第3話  喫茶店 その一

 四月十五日。雨の日。


 久方ぶりに旧友から連絡があり、家近くの喫茶店で待ち合わせの約束をした。

 連絡を寄越してきたのは、赤川蕗子ふきこという女性だった。彼女は仕事柄、日本中を年がら年中飛び回って暮らしている多忙な女である。この週は偶然にも私の家近くで用事があるものだから、良い機会なので昼飯でもどうだろうか、との話だ。

 せっかくの女の子からの誘いなのだが……私はあまり気乗りしてはいなかった。彼女は話し始めると長い上に、今まで私に送られてきた言葉の殆どは説教であった。ただでさえ朝から天気が悪く気落ちしている所に、小言の暴風雨に晒されるのはあまり良い気分ではない。しかしながら、変に断って機嫌を悪くしても面倒だ。私は声だけは快く承諾して、なんだか落ち着かない気分で約束の時間を待った。


 蕗子は約束の二十分も前に喫茶店に着いており、奥の方の席で腕組みをしながら私を待ち構えていた。彼女のどことなく不機嫌そうな表情が、これから二人の間で交わされる会話が決して平穏には終わらないことを予感させていた。

「また騒ぎを起こしたでしょう」

 私に会うなり、蕗子は嗜めるような口調でそう言った。

「もう少し静かに行動ができないものかしらね?」

「俺に文句を言われたって困る。騒ぎを起こしているのは連中の方だ」

 私はカウンターに座って寛いでいる店長に熱い珈琲を要求してから、蕗子の前の席に座った。窓からは濁った鼠色の光が差し込み、店内には陰気な空気が漂っていた。

「……怪我はしてないみたいね。新幹線から飛び降りたって聞いたけど」

「幸か不幸か、体だけは丈夫なんでね」

「はあ……」

 蕗子はわざとらしく溜息を吐いた。

「あいつらは、まだ諦める気は無さそうなの?」

「そうみたいだ。まあ、気持ちは分からないでもないけど。僕があいつらの立場だったとしても放っては置かないだろうしね。……まあ、わざわざ殺し屋を派遣しようとは思わないけれども」

 私は苦笑交じりにそう言った。よくよく考えてみれば――今この瞬間も、暗殺者たちが私の命を狙って息を潜めているかもしれないのだ。こんな呑気に談笑などしていて良いものなのだろうか?

 私は手元に置いた携帯の画面に視線を落とした。画面は暗く、沈黙している。もし仮に私の命を狙った人間が近づけば、この携帯が悲鳴をあげて、喫茶店の中に満ちた沈黙を直ちに打ち破るだろう。この装置を作成してくれた先生には、感謝してもしきれない。今頃は元気にやっておられるだろうか?

 

 ところで、この携帯が沈黙したままであるということは、私の眼の前にいる蕗子は私を殺そうとはしていないということを意味していた。これは、幸福なことであろう。この私にも、この追い詰めに追い詰められた私にも、数十億の賞金よりも友情を優先してくれる心優しい友人がいるということだ。……もっとも、それは彼女が大変仕事のできる人間で、今のところは金に困っていないからだけかもしれない。もし今この場で蕗子に電話がかかってきて、彼女の上司から突然クビが言い渡されたとしたら、直ちに携帯が鳴り出す可能性はあるだろう。

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