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 さて、ひたすらに話を進めてまいりましたが、ようやく今の私に近づいてきましたね。あと少しで私の話は終わりますから、もうしばらくお付き合いください。


 これまでの話で何となくお分かりになる方もいらっしゃるかと思いますが、私の見る『夢』には「黒」が多く現れています。「黒」という色は、私が好む色ではあるのですが、同時に不可思議の象徴にでもなっているようですね。こうして振り返ってみると新しい発見があって、なかなか面白いものです。


 これからお話しするのは、最初に申し上げた通り、今の私に最も近いものです。

 ざっくりですが、「今の私」の数か月間のことと思ってくださってかまいません。

 ひとつ前の話のように脱線しては困りますから、早速お話いたしましょう。


 始まりは夜のことでした。

 ひとつ前の話のように、人の形をしておらずとも何かの影を見ることが日に日に増えていったある日の深夜のことです。

 寒い時期を過ぎ、凍えることも暑くて悶えることもない、丁度良い気候の季節。仕事で疲れた体を休める大事な時間に、それはやってきました。

 「やってきた」と表現する理由はのちにわかるでしょう。これまでを過ごしてきた「今の私」にとって、それらはそういうもの、、、、、、なのだと気が付いた結果だと、今はそう思っていてください。


 それ、、は私のベッドの足元にいました。布団をかぶって寝ている私の足元にたたずみ、俯いていました。人の形をしていたかどうかは分かりません。けれども私には、それが俯いているように見えたのです。

 これまでに何度も見ていれば、人間いい加減慣れてくるもの。特に危害を加えてこないのであれば、なおさらです。そりゃあ、真夜中に足元に立たれれば多少の恐怖心は生まれます。それでも、そういう時にはさっさと寝てしまうに限る、そう思えるようになるものです。

 ですがその日は、少しそれが気になってしまいました。

 声をかけるとか、そういうことはしません。私はもともと怖いものは嫌いなのです。自らわざわざ近づこうとは思いません。それでも気配だけはしっかりと捉えてしまうもので、しかもこれまでよりもはるかに強い気配なら仕方がないでしょう。だからその時ばかりは、すぐに眠ることも出来ず静かにその気配を感じていました。

 田舎の深夜というのはとても静かなもので、就寝時に聞こえていた暴走族のバイクの音も、その時間には全く聞こえてはきません。いつの間に彼らは帰って、そして眠ったのでしょうか。いつもは耳障りで腹立たしいだけの濁った音が、今この時だけは、少しくらい聞こえてもいいと思ってしまうほど、この灰色に沈んだ静けさが嫌でたまらない。

 そこに立っているそれが、俯きながらも私を見ている気がして仕方がないのです。


 動いてはいけない。

 動いたらきっと、気づかれてしまう。

 

 私はひたすらに、寝ているふり、、に徹しました。起きていることがばれたら、きっとそれはこちらに近づいてくると、何故だか確信していたからです。

 じっと、ただじっと待ちました。

 足元に立っているそれが、「何か」を諦めて帰ってくれるまで。

 やがて私の願いが聞き入れられたのか、まばたきの一瞬の内に気配は消え、重苦しく沈んでいた空気は霧散しました。

 思っていた以上に緊張していたらしい私は、ほっと気を緩めたそのままに、再び眠りにつきました。

 そして数時間後に迎えた朝は深夜の出来事などまるで知らないまま、私の部屋を白い朝日で覆い尽くし、ベッドの中で怠けそうになる私を部屋から追い出したのです。


 

 これが、私が「あちら側」を「あちら側」と認識しだした大きな節目でした。

 前にお話しした話も今思えば「あちら側」なのですが、当時の私にはまだそこまでの理解はなく、その時の意識で言えばこれが最初となるのです。


 その後幾度となく気配は私のもとを訪れました。しかしそれはいつも私の傍にいるだけで、何をしてくるでもなく、じっとしているだけでした。

 もちろん、何かしてほしいだなんて全く思ってはおりません。静かにしていてくれるならそれに越したことはないのですから。

 来る度、それがいる場所は少しずつ違います。最初は足元でしたが、時に私が背を向けている方、時に私の頭のある壁側。近づきすぎることなく、しかし部屋の外には決して行かずに。ただじっとしているのです。

 姿が見えないときはなんとも不思議な感覚を持ったまま再び寝てしまうのですが、どこにいるのか分かった時の感想は何とも平凡で、「あ、今日もいる」くらいのものなっていき、そのうち「今日は来なかったな…」と思うようになっていました。

 来ない日が数日続けば「もう来ないかも」と、それはそれでありがたいと思っていたのですが、さすがにそう旨くはいかないようで、その数日後にはまた現れるのでした。


 そんなことを繰り返す日が続いていたある日のことです。

 これまで幾度となく私のもとに来ていたあの子が、なぜかぱったりと来なくなったのです。また数日あけば来るだろうと思っていたのですが、最後に来た日を境に全く来なくなりました。

 私は素直に喜びました。

 これでもう夜中に起きて、あのなんとも形容しがたい嫌な時間を過ごさずに済む。このままもう可笑しなことがもう起きなければいい。年齢的にも貴重な睡眠時間を食われるというのはなかなかの痛手となっておりましたので、今日からはゆっくり眠れるかもと期待していました。

 多少夢見が悪いのは今に始まったことではありませんから、それほど気にすることではありません。半端に起きる方が余程しんどいのですよ。

 夜の眠りは就寝から起床まで、一時の妨げなく済ませるのが一番です。

 このチャンスは逃すまいと、私はこの時期、いつもよりも早めに就寝して、最高の眠りを得んとしておりました。


 それが続いたのは、おそらく二週間ほど。

 あの子のことを忘れかけていた頃、それを阻止するかのように。

 再び私のもとを訪れたのです。


 その日は昼間の時間帯、例のごとく休日の昼寝の時でした。

 ふと目を覚ました時、私のほかに母も近くで寝転がって昼寝をしておりました。その時点で今この家の中には、起きている者はいないことになります。私は母と二人暮らしですから。

