1日目③ ~ 2日目① 後悔先に立たず 裏切り者は蚊帳の外
第十一話 かたすかしブレイヴ
*
6月21日 21:58 〔牢屋〕
一時間。沈黙が場を支配している。
マコが夕食の準備のためにここを離れたのが一時間前。入れ替わりに来た茶池コロと紫煙ウツミは今、大広間から持ってきたのであろう丸椅子に腰かけ、僕に背を向けている。
元からあまり話す方では無い二人と、話す気力を失った僕。互いに会話は無く、時間だけが過ぎていく。
鉄格子越しに僕は視線を二人へと向ける。
少し距離を開け並んで座る二人は、見れば同じ服装をしている。ジーンズと大きめのTシャツの上には、緑のパーカーを羽織っている。違いはウツミの方がフードを被っているぐらいだ。事情を知らないものが見れば男女の関係に見えることだろう。
とは言え当然、この短時間、しかも命の危機を前にした環境でそんな関係に発展するはずもない。二人が着ているのはコロの服で、ウツミがコロの服を着ている理由は単純。コロの服しか着替えとして彼女の服に適したサイズのものが無かったからだ。
「……何を見ているの?」
視線に気づいたのか、ウツミはこちらを見ることもなくそうつぶやく。気配に敏感なのだろうか。ウツミからは見えていないだろうが、瞬時に目をそらしてしまう。
そして、ウツミの言葉が自分に向けられていると勘違いしたコロはビクッと震えてウツミと反対の方向を向き固まってしまう。僕はため息をつく。
「ごめん。別に意図があって見ていたわけじゃないんだけど。ウツミさんもコーヒーこぼされて災難だったね」
「……水も滴るいい女。濁った私には、不透明なコーヒーがお似合いかしら」
「ウツミさんも冗談言うんですね」
「……そのセリフ、コーヒーで罪が露呈した冗談みたいな男に言われたくはないわ」
「う、ウツミさん。それはテイシさんに失礼だよ」
コロがフォローしてくれるが僕は首を横に振り、それを押しとどめる。
「いや、僕がみんなを欺こうとしたのは事実だ。ごめんなさい」
灰島ヨイトは偶然を装い、コーヒーをこぼして僕の隠し持つ包丁を衆目にさらした。その時、ウツミにもコーヒーが掛かってしまう。ウツミは替えの服を持っておらず、女性にしては長身であるため服のサイズが合うのはコロの物しかなかったのだ。
現在ウツミがコロの服を着ているのはそういう事情であるのだが、ヨイトの思惑を考えると、ウツミにとっては完全なとばっちりだと言える。そして、僕にも非があることは明白であった。ヨイトの思考を知らないとはいえウツミの恨み言を受けて、僕がそれを否定などできるはずもない。
「おーい、テイシ! 差し入れ持ってきたよ」
場違いに響く明るい声。
廊下から聞こえてくるその声に、鉄格子の隙間から僕が外を見るとマコがこちらに向け駆けてくる。手にはお酒だろうか、何かのボトルとグラスを握っている。
「マコ。それはアルコールか?」
「うん。赤ワインだね。テイシが落ち込んでいたからキッチンから持ってきたんだよ」
「いや、ワインはまずいだろ」
「うん? そんなことないよ、おいしいよ」
「いや、味の話じゃないよ!? この状況下で酔っぱらうことは自殺行為だろ、って話だ」
「大丈夫だよ。そのための監視役じゃない!」
マコは胸を張り、グラスにワインを注ぎだす。いや、ほんとに飲ます気か?
