第九話 ゴニンの話
*
6月23日 10:32 〔食堂〕
食卓を囲む五人。
作る時間もなかったため食卓に並ぶのはバターを乗せただけのトーストだ。食欲のわかない僕はそれでもものを口へと運ぶ。
場を包むのは静寂である。
皆が目を伏せ、視線を交わすことなく食事を続けていた。食事が終われば再開するだろう話し合いを思うと、気分が重い。
「皆さん、コーヒーはいかがでしょう? お湯は沸かしてありますからインスタントであればお淹れしますよ」
デンシが立ち上がり食堂へと向かう。
「あ、じゃあ僕お願いします」
「私も手伝います!」
場の空気に耐えかねた僕はわざと明るい声を上げる。つられるようにマコも手を挙げると食堂へ向かう。
「マコさんありがとうございます。マモルさん、シラベさんはいかがいたしましょう」
「では私もコーヒーを」
「私は紅茶をお願いします!」
「ええ。少々お待ちください」
食堂に消えたデンシとマコはすぐにカップをお盆に乗せ戻ってくる。
「はい、テイシ!」
「ああ。ありがとう」
マコからカップを受け取った僕は黒い水面に自身の顔を見る。コーヒーを呼び水に脳裏によみがえるのはヨイトの嫌味な笑み。僕は頭を振るとコーヒーカップから目を背ける。
「デンシさん、ちょっといいですか?」
コーヒーを一口すする。普段なら安らぐその味も今は気休めにすらならない。僕は口の中のものを飲み込むとデンシに言葉を投げかける。
「十二年前の事件。おそらくこの中ではデンシさんが一番詳しいのだと思います。わかる範囲でいいので詳細を話していただけませんか」
「ええ。構いませんよ」
十二年前。僕らが巻き込まれ、マコの父親が焼死した事件。残る僕ら八人が全員関係する事件だ。
記者でありニュース番組のキャスターであったデンシは事件をきっかけに職を失っており、僕が知らない事件のその後を独自に調べたという。ここにいないカタメ、コロ、ジンケンは分からないが他五名の中では一番事件に詳しいと思われる。真犯人に近づくためにはデンシの知る情報を聞くのは必須であろう。
僕の要請を受け、デンシが語りだす。
「最初に断っておきますが今から話す内容は私が独自に取材した結果であって、警察が公式に発表した内容と異なる部分があります」
「それは大丈夫ですよ。僕たちには情報が必要なんです」
「そうですね。では、何から話しましょうか。犯人として捕まったのは月影ヒカエさん。犯行現場を見に来ていた野次馬の中でガソリンの匂いがしたと、その場に居合わせた女性、つまりはシラベさんに発見され警察が身柄を拘束。火災発生現場と思われる場所でも目撃証言があり、逮捕されました。当時三十六歳。生きていたなら現在では四十八歳となっていました」
「えっ、生きていたなら、って」
「ええ。彼女、亡くなられているんですよ。十二年前に」
デンシの言葉に僕は声を失う。犯人とされた女性が、死んでいた? 僕らの疑問に答えるようにデンシは続ける。
「ヒカエさんは薬物により体調を崩していました。薬物に手を出したのも元々対人関係にストレスを抱きやすかったからだそうです。私達報道関係者から犯人と糾弾され、無罪放免となった後も第三者からの謂れない非難が続き元から弱っていたヒカエさんは首を吊って、自殺されました」
自殺。僕が犯人だと考えていた女性も、事件の被害者だった……
「マコはこのこと知っていたのか?」
「……うん。警察の人が教えに来てくれたからね。真犯人が捕まっていないことも、知ってるよ」
マコの言葉に僕はうつむく。まだ犯人すら捕まっていないのに僕は事件を終わったものだと思い込み、見ないように目を背けてきたんだ。マコが辛い思いをしている中、僕はただ逃げていた。
デンシの言葉に僕は、自身の馬鹿さ加減を思い知らされる。
「そういえば、シラベさんも犯人が無実だってこと知らなかったんですよね」
「はい! 事件の後、探偵のライセンスを取るために海外に行っていたんですよ。事務所を構えるために日本に戻ってきたのが二年前。その間日本の情報はどうしても入ってきませんでしたから」
シラベはそういうと肩を落とす。
マモルにも一応知っていたか確認するが、首を振る。関係者である僕やマモルでも知らなかったのだ。やはり、事件の顛末はあまり世間では取りざたされなかったのだろう。
「それでデンシさん。真犯人に関する情報は何かありませんか?」
「残念ですが、真犯人の正体については私の取材で明らかになっておりません。お役に立てず申し訳ありません」
「いえ。デンシさん、ありがとうございます」
デンシが頭を下げると、僕もそれに習う様に目線を落とす。
真犯人は今まで周到に逃げ続けてきたのだろう。だとしたら、僕らは僕らの中に潜むクビを見つけられるのだろうか。
