うん」と返す。クリフは顔を背け、布団の上でうつ伏せになった。
「じゃあ頼むぞ」
「はいはーいっと」
ロロはクリフの横に座ると、手袋をつけたままクリフの背中に手を置いてマッサージを始める。上手とは言えない動きだったが、ロロの力は意外と強く、そのお蔭かなかなか気持ち良かった。
そしてロロの言った通り、手袋をつけているお蔭でいつもより緊張することは無かった。手袋のゴワゴワとした感触が、女性に触られているという意識を薄めてくれているのかもしれない。そういう嬉しさもあってか、リラックスしてマッサージを堪能できた。
「……悪くないな」
「ほんと? 良かったぁ。これで少しは恩返し出来そうかな」
喜々とした声を上げながら、ロロは手を動かし続ける。彼女の言葉に、クリフは嘆息した。
「恩返しとか気にしなくていいぞ。俺が勝手にやったことだからな」
弱っている人を見ると、つい助けてしまう。クリフは今回に限らず、度々似たようなことをしていた。
ロロが特別だから助けたのではない。ただ目に付いたから助けただけだった。
「けどクリフが助けてくれるまで、誰も声すらかけてくれなかったから、とっても嬉しかったんだ。しかもご飯と部屋まで用意してくれたんだから、お礼したくなるのは当然だよ」
ロロの声には、悲しさと嬉しさの両方の感情が込められているように思えた。
クリフが声を掛けるまでの間、とても寂しい思いをしていたのだろう。いろいろとあったが、連れてきたことは失敗じゃなかったようだ。
知らずに、クリフの口角が上がっていた。
「そうか。けどそんなに長い間は援助できないからな。早く働き場所探せよ」
「えー、クリフのお手伝いじゃダメ? けっこう自信あるよ」
「何度も言わせんな。もっと安全な仕事をしろ」
「けど女嫌いを治すんだったら、出来るだけ一緒に居た方がいいじゃん。慣れたらあっという間だよー」
「んな単純だったらこんなに苦労しねぇよ」
「大丈夫だと思うよ。だってほら、今だって進歩してるよ」
「……どういうことだ?」
「ほら」
ロロは左手だけでマッサージをしながら、クリフの顔の前で右手を見せる。ロロの手には手袋がついているはずだったが、今は何もつけていなかった。
つまり、途中から直接クリフの身体に触れていたということだ。
クリフの顔が途端に熱くなる。立ち上がろうと手で床を押して身体を起こす。
「あっ! まだ終わってな―――」
すると、ロロの左手がクリフの背中の上で滑った。体勢を崩したロロは、前のめりになって床に倒れかける。
直後、クリフの背中に柔らかいものがのしかかった。
ロロは今、手を滑らせたことでクリフの背中に倒れている。しかもうつ伏せの体勢で。
ロロの体勢と背中に感じる二つの柔らかい球。それが何か分からないクリフではなかった。
「ぶふっ―――」
クリフは鼻血を出すと同時に、床に頭を叩きつけていた。
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