第十二話 へそまがりヒーロー(過去編)

12年前〔沖縄某所〕


「実は、見せたいものがあるんだ」


 僕の目の前で壁によりかかるマコ。花柄のワンピースに身を包んだ彼女は3日間の沖縄の日差しに焼かれすっかり黒くなっていた。




「これって、果たし状?」


「いや、今はそういう冗談はいいから。今日の午後七時、そこに書いた場所に来てくれないか?」


 ペンギンの絵が描かれた封筒。

 なるべくかわいらしい絵柄を自分では選んだつもりの、その手紙を僕はマコに手渡す。


 沖縄旅行最終日の今日。僕はマコに告白するのだ。




「渡してしまった……渡しちゃったよ」


 自室に駆け込み、カギを掛ける。

 ホテル『トゥマユン沖縄』の一室。窓から見える南国特有の建物の並ぶ道など目に入るわけもなく、僕は窓におでこを付け、ざわめく内心を吐露していた。


「もう後戻りはできない、逃げられない、ああ、どうしよう、どうしようもない、うわあ」


 自分でも何を言っているか分からない。けれども、何かを吐き出し続けなければ不安で胸が破裂してしまいそうで。僕は傍から見れば気持ち悪いことになっていた。

 こんな状態でマコの前へ行くのだと思うと余計に不安が僕を襲う。


 約束の時刻まではまだ一時間ある。

 こういう落ち着かないときは、素数を数えるか、今後の計画を確認するに限る。僕は後者を選択する。




 旅行にはマコの両親、マコ、そして僕の四人で来ており、明日には帰る予定となっている。

 僕がマコと待ち合わせに指定した時間はお土産を買うための自由時間となっており、手紙で待ち合わせを取り付けてある。


 旅館『チムガナサン』。

 マコに手紙を渡した際には「テイシ、私の事バカにしてるの? 私だって漢字ぐらい読めるわよ」と、カタカナ表記の旅館名に抗議の声を浴びたが、こういう名前なのだから仕方がない。

 『チムガナサン』とは、沖縄の方言で『心から愛おしい』という意味らしい。うん。改めて考えると我ながら相当イタイ場所を告白の場に選択したものだ。


 僕は顔を上げ、窓からその旅館を見る。

 この辺りは比較的古い建物の並ぶ観光地である。それゆえに僕らが今宿泊しているホテルも結構な年代物だったりする。けれどもその中で一つだけ新しい建物。それが『チムガナサン』。

 なんでも、数年前不審火が起こり建物は全焼。火災保険で全館を建て替えたらしい。


 僕はスマホを取り出し天気予報を確認する。

 明日は雨の予報であり、告白日和とはいかない。その一方、ここ数日は晴れ間が続いている。今夜も今朝の予報から変わらず晴れマークである。僕はホッとする。


 僕が天気を気にするのは何も雨に濡れることを心配してではない。

 『美ら(ちゅら)花火大会』。今年から始まるイベントだそうだが、町の中心で花火大会が行われるのだ。『チムガナサン』のロビーからばっちりその光景が見られるのはリサーチ済み。

 花火の上がる夜景をバックに告白。いささかベタな気もするが、奇をてらって失敗するよりはいいだろう。


 居ても立っても居られない僕は部屋の中をぐるぐる回る。

 そうして時間をつぶしていても、一向に時は流れない。告白って楽しいイベントだろ? 楽しい時間は早く流れるんじゃなかったのか? 仕事しろ、アインシュタイン。




「で、結局三十分も前に来ちまった」


 『チムガナサン』の受付ロビー。中学生の僕が一人でたたずむのは何だか気まずい気もするが、部屋で一人たたずんでいるよりは衆人の中に身を置く方が気のまぎれる気がしたので、早く来た。もちろん、気のせいである。


 なんだか人が多いなと考えるが、これから花火大会があるのだ。ロビーに出入りが増えるのは当然だろう。僕と同じようにここから見ようという人もいるのかもしれない。

 うん。ここで告白とか、どんなさらし者だよ。場所の変更は急務のようだ。


 そう思い、僕が窓の外に目を向けると、それは起きた。


 爆発音。そして、それに続く赤い光。僕はスマホの画面を見て、まだ花火大会には早いことを確認する。

 感じる違和感。それは赤い光が消えずに『チムガナサン』の窓を照らし続けている状況によりどんどんと強まっていく。花火であればすぐに消えるだろう。つまりこの赤い炎の光は……