そのあともそれぞれが知っている範囲での情報を交換するがめぼしい事実が出ることなく時間だけが過ぎていく。
時間にすれば二時間経過したころ。
「あっ! カタメさん、もう大丈夫なんですか?」
「ああ。少し取り乱したがもう大丈夫だ。皆には心配をかけてしまった、すまない」
食堂の扉が開き、そこからカタメ達三人が合流した。
「おお! カタメがしおらしい。珍しいな」
「ジンケン、それで俺をあおっているつもりか? 人が弱っているところを叩くのは常套手段だが、叩く脳すら持ち合わせていないとは哀れなものだ」
扉から入ってきたカタメは普段の口調を取り戻しているように見えた。この状況下で、カタメの状況があのまま続いていれば空中分裂の危機もあったのだ。カタメの口から聞こえてくる軽口に僕はひとまず胸をなでおろす。
「それで、俺達がいない間に情報共有は進んだか? できれば要旨だけは聞いておきたいが」
「ええ。では私からお話ししましょう」
カタメの依頼にデンシが応じる。
念のためカタメも聞いていた部分から話し始めたデンシは、僕らが十二年前の事件でつながっていること、犯人として逮捕された人物は犯人ではなかったこと、真犯人は現在も捕まっておらず情報もないことをカタメに伝える。
「そういえばカタメさんは、事件とどういう関りがあったのですか?」
「……俺のことはいいだろう、それでお前たちはその真犯人というのがクビであると考えているわけだな」
「ええ。その通りです」
露骨に話題をそらすカタメに僕らは首肯する。
カタメの事件との関係。先の話し合いで反応したワードからかんがみるに、大体の予想はできるが。繊細な過去のようだ。今ここで無理に聞き出すことはできないか。
「ち、ちなみに僕は放火のあったあの日、放火現場となった民宿の宿泊客でした。出火当時は出かけていたため火災には巻き込まれませんでした」
コロが震えた声で証言する。
「確かコロさんの写真にはお母さんが写っていたのですよね?」
「は、はい。母さんもあの時民宿に泊まっていました。ぼ、僕と母は花火を見に行っていたんです」
「そう言えば近くの公園で花火大会があったんですよね」
「あっ! 写真に写るヨイトさん、花火を持っていましたよね? もしかして何か関係があるのでは?」
「花火大会、ですか。私は事件当時のことを取材していましたが、あの後火災騒ぎで花火大会は中止になったそうですよ」
「まあ、ボヤ騒ぎの最中に花火大会とか不謹慎極まりないですもんね」
花火を手に写真に写るヨイト。当然、彼女も何か事件に関わっているのだろう。
「そういえばウツミさんはどう事件に関わっているのでしょう」
「あっ! それなら私が知ってますよ」
何気なく口をついて出た疑問にシラベが手を挙げ答える。
「先の議論でウツミさんがドラッグの売り子だということは話しましたよね。私は探偵の依頼を受け沖縄にいたのですが、依頼というのがある人物の素行調査でした」
「その人物がウツミさんなのですか?」
「いいえ! 詳細は守秘義務があるため伏せますがウツミさんがドラッグを渡していた客の一人ですね。調査対象がウツミさんからドラッグを受け取るのを目撃した私は、探偵として犯罪を見過ごすことはできませんでした。依頼の調査を終えると私は決定的な現場を押さえるためウツミさんを尾行しました。しかし、途中で彼女を見失ってしまいます。その時ですよ。私が火事の騒ぎに遭遇したのは。ドラッグの中には成分の抽出にガソリンを使う物や、医薬品にガソリンを混ぜたものも存在します。ドラッグの存在に敏感になっていた私はガソリンのにおいに反応し、その女性、ヒカエさんでしたっけ、を取り押さえるに至ったわけです」
「ヒカエさんは薬物を乱用していたということですが」
「うーん。私はウツミさんがヒカエさんにドラッグを渡していたのかまでは確認していませんが、可能性は高いでしょうね」
シラベは額に手を当てながら答える。
ウツミは犯人とされた女性とつながりがあった。薬物の売り子という裏の顔。話したときは暗い印象を受けたもののそんな悪事をするような人には見えなかったが。
そう考えればこの中にも自身の本来の顔を隠しているものがいるのだろうか。いや、少なくとも一人。クビは今も僕らをだまし続けているのだ。
「さて、どうしたものか」
「そういえば、皆さんは他の人の荷物の中身は確認しましたか?」
「いや、男性側はまだだな」
「それなら確認会をしませんか? 私たち側では面白い物がありましたよ」
話が途切れたタイミングでシラベが皆に問いかける。そういえば、自分以外の荷物は僕ら男性側は確認していない。シラベの言葉に僕らは頷く。面白い物、いったい何だろうか。
シラベの先導で僕らは食堂を後にする。
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