第2話 苦手なもの
「断る」
クリフは一言告げ、立ち去ろうとした。面倒事になる。そんな予感がしてクリフの頭で警鐘が鳴っていた。
だが右腕に、ロロと名乗った少女の身体が絡みついているため、乱暴に引きはがすことができない。クリフはロロが手を放すのを待つしかなかった。
「えー、なんでー? いいじゃんそれくらい」
すっかり元気になったロロは、じゃれ付くようにクリフから離れない。クリフから離れる気が全くなさそうである。
「世話とかそういうのはもう間に合ってるんだ。お前に手伝って貰うことは無い」
「あれ、お嫁さんとかいるの? いがーい」
「意外って言うな。ま、居ないんだがな……。代わりに世話をしてくれる人がいるんだよ」
下宿先には世話人兼家主がいて、その人が掃除、洗濯、食事といった家事諸共をしてくれる。新たな世話役はクリフに必要なかった。
「じゃあ仕事のお手伝いする―。あなた……えっと、名前なんて言うの?」
「教えんぞ」
「ケチー。いいじゃんそれくらいー」
「ふざけんな」
視線をロロに向けて一喝する。ロロは身体をびくりと震わせた。
「俺の仕事は人里離れた場所でのモンスター退治だ。そこではモンスターだけじゃなく自然だって敵になる。訓練した戦士だって油断すりゃ死ぬ仕事なんだぞ。そんな場所に一般人なんか連れて行ってみろ。手伝うどころか足手纏いになるんだよ。二度と軽々しく手伝うなんて言うな」
ロロはしゅんと小さくなって視線を地面に向ける。力が弱まった隙に身体を振り解いた。
「分かったら、安全な街の仕事でも探すんだな」
クリフは言いたいことを言うと、踵を返して狭い路地から出る。出来ればもう少し言い聞かせてやりたかったが、一刻も早くこの場から離れたかった。
早歩きで逃げるように去ると、別の路地裏に入る。奥に進んで誰もいないことを確認すると、建物の壁に背中を預けて大きく息を吐いた。
「やっべぇ……くそっ、油断した」
身体が熱く、頬が火照る。心臓がバクバクと鳴っていて、外に漏れているのではないかと思えるほどの音量だった。
一瞬とはいえ女性の裸体を見てしまい、そのうえ女体に接触することとなった。鼻血が出るのではないかと不安だったが、思っていたより我慢強くなっていたようだ。よく耐えられたと自分を褒めてやりたい。
どんなモンスターが相手でも気を乱さないクリフだが、女性―――特に若い年齢の―――は苦手である。話をするだけでも緊張し、接触すれば身体が熱くなり、ひどければ鼻血が出るほどだ。その欠点を自覚しているため、普段から女性が多い場所に行くことは避けていた。
それでも任務のときや、さっきみたいな偶発的な出会いがある。そういう時のための対処法も、すでに身に付けていた。
動揺した心を鎮めるため、クリフは目を瞑って静かに呼吸をする。
息を吸い、息を吐く。空気を取り入れ、不純物を排出。乱れた気を整え、正しい流れへと修正。十秒ほど行うと熱は下がり、呼吸も穏やかになって、身体の調子は元に戻っていた。
人前ではやると緊張していることをあからさまに伝えるような動作なので、こうして隠れて行うようにしていた。
「さて……どうするか」
冷静になったところで、ロロの事が気になった。
ぼろ衣一枚だけを着た少女。宿代どころか食費も無い、無一文の浮浪者だ。
さっきは仕事を探すように促したが、あんな身なりの少女を雇う人はすぐに見つからない。いるとしたら、売春を斡旋する仲介人や娼館を営む経営者だろう。
あんな無垢な少女が、汚い大人の手に汚される。ついさっき知り合った少女がそんな目に遭うと考えると気分が悪くなった。
クリフは一つ息を吐くと、来た道を戻り始める。どっかの宿で泊まらせてから、適当な金を与えてやろう。それで身なりを整えれば、彼女を雇おうと考える人も見つかるはずだ。幸い、クリフはそれなりにお金を貯めているため、少しくらい施しを与えても十分暮らせるだけの余裕はあった。
ロロが居た道に入ろうとすると、何やら話し声が聞こえた。道に入る手前で身を隠し、聞き耳を立てる。
「ほんとに? ロロでもできる?」
「ホントだってば。君なら月に一千、いや二千ギルスは稼げるよ」
そっと覗くと、ロロは小綺麗な服を着ている肥満体系の中年男性と話をしていた。派手な服飾で、お金を稼げている様な印象を持つ。それなりに稼げている商人だろう。
「仕事内容は簡単。ちょっと客と遊んだり、一緒に寝るだけの仕事だ」
「そんなことでお金を貰えるの?」
「あぁ、ホントだよ」
だがロロに斡旋しようとしている仕事は、碌でも無さそうなものみたいだ。
二千ギルスという三人家族が楽に暮らせるほどの報酬額と仕事内容。それを喜んで受けようとするロロに、クリフは頭を抱えた。
想像通りの展開に嫌気が差す。少しくらいは率先して善事を行う商人はいないのだろうか。
「よし。じゃあ試しにここでやってみようか。やり方は教えてあげるから言う通りに―――」
「おい、おっさん」
男性は慌てた様子で振り向く。道に立つクリフを見て、頬がピクリとひくついている。
「その辺にしとけ。すぐに去ったら見逃してやるぞ」
「な、なんだい君は? なんのつもりだ」
「あ、さっきの人だ。どしたの? 忘れ物?」
呑気なロロを無視し、クリフは男性に続けて言う。
「どうでもいいだろ。早く行かないと、あんたが世間知らずの少女を騙す悪徳商人だってことを言いふらすぞ」
信用第一の商人がそんなことを言われたら、今後の商売にも支障が出るだろう。儲けている商人ならば、たかが一人の少女を雇うのにそんなリスクを負いたくないはずだ。
クリフの読み通り、男性は悔しそうな顔を見せたものの、逃げるように奥の道へと走って行った。
話が分かる人で助かった。悪質な類だと、用心棒を使って強引に連れて行こうとするからだ。たいした問題も起こらずに済んで胸を撫で下ろした。
「もしかして、助けてくれたの?」
事態を察したのか、ロロはクリフに訊ねる。その眼は期待に満ちた眼をしていて、誤魔化すことを躊躇ってしまう。
適当な嘘をつくのが面倒くさくなり、クリフは思ったままの事を答えた。
「あいつはお前が思っていたような楽な仕事じゃなく、きつい仕事をさせようとした。それを防いだことを言ってるのなら、助けたってことだな」
「……すごい」
ロロは瞳を煌めかせる。
「ロロがピンチの時に現れて守ってくれるなんて……もしかして王子様?」
「違う」
クリフは即座に否定するが、ロロは聞いてなかったかのようにはしゃぐ。
「絶対そうだよ。そうじゃなきゃ助けに来てくれないもん。間違いない。だからさ―――」
突如、さっきの獣の唸り声が聞こえる。その音はやはりロロから聞こえ、彼女は咄嗟にお腹を押さえる。
そして恥ずかしそうにクリフに求めた。
「……ごはん、食べさせて」
王子と信じる相手に食事を要求する。顔を真っ赤にさせている様から、世間知らずで子供っぽいロロも流石に恥ずかしく思っているようだ。それほどまでに急を要する事態なのだろう。
毒も食わらば皿まで。それがクリフの頭に浮かんだ言葉だった。
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