第八章 再会「2」
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線路沿いに延々と咲く花を眺めていると、目的地の駅にたどり着いた。
東京や群馬とは違った空気が鼻を撫でる。
ここから数キロといったところか、少し高い山も見える。
踏切を渡ると、右手に小さなロータリーが見えた。僕の地元や東京に比べればとても小さく、非常に殺伐なものだった。それでも、さすがに駅前ということもあり、タクシーやら、迎えの車やらがロータリーに止まっていた。
駅前自体が一つの街のようになっているというのが、もはや僕のなかのイメージなのだが、どうやらこの駅はそうでもないらしい。けれど、なぜかそれに少しだけほっとしている自分がいた。昔の地元の駅前の風景を思い出させてくれたからだ。それだけでも、この町に来て良かったと思った。
僕はスマートフォンを開き、菅井から送られてきたお墓の住所を再確認した。どうやら駅からそう遠くはないらしい。
僕は気分転換も兼ねて、原付バイクを駅の駐輪場に止め、スマートフォンのナビに従い歩き始めた。
駅からしばらく歩いたところで川が流れているのを見つけ、僕は立ち止まった。
河川敷はそこまで整備はされていない。雑草が生い茂っている。それでも、目を凝らすと雑草が人が二人ほど通れる程度に刈られている部分を見つけた。
それを目で追っていくとやがて川にたどり着いた。
そして、そこには二人の子供がいた。一人は活発そうな女の子で、もう一人は気が弱そうな男の子だった。
どうやら水遊びをしているようで、やまもんと川遊びをした時のことを思い出し、僕はそれを微笑みながら眺めた。まるで僕の思い出がそのまま具現化しているかのように感じた。
けれど、ここは僕の知っている町ではない。そう思い直し、二人の子供を尻目に、僕は再び歩き始めた。
それでも、微笑みは止まなかった。
河川敷を歩いていると、やがて小さな橋が見えた。ナビによれば、ここを渡ってしばらく歩けばやまもんのお墓がある寺に辿り着く。
案の定、やまもんのお墓がある寺は、橋を渡ってしばらく歩いたところにあった。
「……久しぶりだな」
僕は持参した花を供え、線香をあげながらやまもんに話しかけた。もちろん返答が返ってくるはずもなく、僕は苦笑した。それでも話し続けた。
「……僕、本当にだめな奴だよ。やまもんを裏切って、傷つけて。それだけじゃない。今でもたくさんの人に迷惑をかけている。こんな僕が生きていてもいいのだろうか――」
返答は、ない。あるはずがない。
「――なあ、やまもん」
呼びかける。
「どうして、夢に出てきたんだ?」
返答は、やはりない。分かり切っていることだ。
「どうして……」
視界が霞む。どうやら、僕は涙を流しているようだ。
この事実を受け入れなければならない。
菅井から真実を告げられ、彼女に促されるままにここへ来て、真実を改めて知った僕は、涙を流すこと以外にどうすればいいのか分からなかった。
大切な人を失った悲しみは例えようのないものなのだ。それを改めて感じさせられた。
泣き虫陽ちゃんは、健在だ。
それを誤魔化そうと、僕は他愛もない話をした。
「それでさ、須田の奴がさ、馬鹿でさ」と無理に笑い話をし、やまもんを笑わせようとした。
けれど、反応が返ってくることはない。当然だ。目の前にいるのは、いや、あるのは、やまもんではなく、ただの墓石なのだから。
そもそも、やまもんは須田を知らない。
――僕、何やってんだろ。
漫画や小説、アニメなどで、墓石の前で故人と会話をするシーンなどがあるが、そんなこと現実世界で起こるはずなどない。僕はただひたすら墓石に向かって笑い話をしているだけだ。
きっと、僕は僕自身を笑わせたかったのかもしれない。
――どこまで泣き虫陽ちゃんなんだよ、お前は。
「さて、帰るよ」
僕は立ち上がった。
「やまもん、また来るよ」
「御坂君、よね?」
突然背後から声がした。
