ムラサキツメクサのせい
~ 四月七日(土)P.M. 救世主 ~
ムラサキツメクサの花言葉 実直
ここまで来れば安心だ。
あとは、有識者ばかりが集まるこの地へ警察を呼んでもらって……。
俺は関係者を装うことに神経を注ぎつつ、それでも緊張のあまり硬くなる四肢を強引に運ぶ。
見慣れないけれど、慣れている場所。
俺が頼ることが出来る、信頼のおける場所はここ意外に考えられない。
ここは、都内の高校だ。
俺たちの学校とは違って、高いビルに囲まれた東京の学校には大きく斜めに影が差し。
狭い敷地で、まるでケンカでもするように、サッカー部とテニス部がそれぞれ練習試合を行っていた。
テニスはともかく、サッカーは実際のグラウンドの半分ほどしかスペースがないようだが。
改めて、田舎の学校が恵まれている点を見いだせた気がする。
春休みだというのに、正門が開いていて助かった。
俺は自分の迂闊を練習熱心な同胞に救われた心地で昇降口を目指していた。
すると、花壇に春を告げるムラサキツメクサが。
ぽつりと落ちた滴に揺れる。
この雨は、テニス部の皆へ体育館での筋トレ開始を告げ。
サッカー部の者には、フルコートでの試合開始のホイッスルとなった。
土地が無いから天を目指す。
そういった都市は、世界を見渡せば枚挙にいとまがない。
だが東京の有様と言ったらどうだ。
スカイツリーから見下ろしたすべてがビルに覆い尽くされ。
そして思うまま体を動かす環境が必要であろう、学び舎にすら枷をかける。
日照に関しても、見晴らしに関しても、呆れることしかできない。
正午を回ったばかりの校舎はその身を灰色に浸し。
廊下側の窓からは、通りを挟んでオフィスビルの様子しか臨むことが出来ない。
……廊下からの見晴らしが、学生にとってどれだけ大切か理解できていないのだろうか。
一日の半分をあそこで過ごす俺にとっては、死活問題だ。
田舎の学生で良かったと胸を撫で下ろしつつ。
しかし都会の学校ならあんな先生もいやしないだろうと考えつつ。
昇降口から入って、事務所のような物がないか探していたら、不意に厳しい怒号に襲われた。
「こら貴様! そこで何をやっている!」
……俺は。
あまりの事に驚きを隠すことが出来ず、拳銃の入ったケースを取りこぼして両手で口を覆ってしまった。
驚いた。心の底から、驚いた。
急に見つかったせいじゃない。
大声を上げられたからでもない。
「なんだ、驚いたか? 俺は全校生徒の顔を覚えているんだ。新一年生が下見にでも来たんだろうが、そうはいかん。しっかり灸を据えてやる」
もちろん、そんなことに驚いたわけでもない。
俺が驚いた、その訳は。
「……………………そっくり」
融通の利かなそうな、岩石のような顔かたち。
曲がったことが嫌いな、気難しいへの字ぐち。
太い眉の上には、面倒な生徒のおかげで森林限界が後退し始めたおでこ。
「何の話だ」
「そっくりで、びっくり」
俺は震える手で金属ケースを拾う間も、先生から目を離すことなどできず。
驚きの中へ混ざり込んだ、少しの恐怖感と戦い続けていた。
「おかしな奴だな、貴様は。俺は昭和の体育会系で育った教師だ。生ぬるい罰で済むと思うなよ?」
ほんとそっくり。
でも、与しやすいとも言える。
彼には全幅の信頼を寄せていい。
本能が、そう告げている。
気付けば俺は、微塵の警戒も抱かぬままに、事情を話し始めていた。
「実は、大きなトラブルに巻き込まれまして。このケースなんですが……」
「ああ、待て待て。これから新学期に向けての職員会議だ。貴様の用件は後で聞く」
「ええ!? なんでそんなとこまで似てるのさ! 俺に冷た過ぎます!」
すがる俺を足蹴にした先生。
そんな彼が、まさかと思うような一言を放ったせいで、俺は再び呆然自失した。
「ええいやかましい! 会議が終わるまで、そこに立っとれ!」
後ろ手に、扉をピシャリ。
残された俺がとった行動。
まるで神に操られるように、自然と開いた口から、意識を無視して言葉が漏れ出したのだった。
「……………………本人?」
~🌹~🌹~🌹~
『学校に不審者が現れた』
――情報。
それは手にした者でなくとも、推測することが出来るもの。
人が意志を持って動くには、ベクトルの先に目的があり。
人が意志を持たずに動かされるには、ベクトルの起点に情報がある。
では、彼らが今、どんな情報によって動かされているのか。
それは俺のように、冷静に、彼らが向けるベクトルを観察すればおのずと推測することが出来るのだ。
「いた! アレが学校に現れた変質者よ!」
「子供を避難させろ! 商店街の方へ追い込め!」
「皆さん誤解です! 冷静に話し合いましょう!」
……推察、いらなかったです。
学校ネットワーク、恐るべし。
俺は本日二度目の全力疾走を余儀なくされていた。
路地を曲がれば民家の二階から指を差され。
振り返れば小学生に警報ブザーを鳴らされ。
敵は、街。
街が、俺を捕まえようとしている!