酔って忘れるとか、うん。さすがに思考が単純すぎる。
「ま、マコさん。さすがに飲酒はまずいですよ」
「……別にいいんじゃない? お酒ぐらい。酔っぱらったクビがクビ自身しか知らないことをポロリなんて展開があるかもしれないし」
コロは制止してくれるが、ウツミはマコに加担し飲酒を勧める。僕は恨めし気にウツミを睨む。声色から冗談を言ったのだと思うのだが、流石にこの状況では冗談に聞こえない。僕はクビじゃない、と言い返したいのをグッと我慢する。
「ポロリって。ちょっと、ウツミさん、不潔ですよ!」
「……私、ツッコミは苦手なんだけど?」
「うん。ウツミさん。マコがごめん」
「えっ、なんでテイシが謝るの? ええ!?」
そして険悪になりかけた空気をぶち壊していくマコ。僕はマコに“秘密の暴露”のロジックを説明する。
「犯人以外知りえない情報を知っている人がいたとしたら、そいつを犯人だと断定できるだろ? その論理を“秘密の暴露”というんだ」
「ふーん。まあ、私。最初から分かってたからね!」
「ははは。まあ、そう言うことにしとこうか」
マコはそれで納得してくれたようだが、なんだか場がめちゃくちゃである。
まあ、暗いよりはいいのかもしれないけれど。僕はマコを見ながら嘆息する。
「それでマコ。夕飯の準備は済んだのか?」
「うん。デンシさんと明日の朝食分は用意してきたよ! ご飯は朝に炊けるようにセットして、味噌汁なんかは火で温めれば食べられるよ」
「ま、マコさんありがとうございます」
「うん。食事は元気の源だからね。手は抜けないよ」
マコの笑顔。うん。でもさすがにここで飲むわけにはいかないんだよな、ワイン。だからマコ。そんな笑顔でワイングラスを頬に押し付けないでくれ。無理に押し付けるものだから少し髪にかかっているじゃねえか。
「……飲まないのね。なら、私がいただくわ」
「う、ウツミさん。飲酒はま、まずいですよ」
「……この環境、誰に気を遣う必要があるのかしら。なんならあなたも飲む?」
「い、いや。ぼ、僕、お酒飲めないんですよ」
マコからグラスを受け取ったウツミは、それを強引にコロへと押し付けている。コロには悪いが僕の代わりに飲んでもらおうか、な。
僕はそんな喧騒を牢屋の中から見ながら苦笑い。こうして夜は何事もなく(?)更けていった。
「マコ。寝たか?」
「ううん。起きてるよ」
鉄格子にもたれかかるマコの背中。こうして声が届くほどに近くにいるはずなのに、今はどこか遠くにいるようにマコの存在を感じている。
「どうかしたの?」
眠いのだろう。マコは目をこすりながらこちらを振り向いた。そういえば、僕はどうして今、声を掛けたのだろう。
「マコ、眠いのか? 子供は寝る時間だぞ」
「子供って。私、二十四なんだけど! どこが子供なのよ」
「そういうすぐムキになるところが、だよ」
僕はマコのあの頃と変わらない返事を受け、苦笑する。こういう反応をするからついついかまってしまうのだ。
「もう、いつまで子ども扱いするのよ」
「そんなことないって」
「あるってば!」
マコは鉄格子に額を押し付けながら否定する。
言わんこっちゃない。ムキになったその声は次第に大きくなり、廊下に響く。
「うわっ。な、何かありました?」
「……寝る子は育つ。起こす子は粗雑、かしらね」
「ああ、ごめんなさい! 起こしちゃったよね」
マコの声を受け、床で転がっていた飲んべぇ達が起きだしてくる。マコは謝るが、もともと見張りの時間なのだ。起こして謝る道理はないだろう。
「……今、何時かしら?」
「うん。二十三時、だね!」
「・・・・・・交代まで一時間。クビには警戒しないと。転ばぬ先の頬杖、ってね」
「うん、備えは大事、って。ウツミさん、また寝ちゃうの!?」
「確かに寝転がっていれば転びはしないだろうな」
「……ふふふ。冗談よ」
ウツミは表情を変えず、マコに返事を返す。彼女、結構飲んでいたはずだけれど。その声色からは酔いを感じさせない。
「うっ。気持ちワル」
一方、ウツミに付き合わされたコロは口元を抑えている。
「おいおい、こんなところで吐かないでくれよ。僕はここから出られないんだから」
「うっ。そ、そうですね。ちょっと、トイレ行ってきます」
「じゃあ、私が付きそうよ!」
「……いいえ。あなたはここで見張り番よ。殿方と牢屋で二人きりなんて、そんな刺激的な体験、私にはちょっと耐えられそうには無いわ」
ウツミは表情を変えない。ウツミは言葉を濁したようだが、要するにクビの疑いのある僕と二人きりにはなりたくないということだろう。まあ、当然の心理だ。
マコはウツミの真意を測りかねるのだろう。首を傾げている。
「……私達、結構飲んじゃったから、なかなか戻ってこれないかもね。その間は、お二人で、なかよくね」
「なっ!?」
コロがおぼつかない足取りで立ち上がると、ウツミも続く。去り際にウツミの放った一言は、僕だけに聞こえるようなつぶやくような言葉だった。