 ですから、家の中はとても静かなはず、、なのです。

 強いて言うのなら電気ポットのお湯が冷めない様に、必死にポットが動いている機械音と母の寝息くらいで、それ以外にはこれと言った音はありません。

 それなのに、私たちが寝ている部屋のさらに奥の部屋から。


 ぱたぱた…ぱたぱた…と、足音が聞こえてくるのです。


 その足音はどちらかと言えば軽やかで、重みのない音をしていました。想像するなら、細くて小さい足。その上に乗っているものもおそらく軽いのではないだろうか。そんなふうに思える足音でした。

 しかし子供というには少ししっかりしているような気がする。ふらつきのない確かな足音は、小さくて軽いながらもその内側は決して小さなものではない。

 そのはっきりとしない不可解さが、足音を聞くたび私の胸の奥に言いようのない不安と恐怖を生み出していく。ぼんやりとした頭でもわかるのです。

 自分の心臓の音が、だんだんと早くなっていくのが分かる。喉の奥がひりついていく。吸い込む空気が、なんだかさっきよりも冷たくなっている気がする。

 うっすらと開けた瞼の隙間から見える景色が、昼間にもかかわらず薄暗い。

 久しく感じる「恐怖」。

 忘れたわけではなかったのに、それを感じる時期が無かっただけでこうも影響を受けやすくなるものなのでしょうか。聞こえる足音も、感じる空気の冷たさも無視してもう一度眠ってしまえばよかったのに。

 一度「怖い」と思ってしまえば、それは止まることなく私の頭を埋め尽くしていくのです。そして「怖い」と思う以外には何もできなくなって、どうしようもなく不安で仕方なくなって、そうなってしまったからか、私は思わず。


  誰?


 足音が、止まりました。

 私が「恐怖」に頭も心も埋め尽くされ、どうしようもなくなって、そう聞いた途端。

 それまでずっと聞こえていた足音が、ひた、と止まったのです。

 先ほどよりも、その場の空気が重く淀み、冷たくなったような気がしました。

  

  まずい。


 私はうっすらと開けていた目を瞑りました。

 この後にどうなるのか分かっていたわけではありません。

 ただ「まずい」と確信したのです。

 何故だか体も思うように動かせず、出来ることと言えば視界を遮ることくらい。

 それだけの小さな抵抗でどうすることも出来ないことは分かっていましたが、このまま目を開け続けて入れば間違いなく良くないもの、、、、、、を見てしまう、そう本能が言っていました。

 だから私は目をしっかりと瞑り、じっとしていました。

 このまま眠ってしまえばいい、そう思って眠りが私の意識をさらうことを待っていました。

 しかし、その願いは叶うことなく、


  すーっ、と。


 閉じた瞼の上に、半分だけ影が落ちたような、そんな感覚がしたのです。

 目を瞑っていても光を感じることができるでしょう。それが半分だけ、無くなったのです。

 私は目を開けて、影の正体を見ようとしました。しかし目を開けるその直前、私の頭に、あるが浮かびました。


  ぽっかり空いた真っ黒い眼が、私の目を見ている。


 その落ちくぼんだ眼を、私の目の位置に逆さに合わせて、じぃ…っと私の目を見ている。

 開けてしまいそうになった瞼が、びくりと固まりました。

 絶対に見たくない。でも固まった瞼がぶるぶると震えながら少しずつ開きそうになる。

 

  目を開けてはいけない。絶対に見てはいけない。


 その意志だけで私は必死に瞼が動くのを阻止しました。

 まだ、見ている。

 まだ、このまま。決して動かずに。


 そのままどれくらいそうしていたのか。もしかしたらそれほど長い時間ではなかったのかもしれません。しかしその時の私には、とても長く感じられるものでした。

 ずっと感じていた、私の目の上から感じられる視線が、すっ、、と消えたのです。

 私は気が付かぬうちに止めていた息を吐き出しました。

 そして思いました。終わった、と。


  私の左側のすぐそばに、その気配を感じるまでは。

 

 体が、震えました。

 前に己の近くに気配を感じたときとは比べ物にならない程の、近い距離にいるのです。

 冷たい空気が少しずつこちらへ流れてくるのが分かる。

 仰向けで寝ている私を、横向きになって、私と同じところに頭を置いてこちらを見ているのが、はっきりと分かるのです。

 嫌でも意識は左へと集中し、その中に小さく聞こえてきたのは、


  いぃ…いぃ…


 という、なんとも言い表すのにしっくりくる言葉が見つからないような、そんな音。

 窓の外、外部から聞こえてくる音ではありません。私の左耳のすぐそこで聞こえるのです。

 その音に気を取られた一瞬、気配は更に私に近づいたように思えました。

 私の肌に触れるものは、今はありません。しかし、もう少しで触れそうな、何かが触れそうなくらい近くにいるのが分かるのです。

 真っ黒い、瞼や眼球がないその眼で、私をじっと見て。

 いぃ…いぃ…、と音が、きっとそれはこの気配が発している音だと。

 今さらながらにそう思ったときに


  ………… …  ……ぃ ……


 聞こえてきたのは



  ………… …  …… ……ぃ

 


 私の



  ………… …ぃ  …… ……



 わた し の



  ………… …  …… ……ぃ



 な      ま  え       で 





  ………… …  ……ぃ …… ……ぃ … …… … …………

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