タンポポのせい


   ~ 三月二十三日(金)  新宿 ~


   タンポポの花言葉  田園の神託



「ふわあ」

「ふわあ」


 よく、高い物を「見上げるような」と表現しますが。


「ここまで高いと、どれくらい高いのかまるで分からん」

「ほんとなの。さすがによじ登れそうにないの」

「え?」


 天を突くビルを見上げながら。

 手を、足を。

 どう見ても、窓枠を伝って登る気分で動かしているびっくり娘は藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日はおさげにして。

 ぺったんこな頭部から、タンポポが一本生えているのですが。


 それ、頭からちょくで生えてませんか?

 とうとうですか?

 だから、ビルをよじ登ろうとか言い出すんですか?



 今日は、新宿の都庁舎で早めのお昼を食べてから。

 迷路のような道に難儀しながら高層ビル群を越え。

 新宿駅を目指して歩いているのですが。


 すべての建物がでかすぎて。

 ずーっと、口がポカーンと開きっぱなしなのです。


 それにしても、東京というところは。

 空き地なんかどこにも無くて。

 すべての場所に、何かが必ず建っていて。

 きょろきょろとする両の目も、まあるく開きっぱなしだったりします。



「……いやはや、凄いね」

「東京って、どこもこんななの? どこに人が住んでるの?」

「確かに。都庁前の駅を降りてから、家を一軒も見てない気がする」


 まあ、僕らが寝泊まりしている辺りには普通に家があるのですが。

 それでも一軒家はほとんどなくて、アパートばっかりなのです。


 まるでちらしずしのようなにぎやかさ。

 まるで押しずしのようなみっちり感。

 それが次々とお皿に積み上げられて。

 威勢のいい大将が、俺たちの食べるペースに気付いてくれないのです。



 ちょっと、食傷気味。



「ええと、今日も予定がびっちりだったはずですよね」


 ため息交じりに、ポケットから予定表を出して。

 指でなぞっているうちに。

 げっぷがでそうになりました。


 新宿には、行きたいところが山盛りで。

 分刻みという、俺たちには向いていないスケジュールが組まれていたのですが。


 昨日も遅くに帰ってきたおばさんに。

 予定表を見られて、大笑いされましたけど。


 そんな、文字でぎっちりと埋められたメモ紙を。

 穂咲は横から覗き込むなり。


「ここだけでいいの」


 一か所を指差して、俺の顔を見上げるのです。


「ええ!? せっかくうまいことスケジュール組んだのに?」

「いいの。昨日で懲りたの」


 そう言って、ぽてぽてと歩く穂咲のペースは。

 ずいぶんのんびりしているように感じたのですが。


 それは、俺たちをどんどん追い抜いていく人たちと比べていたせい。


 いつも一緒に歩く、俺たちの歩幅だということに。

 ようやく気付くことが出来ました。



 ……

 …………

 ………………



 新宿駅前の目まぐるしい通りを抜けて、ほんとに目と鼻の先。

 たどり着いたのは、こぢんまりとした入園口。


 そこをくぐると、ここが本当に新宿なのかと目を疑うほどに。

 静かで、広い芝生の公園が俺たちを迎え入れてくれました。


「ふう。ここが一番東京を楽しめるの」

「そうか? ぜんぜんそんな気しないけど」


 新宿御苑という公園は。

 手入れが行き届いているとは言え、俺たちの地元のような場所なわけで。


 緑と茶色と青空と。

 その中に、小さな建物がぽつぽつと見受けられるのですが。


「俺は、まったく東京っぽさを感じませんが」

「そうなの? 道久君は、そんなだから道久君なの」

「失礼な奴ですね」


 口を尖らせた俺を捨て置いて。

 穂咲は手提げのバッグからピクニックシートを取り出すと。


 芝生の上へ不器用に広げて腰を下ろし。

 水筒のお茶を飲み始めました。


「……すごくいつも通りだね。やっぱりこの場所、田舎丸出しじゃありませんか」


 初日は、巨大な東京駅から脱出できず。

 昨日は渋谷で赤っ恥をかいて。


 憧れはあれど、実際には東京を楽しむことも出来ず。

 だからこんな場所に来ることが出来て、ほっとしてはいるのですが。


「そんなこと無いの。道久君も、ここに座ると良く分かるの」


 ぽんぽんと、シートを叩いていますけど。

 何が分かるというのでしょう。


 言われるがまま、靴を脱いで。

 穂咲の隣に腰を下ろすと。



 ……こいつの言っていることが。

 やっと理解できたのでした。



「おお。……なんか、不思議」

「ね? 実に東京らしいところなの」


 乾いた風に波うつ青々とした芝生の先。

 灰色がかった空と、常緑樹との境界線に。


 さっき見上げた、高層ビルが立ち並んでいるなんて。


 見たこともない光景なのです。


「ママが言ってたの。田舎は自然の中に都会を作りたくて、都会は逆に、自然を作りたくなるの」

「人は結局、無いものを欲しがるって事?」

「きっとそういうことなの。だからここは、東京ならではっていう場所なの」


 俺たちが、東京に憧れを抱くように。

 都会に暮らす人は、俺たちの生活に憧れるということなのでしょうか。


 ……巨大なビルを眺めながらお茶をすする穂咲は幸せそうで。

 俺たちが東京を楽しむには、この辺がちょうどいいやと納得したのでした。


「道久君」

「はい。なんでしょう」

「ちょっとその辺りに立って欲しいの。ビルと、高さを比べたいの」

「…………立つことに関して負けるわけにはいかないな」


 そんな、いつも通りのバカげたやり取りで。

 俺はようやく東京を楽しむことが出来ました。


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