 僕は胸のざわめきを感じながら旅館を飛び出す。

 悪い予感程よく当たるというが、まさにその通りだと、僕はその光景を見て思った。


 『チムガナサン』から数件隣の建物。おそらく民宿なのだろう。その建物が炎に包まれていた。火災である。連日の晴れ間で乾いた木造の建物は勢いよく燃え上がっている。

 僕は周囲の大人たちの隙間を縫い、前へと躍り出る。


 『民宿 富永さん』

 建物の屋根に固定されていた部分が焼け落ち、看板が地面に落ちる。そこに書かれた文字列を見て僕は悪寒を覚える。


――テイシ、私の事バカにしてるの? 私だって漢字ぐらい読めるわよ




 不運は重なる。

 悪い予感程よく当たるもので、火事による上昇気流により黒煙と共に舞い上がった一片の紙切れが足元に舞い落ちた時、僕は色を失った。


 地面から紙片を拾うと、無心で駆けだす。

 火の熱さも、観衆からの制止も僕には感じられないでいた。ただ感じるのは手に持つ焼け残った封筒の触覚だけ。そこには黒く変色したペンギンの絵が描かれていた。




「テイシ君待ちなさい」



 肩を掴まれる。振り向くとそこにいたのはマコの父親。


「中に、マコがいるんです!」


「なっ、本当かい?」


「だから、すみません!」

 

 でも、だからって止まる理由などない。僕は肩に置かれた手を振り切ると、民宿の中へと飛び込んでいく。背後には僕を制止する声が響いた。






「マコ!」


 おそらく煙を吸い込んでしまうだろう。それでも構わず、僕は黒煙の中叫んでいた。

 体が重く、意識が重く、瞼が重い。ふらつく足取り、ぼやける視界の先。民宿のカウンターの横で倒れるマコの姿を僕は見つける。




 一人で立っているのがやっとだ。だけど、それでも。

 僕はマコの腕を自分の肩に回し、立ち上がる。早足になる余裕などあるはずもない。火の手はすぐ間近で僕らを舐めていく。

 

「うっ、テイシ?」


 体を持ち上げる衝撃で目覚めたのだろう。状況をすべては理解できず不安げにつぶやくマコに、けれども僕には彼女に返事する余裕があるわけもなく。僕は彼女の顔を見ると、安心させるように精いっぱい笑ってやった。

 意図が通じたのか、マコは微笑を浮かべその体を僕へと預ける。


 よろける体を必死に真っすぐにとどめ、僕は出口を目指す。

 十五メートル程の距離。普段ならなんて事の無いその距離が、僕の足をすくませる。


「テイシ、私はいいから、逃げて」


 僕が無理しているのを感じ取ったのか、耳元でマコがつぶやく。消え入りそうなその声に、僕はマコの体を背負いなおす。そんな願い、聞いてやるものか。かすむ視界に目を細めながら、口を三日月形にひん曲げて僕は進む。

 あとちょっと。あと、ちょっと。

 