職員会議が終わるのを、廊下に立ったまま待ちわびていたら。
始めは、学生数人が俺を指差しつつ携帯を操作し。
そのうち事務所から警備員が姿を現したので、慌てて逃げ出し。
……最初は、足に当たった小石が山を転がっただけなのに。
麓の村を破壊するほどの土砂崩れとなった。
まさに今、そんな心地を抱いているのだが……。
「村としては、恐怖でしかない!」
しとしとと雨の降る中。
四方八方から指を差され。
到底抗う事の出来ないような、屈強な大人たちが道を塞ぎ。
町全体が敵に回った恐怖に心は萎縮するが、身をすくませることは無い。
そんなことになれば、すべてが終わる!
……いや、冷静に考えれば。
最初から逃げずに事情を話せばよかったんだけど。
どうしよう。
もう、後戻りできない所まで来てしまったような気がする。
というわけで、逃げ続けることを選択した俺には。
街が意志を持って襲い掛かるという前代未聞の恐怖が待っていたのだ。
「よし! これで追い詰めた!」
「渡さんの班はそのまま捕獲に向かってくれ!」
…………よりにもよって、そんなアイアンメイデンを持ち出さなくても。
偶然ではあるが、俺を
やたらと古い角ばった自家用車が雨をはじき、ボンネットを煙らせる。
そしてゴミ収集ボックスの蓋から顔だけ出した憐れな逃亡者に向けて、助手席のドアが静かに開く。
そこから聞こえたのは、固まって砕け散りそうになっていた俺の心を融かしてくれる声。
まるで故郷から届いたような熱い声が、運転席から俺に向けて鋭く放たれた。
「馬鹿もん! ぼさぼさするな! 乗れ!」
「先生!」
その行為を誰が聞いても無配慮と罵ることだろう。
だが、俺は疑念など抱くことは無かった。
ゴミ収集ボックスから飛び出して、助手席へ頭から突っ込む。
時をまたぐことなく急発進した車から飛び出した足を強引に車内へ引き入れ、ドアを力いっぱい閉めて座席に落ち着いた瞬間、俺は
「助かりました……。ありがとうございます!」
「礼より先に、することがあるだろう」
「ぐすっ……、なんです?」
「シートベルトを締めんか、馬鹿もん」
「そこ!?」
…………ほんとそっくり。
俺を救い出した救世主は、不審者を取り逃がしたと知らずに舌なめずりする大人たちを車窓の後ろへ置くと、赤信号に車を止めながら問いかける。
その声音は俺を安心させるに足る、慣れ親しんだものと寸分違わなかった。
「どうして貴様はそんなに騒がれているんだ」
「ええと、つい学校の警備員さんから逃げてしまいまして」
「やましいところがあるからそうなる」
「すいません、実際やましいところがあるんです。実は物騒なものを押し付けられまして、警察に行きたいんです」
信号が青に変わった車内に、鈍いエンジン音と、軽い金属音とが同時に響き渡る。
俺が開いたケースに、横目を送った先生は、鼻息を一つ鳴らしながら静かに口を開いた。
「……おもちゃにしか、見えんが」
「対価として、これと同じケースいっぱいの札束が渡されたんです。きっと本物です」
「ふむ。ではこのまま警察に行って構わんのだな?」
「構わないどころか、心底助かります」
俺の、ウソ偽りのない気持ちをどう受け取ってくれたのか。
先生は返事もせずに、静かに車を走らせる。
一瞬、俺の心に不安がよぎったのだが。
そんな些末が吹き飛ぶほどの障害が目に入ると、思わず悲鳴を上げてしまった。
「検問!?」
進行方向を塞ぐ、『通学路』と書かれた看板。
執拗に俺を捕まえようとする、意思なき意思が、とうとう首元にその冷酷な指をかけてきた。
「俺が話してやる。堂々と通ればよかろう」
「ああ、そうか。助かります。……いや、待って!」
検問所に立つ、商店街のおじさんおばさんたち。
そこに、明らかな異質が姿を晒していた。
「黒ずくめ! うそだろ? なんで道路を封鎖してる人と話し込んでるんだ!」
この騒ぎの正体見たり。
情報の発信源、街を動かしたのはあいつの仕業か!