振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
そして思い出した。忘れるわけがない。
僕とやまもんが離れ離れになるきっかけを作った張本人なのだから。
手に花を持っている。おそらく彼女もやまもんの、娘のお墓参りに来たのだろう。
「――どうも」
僕は軽く会釈をした。
「御坂君、よね?」
女性は僕の顔を、目を見つめながら再び言った。
「やま――、山本さんのお母さん、ですよね」
やまもんの母親は少し苦い顔をした。おそらく山本という苗字を出したせいだろう。それでも、
「そうそう! 思い出してくれたのね。ありがとう」
やまもんの母親は嬉しそうな表情をした。けれど、またすぐに暗い顔になった。
明るくなったり暗くなったり、忙しい人だな。
「……多分私、あまり良い人に思われていないか」
――それは半分間違っているよ。多分じゃない。確実に良くは思っていないよ。
けれど、
「いえ、そんなことは、ないです」
社交辞令、というやつだ。
「気を遣わなくていいのよ。そう思われても仕方のないことを私はしたのだから」
「――つまり?」
「少し長くなるけど、いいかしら?」
「はい、もちろんです」
僕は答えた。
「じゃあ、どこから話そうかしら」
やまもんの母親は考える素振りを見せる。
「大体のことは、知っています。離婚のことも、知っています」
「そうだったの。なんだか恥ずかしいわ。それなら一から説明しなくてもある程度はわかるわよね」
「はい、わかっているつもりです」
僕は俯きつつ言った。
「……私ね、あの街が嫌いだったのよ。ううん、正確には嫌いになったって言った方が正しいかな」
「なぜですか?」
「夫の故郷があの街だったからよ。私の夫、だった人が不倫していたことは聞いているわよね?」
「はい、娘さんから聞きました」
僕は答えた。それと同時に屋上の一件と台風の日に逢ったときのことを思い出し、胸が張り裂けそうになったが、それを必死に抑え込んだ。
「夫が生まれ育った街に住み続けるのは抵抗があったのよ。それで、ほとんど私の我儘で、実家があるこの町に引っ越すことにしたの」
「そう、だったんですか……」
「でもね、こっちに引っ越して、気づいたの。この子、あの街が、あなたが本当に好きだったんだなって。本当、気づくのが遅すぎるわよね」
やまもんの母親は花を供えながら言った。
「綺麗な花ね。あなたが持ってきてくれたの?」
「はい……」
「それでね、この子、日記書いてたのよ。悪いとは思ったんだけど、見ちゃったの。そしたらあなたのことばかり書いてあって」
やまもんの母親は自分のことのように嬉しそうに笑う。
「屋上でこの子を助けてくれたことだったり、告白してくれたことだったり、それから――」
そこまで言った途端にやまもんの母親の表情が暗くなった。
――ああ、もう、察したよ。
「引っ越しのことと、別れ話のことですよね」
僕は言った。
「そうね。でも、それだけじゃないわ」
「え?」
「これ、言っていいのかしら」
やまもんの母親は話すことを躊躇している。
「言ってください。知りたいんです」
「――そう」
やまもんの母親は一呼吸おいて、
「この子、あなたに申し訳ないことをしたって書いているわ」
「どういうことです?」
僕の問いにやまもんの母親は静かに言った。
「私はお荷物だった、って書いてあったの」
奇しくも、菅井の言ったことと一致していた。
「そんな! お荷物だなんて……」
僕は右手を額に当てた。涙が頬を伝う。
「僕はそんなこと、思ってないのに…… 自分勝手な都合で傷つけたっていうのに……」
「そんなに自分を責めないで。この子はあなたが自暴自棄になることなんて望んでないわ」
「でも……」
「悪いのは私。恨まれるのも、私よ」
やまもんの母親は言った。
「恨むなんて、そんな」
「ありがとう、それだけで充分よ」
やまもんの母親が僕の涙をハンカチで拭いてくれた。
「本当に、ごめんなさい。私の身勝手で二人を傷つけてしまって……」