 けれども所詮は人間の、それも中学生の体だ。半分も進まないうちに体力は限界を迎えていた。

 足元に転がる宿泊客の荷物につまずいた僕はもう、倒れ行く自分の体を支えることもできないでいた。




「マコ、テイシ君。大丈夫か!」


 けれども僕が地面に伏す前に、がっしりと僕の体を支える大きな太い手が現れる。顔を上げるとそこにはマコの父親が立っていた。



 僕を引き上げてくれる力強い手。

 マコの父親の顔を見た僕は、唇を噛むとマコを挟むように二人で並んだ僕らは再度歩を進める。口の中にすすけた木と、血の味がにじむ。




 けれども不運は重なるもの。

 出口が近づき顔を上げた僕は、背後から強い衝撃を受け前へとつんのめる。


 柱が倒れてきた? 確かに振り向くと背後では火に包まれた巨体な柱が横倒しになっていた。この状況ではもうこの建物も長くは持たないだろう。

 けれども僕の背を押したのは、火により倒された柱ではなく、今その下敷きになっているマコの父親だった。


「お父さん!」


 僕たちをかばって柱の下敷きになったに違いない。

 虚ろな目で、けれどもはっきりと父親に向けて叫ぶマコ。僕もあわてて彼の下に駆け寄ろうとするが、それをマコの父自身が止める。


「テイシ君、この柱は重い。君たち二人でどかすのは無理だ。外に出て応援を呼んできてくれないか」


 火に包まれ、柱の下敷きになり辛いはずの彼はそれでも笑顔を浮かべていた。


 追いすがろうとするマコだが既に体に力が入らないのだろう、力なく手だけを伸ばし、うわ言のように父の名前を呼ぶ。


「っつ!」


 僕は出口を目指した。

 マコの父の姿から目を背けるように、耳元で流れ続けるマコの声を振り切るように。


 僕の脳裏には今でもあのときの、マコの父親の張り付けたような笑顔が頭に焼き付いている。





6月21日 23:12 〔牢屋〕


「あの後、私達は引っ越ししちゃって。テイシは電話しても出てくれないし」


「ごめん」


 力なく頭を下げる。

 あの日、火に包まれた旅館から脱出を果たした僕達は、消防士の方に保護されてそのまま気を失った。僕が意識を取り戻したのは火事から三日後の事。僕はマコの母親から、マコの父の告別式が執り行われたことを報された。

 火事の原因は放火だったと報道された。薬物中毒者の被害妄想により、『民宿 富永さん』の主人が自分を殺そうとしていると考えた犯人が、民宿を焼いてしまえば引っ越していくのではないかと考え、民宿に火をつけたのだという。逮捕された女性のやつれた顔は今でも印象に残っている。

 そして、その数日後マコは母方の実家へと引っ越していってしまう。マコから連絡は着ていたが、僕にその電話を取る資格などあるはずもなかった。




「僕があの時、旅館に飛び込んだせいで」


「だから違うんだよ! あれは、テイシのせいじゃない。テイシは私を救ってくれた、それだけなんだよ」


 マコの叫び。けれども、その主張はすでに僕の中では何度も否定されている。


「いいや。きっとあの時僕が飛び込まず、助けを求めていれば、他の誰かがもっとうまくやってくれたんだ。マコの父親を死なせることなく、きっと」


「テイシ。そうやって自己卑下していれば誰も傷つかないとでも思ってるの?」


 悲痛な叫び。マコの声に怒気が乗る。


「でも」


「私を助けてくれたのは間違いなくテイシなんだよ! それに、私たちの身代わりとなって柱の下敷きになったのはお父さんの意思だ! 自己卑下で、私の命を、お父さんの犠牲を否定するのなら、テイシだって許さないからね」


「うっ」


 響く鉄の音。遅れて僕はマコが牢屋を叩いたのだと気づく。

 



「じゃあ、僕はあの日のことをどうやって償えばいいんだ?」


 消え入りそうな声はかろうじて僕の口元からこぼれ出る。

 それは十二年間問い続けてきた、答えのない問。



「それこそ、みんなを助けていけばいいんじゃない? その方が自分を責めるよりもずっといいよね!」


「……」


 そんな、めちゃくちゃな。

 マコの言葉に僕はそんな感想を抱いた。


 十二年。抱き続けてきた自身への負の感情をそう簡単に払拭できるはずがない。染みついた自己卑下の思考回路はそう簡単には変わりはしない。そのはずだ。

 マコの言葉を受けても、僕が過ちを犯したという事実は変わるはずはない。それなのに。

 僕はどうして泣いているのだろう。




「どうして、許してくれるんだ、僕を。マコの方が、辛いはずなのに。それに僕はまた今回も過ちを犯したんだ」


「だから言ってるでしょ。許すも何も、テイシは私のヒーローなんだって!」


 マコは自慢げに胸を張る。



「炎に包まれたあの時、私は死ぬんだ。そうあきらめてた。でも、テイシはあきらめずに私の所まで来てくれた。不安な私に笑顔を向けてくれた。だから!」


 鉄格子の隙間から差し出されたマコの腕が僕の頬をとらえる。




「今度は私がテイシを、みんなを支える。あの時のテイシみたいに、絶対にあきらめない。だからテイシ、私に安心して守られてね」


「……いや、それは男が言うセリフだろ」


 マコの両手で顔を固定された僕は強制的にマコの目を見つめさせられる。

 僕の目を見て離さない両の瞳。その揺るぎのなさにはもはや、乾いた笑いしか出てこない。

 どうやらここは僕が折れるしかないのだろう。



「分かったよマコ。どこまでやれるか分からないけど、僕は僕の事、もう少しだけ許してみることにするよ」


「うん。期待してるからね。頼むよ、テイシ!」


 ぐりぐりと頬をこねくり回される。僕はマコのおでこにチョップをいれる。

 二人の間にあの頃の笑顔が戻った気がした。






「あはは。そう言えばテイシ。十二年前、私の事呼び出してたけど、結局あの時の用事って何だったの?」


「えっ、別に、何でもないよ」


 僕はひそかに赤面する。

 時刻を見れば時計の針はちょうど十二時を指し示すところだった。

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