歯の根も合わぬまま、ただ黒いスーツに震える視線を向け続けていた俺に、しかしこの救世主は、彼らしい言葉をかけてくれた。
「あれが黒幕か?」
「いえ、黒幕の手下です」
「ふむ。……いいか、よく聞け。心が黒いから、ああして黒い服で身を包むのだ。清廉でありたいなら、身だしなみから清廉であるようにしろ」
こんな時までそっくりじゃなくても。
……ではなく。
「え? 俺の方を信じてくれるの?」
「言ったではないか。俺は何としてでも、貴様を警察へ届けてやる」
「いやいやいや! そりゃ嬉しいですけど、何を根拠に俺を信じますか!」
「簡単なことだ。貴様は、学生だからな」
先生はそう言い放つと、口元をニヤリと歪ませて、アクセルを踏み込む。
「しっかり掴まってろ!」
「うおおおおお!?」
急にスピードを上げた車に驚いた検問所の皆さんが、クモの子を散らすように道路脇へ飛び退る。
そして俺たちを乗せた金属の猛獣が立て看板を吹き飛ばし、挙句に車体の下に巻き込んだ後、それをひしゃげさせて吐き出した。
猛る咆哮。
銀の肉食獣。
正義の獣が、商店街という野を駆け行く。
その猛獣使いは、岩石のような仏頂面を少し紅潮させていた。
「まったく学生という奴は、信じがたい事ばかり口にする。黒いものを白と言い張り、甘いものをすっぱいと拒絶する」
臨む後方の大混乱をよそに、先生は語る。
「誰もがそれを間違っていると指導するが、俺はそういう教育は苦手だ。どうしてそいつには白く見えるのか。どうしてそいつにはすっぱく感じるのか。とことん話しを聞いてやりたいのだ」
そして、正面に大通りが見えてくると、震えるような言葉で締めくくった。
「教師として、最初に俺が決めたこと。何が何でも、生徒の言う事は信じ抜く!」
「先生……、先生! 心から言わせて欲しい!」
「礼ならいらん!」
「そんなことじゃない!」
「なに? ……では、何を言いたいというのだ?」
「ほんとそっくり!」
そんな賛辞に、先生が眉をひそめたその瞬間。
ばすんと、車の下から有り得ない音がしたかと思うと、そのままのろのろと停止してしまった。
「…………冗談でしょ?」
「さっきので、壊れたようだな」
「ほんと冗談でしょ!?」
後方に残してきた連中は、走って追って来る気配も無かったけれど。
これから、どうするのさ!
呆れる俺に目もくれず、先生はシートベルトを外してドアを開きながら叫ぶ。
「ここは俺に任せて、きさまは行け!」
……ほんとそっくりなのね。
でも、とりあえず助かりました。
俺はため息をつきながらも、苦笑いを自覚しながらも、助手席から身を滑らせて、救世主へ対して心からのお礼を口にした。
「秋山道久です。ご指導ありがとうございました!」
「よし。秋山! 走れ! 交番はこの先、大通りを渡ったところだ!」
再び、俺の頬を涙が伝う。
だが、先生の温情を無にするわけにはいかない。
俺が弾かれるように駆け出すと、顔を打つ滴が次第に薄れ。
とうとう俺の味方を決めた春の鈍色が、二手に別れながら白いレールを地面に敷く。
ありがとう、救世主。
ありがとう、天往く雲。
商店街の終端、文字通り、視界が一息ごとに広がっていく。
そして大通りをひっきりなしに行き交う車が作る狭間に赤いパトライトをとうとう見つけた俺は、ゴールテープを切ったランナーと同じようにその身を弛緩させ、ふらふらとガードレールへ手を突いた。
信号が変われば、すべてが終わる。
あとは、交番前に立つ、あのお巡りさんにすべてを任せよう。
リレーのバトンは雨に濡れ、俺の手に最後の力を強要する。
だがこれを落とすはずはない。
たった数十メートル。
俺はこれを、必ず繋いでみせる。
思いは視線に乗り、どこまでも届く。
お巡りさんはこの熱視線に気付いたようで、俺を見止めると、交番の中に声をかけた。
同僚に応援でも頼んだのだろうか。
そう思いながら、疲労に揺れる瞳を向けていたが。
…………俺は見開いた瞳から、一切の光を失った。
唯一、視界に、意識に残ったもの。
その、すべての光を吸い尽くす悪魔は。
迷彩ジャケットに袖を通しながら、にやりと口の端をあげたのだった。
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