ケマンソウのせい


   ~ 三月二十六日(月)  水道橋 ~


   ケマンソウの花言葉  勇ましさ



 土日もお仕事へ出かけていたおばさんですが。

 ようやくお休みがもらえたようで。


 今日は俺たちを案内してくれたのですが。

 そのおかげで、東京をたくさん楽しむことができました。


 都会でのおばさんは、いつもより一段と輝いていて。

 堂々とした立ち居振る舞いがかっこよくて。


 さすが、元都会人。

 穂咲と共に感心することになりました。


 でも、ふと感じたことがあって。

 こんなことを聞いてみたのです。


 おばさんは、地元より東京の方が好き?


 これに対するおばさんの回答は。


 ほっちゃんのそばなら、どこだって大好きよ。


 ……何と言いましょうか。

 恋する乙女は、どこへでも飛び込むことができると、そういうことなのですね。


 そんなおばさんを見習って。

 俺もしっかりしないといけないのです。


 だってご覧ください。

 この、バカみたいに口をポカーンと開いたヤツ。



 ……俺がしっかりしないといけないのです。



「驚いたの。ほんとに大きいの」

「連日同じ感想ですね」


 小学生が書く絵日記の評価に。

 先生として絶対に書いてはいけないコメントで返事をしましたが。

 穂咲の感想はもっともで。

 目の前の建造物、ほんとに巨大なのです。


「でっかいの。この建物、東京ドーム三個分くらいある?」

「さあ、知らないけど。それくらいなんじゃない?」

「ふーん」


 君がぽかーんと見上げてる。

 君が名前も知らない巨大な建造物は。



 東京ドームといいます。



 ぼけーっとした顔に、ぼけーっとした脳を詰めたこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は頭のてっぺんでお団子にして。

 そこからケマンソウの枝をこれでもかとぶら下げています。


 一本の枝に沢山のハートマーク。

 ピンクのケマンソウは、実に可愛いのですけれど。


 こんな人込みの中で十数本もぶら下げて歩いていたら。

 そりゃあ携帯でパシャパシャと撮られるのも納得です。


 そんな、自分の人気に気付いていない。

 ぼけーっとドームを見上げていたボケ子さん。


 階段を下ったあたりの広場の人込みへ視線を向けるなり。

 急に大声を上げたのです。



「どろぼーなのー!」



 周囲の喧騒を上書くほどの声に驚きましたが。

 穂咲が指差す先を慌てて確認すると。

 地面に倒れた女性の姿と。

 黒いニット帽が、人をかき分けて走る姿が見えたのです。


 泥棒に追いつけるとは思えない。

 でも、倒れたままの女性が心配だ。


 俺は階段を駆け降りて。

 よろよろと、ようやく起き上がった女性に声をかけようとしたところで。


 少し離れた辺りから、立ち回りのような音が聞こえた後。

 威勢のいいハスキーボイスが響いたのです。


「ちい! 逃げられたか。……おい、あんた! バッグは取り返してやったぞ!」


 赤いショルダーバッグを高々と掲げながら姿を現したのは。

 迷彩柄のジャケットに身を包んだ、少し険のある表情をしたお姉さん。


 彼女が、ごつい安全靴のかかとをガツンと止めると。

 なぜか俺をにらみつけて文句を言い始めました。


「てめえ。彼氏だったらもっとしっかりしやがれ」

「えええ!? お、俺は彼氏じゃなくて、えっと……」

「何だっていいが、ツレならアンタが何とかするべきだろ。オレは目立つとまずいんだよ。こんな手間取らせるんじゃねえ」


 そんなことを言いながら。

 ぶっきらぼうにバッグを突き出すお姉さんの切れ長の眼。

 長いまつげが印象的なその右目の下に、もっと印象的な二つのほくろ。


 ……あれ? この目。

 どこかで見たことあるような?


 首をひねりながらバッグを受け取ったその時。

 背後から、おばさんの声が聞こえたのです。


「あら? ……あなた、ゆうちゃん?」


 穂咲を伴って降りてきたおばさんに名を呼ばれたお姉さんは。

 その切れ長を細めながら俺の肩越しに二人を見やると。


 にわかに、楽しそうな笑顔を浮かべました。


「おお! 花畑はなばたけ咲太郎さくたろうじゃねえか!」

「その変な呼び方、昔、どっかで聞いた覚えがあるの」


 俺はともかく、声をかけてきたおばさんまでスルーして。

 お姉さんは穂咲の前に足を運ぶと。

 ムッとした穂咲の頭からケマンソウを一本抜いてしまいました。


「やー! なにするの? 意地悪さんなの!」

「お前、小さな頃からまるで変ってねえのな! なんだこの花?」


 楽しそうに笑って、再び花を抜こうとするお姉さん。

 そして嫌がる穂咲と、苦笑いを浮かべるおばさん。


 この構図。

 どこかで見た覚えが…………?


「あれ? ひょっとして、電車に乗ろうとした俺を引っ張って止めた人?」

「そうよ道久君。昔、東京旅行に来た時、ずーっと私たちにくっ付いて歩いてたお姉さんよ」


 やっぱりそうか。


 小さな頃に遊んでくれたお姉さんの記憶なんか、普通は覚えていないけど。

 俺と穂咲、そろってすっごくいじめられたから。

 お姉さんのことは、ぼんやりだけど覚えていて。



 そんな奇跡的な再会は。

 穂咲のお花のおかげだったのですが。


 果たしてこの出会いが、良かったのか悪かったのか。

 今の俺には、判断する術もないのでした。


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