III 追憶
Monologue.1
唄を聴いた。頭の中に、流れ込んできた。
今はもう覚えていない。ただ、それが“ウタ”というものであることは、その時に分かった。それまでは、何も知らなかったのに。
頭痛を堪えてベッドから這いずり出た。時間は、午前三時頃だったと思う。
基地中にサイレンが響いて、普通の事態じゃないと分かった。
大きなアノマリーが、ゆっくりと動いていた。巨大な吹き抜けのベイエリアを、周りの機械やクルマを壊しながら進んでいた。橋の向こう、トゥエルブに向けて動いていた。
ぐにゃぐにゃの、ぐちゃぐちゃした、大きなアノマリーの塊。トゥエルブでもあんな大きなものは見たことがない。
それでも……ほとんど直感的に……私はそれが“あの娘”であることが分かった。
歌っていたのが彼女だということも分かった。
何故そう思ったのかは知らない。とにかく、分かってしまった。
「こっちだ、お嬢ちゃん」
と声が聞こえた。それは血相を変えた整備部のオヤジだった。
宿舎エリアから逃げ遅れたカナリアはその時、私だけみたいだった。あのオヤジはどうも残ったカナリアを探していたらしい。使い捨てのはずの実験動物をわざわざ探していたなんて、今でもヘンなヒトだったなと思う。
とにかく、私はオヤジと一緒に宿舎を出た。
そこでようやく意識が戻り始めて、強烈な本能も目覚めた。
死にたくない、と。
―――
警備部隊の連中があの娘に向けて銃を撃っていた。
その中にカナリアはいなかった。何人かのカナリアはそこらへんにうずくまっていた。動けたカナリアもいたにはいたけど、たぶん、基地中のカナリアがあのウタの影響を受けていたんだと思う。
「無駄死にしたくねえなら、身を隠すんだ」
オヤジはそう言った。
けれども、何故か私は「あの娘の行く末を見届けなきゃいけない」と言い返した。近くにいれば巻き込まれる。はずなのに、そう思って、勝手に身体が動いた。
オヤジは少し迷って、結局私についてきてくれた。その時の私は足腰がガタガタと震えていて、もう一人じゃ歩けないくらいだった。でも、オヤジは肩を貸してくれた。もしかして、オヤジも、アレを見たかったんじゃないかなと思った。
―――
何をするでもなく、ただ見届けた。
誰もあの娘を止めることは出来なかった。
トゥエルブの中でしか起こらなかったはずのことが今この基地で起きていて、それでいくらかのヒトが殺された。
例えば“重力球”。あの中に入れば、どんなものでも一瞬でぺちゃんこになって、球の中心に浮かぶガラクタになる。ぐにゃぐにゃと空間が歪んでいて見た目はわかりやすいから、トゥエルブでは単に避ければ良かっただけのモノ。
それを……たぶん、あの娘は意図的に引き起こす能力を得ていたんだと思う……固まって銃を撃ちまくっているヒトの中心に小規模な重力球が発生して、そこにいた奴らはあっという間に肉と鉄の塊に変わった。
例えば“障壁”。薄く歪んだ透明のカベが発生する現象。ちょっと分かりづらいから、トゥエルブではたまに頭をぶつけるカナリアがいたくらい。
それをあの娘は自在に動かした。クルマを押し退け、行く手を阻むヒトを挟んで押し潰したりした。
それから、あの娘"自身"も多くのヒトを殺していた。伸びている無数の長い触手が身体を貫いたり、撥ね除けたり、叩き殺したりしていた。
誰もあの娘を止めることは出来なかった。
そのうちに、不思議なことが起きた。
銃を持ったヒト達が、ふと抵抗を止めはじめた。基地内にけたたましく響いていた銃声が少しずつ小さくなっていて、そのうちに聞こえなくなった。
残ったカナリアだけでなく、ヒト達もまた銃を下ろして、あの娘の進行を見守り始めていた。「こいつは行かせてあげなければならない」とでも思ったように。
それほど長い時間ではなかったように思う。気付けば、誰もがあの娘がぬらぬらと歩くのをただ呆然と見つめるようになっていた。
―――
やがてあの娘は閉じたシャッターのあたりにさしかかった。
それは、これまで私達カナリアが何度も見てきた、地獄への門だ。
「そこまでだ」
ふと、拡声器ごしによく通る声がした。それから、けたたましい轟音と、鉄が擦れる音が聞こえた。私より先に、オヤジが目を剥いた。アレがなんなのか、知っていたからだ。
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