第一章 ボーイミーツドラゴン

第1話 出会い

「おいクリフ。もう任務に行くのか?」


 黄金の竜に出会う前日、いつもどおり戦士団詰所に顔を出し、上官から新たな任務を受けたときだった。

 詰所には多くの戦士がいて、彼らは皆、鍛えているため逞しい身体を持つ。そんな戦士たちの中でも目立つ体格のクリフに話しかける声があった。声の方に茶色の瞳を向けると、クリフのつり目の角度が少し緩やかになった。


 顔馴染みの中年戦士ガリックが、詰め所に併設された酒場のテーブルで酒を飲んでいた。クリフの髪ほどじゃないがガリックの顔が朱を帯びていて、酔いが回っているように見える。

 時刻は夕方になったばかりなのに、あの出来上がりっぷり。おそらく、真昼間から酒を飲み始めていたと考えられた。


「これから準備をして、朝一番に向かう予定だ」

「かーっ、真面目だねぇ。もう少しゆっくりすれば良いのによぉ。昨日任務を終えたばっかだろ」


 ガリックの言う通り、クリフは昨日の夜、別の任務を終えて街に帰ってきたばかりだ。ほとんどの戦士は、任務の間では数日の休息を設ける。

 だがクリフは休息日を一日だけにして、自ら望んで任務を受けた。


「俺に休んでいる暇なんて無いんだよ。とっとと《竜狩り》になって名を馳せるためにはな」


 竜狩り。それは竜を狩ることを任された戦士のこと。

 竜は村を襲い、人を喰う存在。力は人間の数倍あり、人間が届かない空を飛ぶ。狙われたら終わり、それほどの強さを持つ生物である。竜を前にすれば、人に限らず、どんなモンスターも相手にならない。


 だが、竜狩りは例外である。

 彼らは竜と戦う専門家。人間が勝てないと思われた竜を倒す戦士。人々の英雄。絶対的種族差に怖気づかない勇者。

 誰からも尊敬される存在、それが竜狩りの戦士だ。


 戦士になり立ての見習いは、みな竜狩りになることを憧れて任務に挑み、自己研鑽を積む。誰だって人から尊敬されたい。褒められたい。そう思うのは当たり前だ。そのうえ戦士になろうとする者は、人を守ろうとする善の心を持っている。だから彼らは努力を惜しまず、日々の鍛錬や座学に熱心だ。


 しかし竜狩りになれる者は、ごく僅かだ。

 死が隣り合わせの任務を何度もこなしながら、竜狩りになるための半年に一度ある昇格試験に合格をするために準備をしなければならない。

 試験は難関で、一年に一人の合格者がいれば良い方だ。ゼロの年も何度もある。竜は他のモンスターの何倍も強い。そのために半端な強さしかない者を竜狩りにさせるわけにはいかず、このような難易度となっている。


 厳しい任務を受けながら試験に合格する。そのハードルの高さに戦士の多くは心が折れ、現実を知って諦める。そして僅かに残る心が折れない者が竜狩りになれる。

 クリフは、その一人になろうとしていた。しかも見習いから竜狩り昇格までの最短記録を狙える戦士だった。


「試験は一ヶ月後。それまでに腕を鈍らせるわけにはいかない。このまま竜狩りになれば、一躍有名人だ」

「そう焦んなくても良いんじゃねぇか。お前ならいずれなれるだろ」

「俺もあのことを知らなかったら、もう少しゆっくりでも良かったんだけどよ……っと、いたいた」


 クリフは目当ての人物を見つけると、迷うことなく歩み寄る。

 そいつは四人掛けのテーブル席を一人で占領していた。小さな徳利からお猪口に酒を入れ、お猪口を口元に運んでちびちびと酒を飲んでいる。


「よう、レイ。どうだ調子は」


 レイと呼ばれた少年は黒色のおかっぱ頭を揺らしながら顔を上げた。切れ目の中の黒い瞳が、クリフをじっと見つめる。中性的な容姿と身体が華奢なため、一見女性とも思えてしまう見た目だった。


「……うん」


 一言だけ返し、レイはクリフを見続ける。いや……うん、だけじゃ分かんねぇよ。

 気を取り直して、クリフは言葉を続ける。


「来月は昇格試験だ。俺はそこで竜狩りになる。そうなればお前が持つ最短記録は更新されるってわけだ。いい顔してるのも今のうちだぜ」


 レイはクリフと同い年であるが、クリフよりも先に戦士になり、竜狩りに昇格した。そのときレイは最短記録と最年少記録を更新し、今では期待の新鋭と呼ばれる竜狩りになっていた。