僕は酒も飲んでいないのに、自分が紅潮するのを感じる。
僕とマコはそんな関係じゃない。
僕が最後の言葉を否定しようと顔を上げた時には、すでにウツミはコロを連れて廊下の扉から外へと出てしまっていた。
「ねえ、テイシ。今ウツミさん、何か言った?」
「えっ、ええと。いや、何も」
「ふーん。そうなんだ。てっきりテイシに何か嫌なこと言ったのかと思っちゃった。だって、いきなりテイシの顔、赤くなるんだもん」
「いや、ウツミさんは何も言ってないよ」
「ならいいや。でも、ちょっと焦っちゃった。テイシって怒りっぽいからね。でも、テイシのそういうところ、嫌いじゃないよ。だって、私を助けてくれたあの時も、テイシだからあんなに必死になってくれたんだもんね」
「……」
マコの言葉。僕はそれを聞き俯いてしまう。
そう、僕とマコはウツミさんが思っているような、そんな関係じゃないんだ。だって、僕はあの時、マコの家族を壊してしまったのだから。
*
12年前〔某所〕
「テイシ! 私のラブレター、食べたでしょ!」
「……マコ。僕ってヤギだったっけ?」
夏休みの教室はガランとしていて、マコの大きな声は良く響く。外では先ほどから降り出した雨の音が静かに続いている。
寝不足から机に突っ伏し、寝てしまっていた僕は、よだれを拭いながら頭を上げる。
中学生になって最初の夏休み。マコの家族に連れて行ってもらい一緒に行く明日からの沖縄旅行を前に、僕らは宿題を終わらせようと学校に集まり、勉強をしようと教室に来たのだが……
「マコ、ラブレターもらったのか」
「うん。今朝教室に来たら、机の中に入ってたんだよ。マコさんへ、って。ハートマークのシール付きで。一人で開けるのは怖いからテイシと一緒にと思って待ってたんだよ。でも、今見たらなくなってて」
「だからってなんで僕が食べたと思うんだよ」
「いや、テイシならお腹がすいたらやりかねないかと」
ちょっ、マコさん、僕を何だと思ってるのかな? マコは最初の威勢はどこへやら。徐々に語調が弱くなっていく。
「そもそも僕は今、登校してきたんだぞ。なんでマコの机の中に手紙が入っていることを知ってるんだ」
「うーん。それもそうなんだけど」
「どうせ、見間違いか何かじゃないのか。今、夏休みだぞ? いつ来るかしれないマコに対してラブレターを出すのは変だろ」
「うー。見間違いじゃ、ないよ」
そこまで言うとマコは俯いてしまう。少し言い過ぎたと思った僕はマコの頭をなでる。
「まあ、そんなに落ち込むこともないだろ。相手の思いが本気なら、また向こうからアプローチしてくれるよ」
「う、うう。そうかなあ」
「ああ。だから気にするなって」
僕はマコに笑顔を向ける。マコはまだ不服そうな表情だったが、しばらくするとその陰鬱としたものも消え、一時間もする頃にはいつもの笑顔となっていた。
僕はホッと息を吸う。
マコに届いたというラブレター。返事をもらいたいのなら自分が学校に来ているときに出すのが普通だろう。夏休み中では事前に約束でもしていなければいつマコが学校に来るかなんてわからない。
そして、ラブレターは消えてしまったという。マコの言う様に見間違えという線は薄い。
では、誰がラブレターを持ち去ったのか。マコと僕、二人しかいない教室である。答えは明白であった。
ならばなぜ、ラブレターは持ち去られたのか。マコは僕がお腹が空いていたからと考えたようだが、そんなわけもない。僕がラブレターを持ち去ったということは、僕が事前にラブレターの存在を知っていたということに他ならない。
つまり、このラブレターは僕がマコに宛てたものだということ。
そう。僕は、マコのことが好きだったんだ。
昨日徹夜して書いたラブレターをポケットの中で握りしめながら、僕は嘆息する。
なぜ、ラブレターを持ち去ってしまったのか。自問自答する僕だが、そんなことは分かり切っていた。
僕は怖かったのだ。今の、マコとの関係が壊れてしまうことが。
だから僕は今日も彼女に思いを伝えることができずにいた。
「そういえばテイシ。傘持ってないみたいだけどよく濡れなかったね」
「ああ。雨が降り出す前に学校に付いたからな」
「あれ? それならテイシ。教室に来るまでどこにいたの?」
「えっ……いや、トイレにこもってたんだよ」
「トイレって。体調気を付けなよ。明日から旅行なんだから」
マコの言葉に冷汗が出る。マコよりも早く学校に来て、ラブレターを仕込み、様子を窺っていたなんて恥ずかしくて言えるわけもない。
自分の恥ずかしい行動を振り返り頬が熱くなるのを感じる。
これではだめなのだ。だから今度こそ、マコに思いを伝えなきゃ。
「ああ。旅行は絶対に行くよ。何があったってね」
僕は明日、マコに思いを伝える決心をしていた。
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