 今回クリフが昇格すれば、最年少記録はともかく、最短記録は更新できる。そうすればクリフの名は戦士間だけではなく、一般市民にも広く知れ渡ると想定していた。


 一方で、それは現記録保持者のレイを敵に回すということになる。だが元々、クリフはレイに対して競争心を抱いており、何度も突っかかっていた。今更、こいつを敵に回しても怖がることは無い。それならいっそ宣戦布告をしようと思い至り、実行したのだが、


「うん。頑張ってね」


 低いテンションで、そう返されるだけだった。毎度のことだが、こうも反応が薄いと張り合いがない。こっちが馬鹿のように思えてしまう。


「俺がお前を超えるまで、うっかり死ぬんじゃないぞ」


 クリフは最後に一言だけ残してからレイの下を去った。去り際に何か言われたような気がしたが、声が小さくて聞こえなかった。まぁ、大したことじゃないだろう。


 用件を終えて詰所から出たクリフは、明日のために準備を整え始めた。消費した道具の補充。携帯用食料の購入。点検のために武器屋に預けていた装備の回収。一通り終えた頃には、既に辺りは暗くなっていた。


 用事が無くなったので下宿先に戻ろうとしたが、周囲の屋台から漂うおいしそうな匂いに釣られ、牛の串焼きと土産用の焼き菓子を買って帰路についた。串焼きにがぶりと噛みつき、柔らかな肉と滲み出る肉汁を味わう。その美味しさに口が止まらず、串についていた肉をあっという間に食べきってしまった。

 ちょうど良い腹ごしらえになった。今日の食事は何だろう、と用意されているであろう料理に期待を膨らませながら歩いていたときだった。


 ぐるるるるるぅ。


 モンスターの呻き声が聞こえた。クリフは咄嗟に武器を構え、辺りを見渡す。突然武器を抜いたクリフに周囲の人たちは訝しんだが、じきに見なかった振りをして通り過ぎていく。クリフは周りの状況にかまわず、モンスターの姿を探す。

 しかし、どこを探してもモンスターは見当たらない。声も聞こえなくなり、音を頼りに探すことができない。聞き間違いかと思って気を緩めると、また同じ音が聞こえた。

 聞き耳を立てていたお蔭で、今度は場所を特定できた。発信源は意外と近くで、五歩先にある脇道からだった。


 クリフは音を立てないように歩いて近づく。脇道は狭く、人が二人並べる程度の幅だ。おそらく小型モンスターがいるはずだ。巨体のモンスターがこの脇道にいられるはずがない。

 だが脇道を覗いてみると、モンスターの影は無い。代わりに、路に蹲った少女が一人いるだけだった。


 場所を間違えたかと思ったが、再び唸り声が聞こえる。しかもさっきよりも近い場所からだ。

 音の大きさに驚いたが、聞こえた方を見てクリフは胸を撫で下ろした。

 音の発生源は少女から、しかも近くで聞くと唸り声というより腹が鳴った音のように思える。つまり今までのは、彼女の腹鳴だったということだ。

 呆れて嘆息すると、クリフに気付いた少女が顔を上げる。


「……お腹、空いた」


 金色のぼさぼさ頭の少女は、薄い外套一枚しか着ていない。その身なりから、碌に稼げている様には考えられない。おそらくパン一つ買う金すら持っていないだろう。

 クリフは焼き菓子が入った紙袋を少女の前に置いた。


「食え。だが、俺がこんなことするのは―――」


 言い切る前に、少女は紙袋に手を伸ばした。礼を一つも言わず乱暴に袋を破り、焼き菓子を手掴みして強引に口に押し込む。何度も咀嚼しながら、口から零れて地面に落ちた菓子の欠片を拾って口に入れる。それを食べ切ると、同じようにもう一つの焼き菓子を手に取って食べ始める。


 品の欠片も無い食べ方にイラついたが、同時に安心した。

 食べる元気、生きようとする気力が少女にはある。どんな事情があってこんな場所にいたか知らないが、生への執着心がある彼女なら、どこか自分が生活できる環境を見つけられるだろう。


 安堵したクリフは立ち上がり、その場から去ろうとした。


「待って!」


 しかし少女に呼び止められて向き直る。


「ご飯をくれてありがと! とってもおいしかったです!」


 立ち上がって九十度近いお辞儀をする少女だが、その拍子に外套がはだけて、一瞬、首から下の素肌が見える。クリフが想像していたよりも育った身体で、反射的に鼻を抑えて顔を逸らした。


「お、おう。そりゃ良かったな。これからは自分で稼いで食べるようにしろよ。じゃあな」


 早々に話を終わらせて去ろうとしたが、なぜか身体が動かなくなる。

 柔らかい感触が右腕を包む。気づけば、少女がクリフの腕に抱き着いていた。


「その前に恩返ししたい」

「は?」

「わたしロロ。あなたのお世話をさせて」

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