涙を流しながら僕に謝罪した。
「顔を上げてください」
「いえ、そんなこと、できません」
「顔を上げてください!」
先ほどよりも強く言ったが故か、やまもんの母親はゆっくりと顔を上げた。
「もういいんです。だから、涙を拭いてください」
「……ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
辺りはすっかり夕焼け色に染まっていた。
夜も遅いため、今晩はやまもんの母親の実家にお世話になることにした。
夕食もごちそうになり、その際僕の知らないやまもんの話をたくさん聞いた。
話をしている時、やまもんの母親が涙を堪えていたことを僕は敢えて触れないでおいた。そのほうがお互いに良いと考えたからだ。
彼女が泣けば、僕もきっと泣いてしまうだろう。根本的な部分で、やまもんに対する気持ちは彼女と僕は同じなのだなと、そう感じた。
お風呂からあがり、丁度髪を乾かし終えたとき、やまもんの母親が古びた、それでも可愛らしいノートを持って僕のところへやってきた。
「これ、あの子の日記よ」
やまもんの日記を手渡された。
「あなたに持っていてほしいの」
「わかりました。大切にします」
僕は深く頭を下げた。
「ありがとう」
やまもんの母親も深く頭を下げた。
お互い同じことしていて、それが可笑しかったのか、二人で笑い合った。
「さて、寝床に案内するわね」
やまもんの母親は優しく微笑みながら床が畳の寝室に案内してくれた。微笑んだその顔がやまもんにそっくりで、胸が苦しくなった。どうやら、僕はまだ癒えてないようだ。
「なにかあったら遠慮なく言ってちょうだいね」
「あ、はい、ありがとうございます」
僕は襖を閉めるやまもんの母親に礼を言った。
さて、一人きりになった。
目の前にはやまもんの日記がある。
僕は適当にぱらぱらとページを捲った。
5月15日 晴れ
今日は陽ちゃんと久しぶりに話ができた。約束は覚えてなかったみたいだった。けれど、最後はちゃんと思い出してくれた。
私は不安定で、たくさん酷いことを言った。けれど、陽ちゃんはそれを受け止めてくれた。それどころか私が屋上から落ちそうになったとき助けてくれた。
また、小さい頃のように仲良くできるといいな。
――ああ、あの時か。
屋上での一件が脳裏に甦る。
あの時は必死で、無我夢中だったな。あの日を境に僕とやまもんは再び仲良くなったんだっけ。
それから一枚一枚ページを捲る。本当に僕のことが多く書いてある。読んでいるこっち気恥ずかしくなるくらいだ。
そして再び思い出深い内容のページを見つけた。日付は、先ほどのページから約一年は経っているだろう。
5月29日 雨
今日は、なんと陽ちゃんに告白された。本当に、本当に嬉しい。もうちょっとロマンチックなことがあっても、良かったかなって思うけど、これからは幼馴染じゃなくて彼女として陽ちゃんのそばにいられるなら、良いか。
自然と顔がにやけてくる。
――ロマンチック、か。確かにその欠片もなかったかもな。もうちょっと考えるべきだったかな。なんて、今更すぎるな。
再びページをぱらぱらと捲る。そして、手が止まる。
僕の顔から、笑みが消えた。
7月3日 曇り
ついに、両親の離婚が決まった。
書かれていたことは、それだけだった。
僕は食い入るようにその日付からの日記を読んだ。どれもほとんど短文で、簡素なものだった。
そして、ある日の日記もまた、短文で書かれていた。
7月28日 大雨
陽ちゃんに引っ越しのことを打ち明けた。もう、一緒にはいられない。
胸が締め付けられるとは、こういうことなのだろう。
8月1日 晴天
陽ちゃんとお別れをした。あんなに泣いてくれて、あんなに想ってくれて、本当に私は幸せ者だ。でも、もう逢えない。それが何より辛い。けれど、それは陽ちゃんも同じ。だから、我慢しないと。
別れの日を鮮明に思い出す。
改めて思う。やはり僕は自分の身勝手でやまもんと別れたのだと。
やまもんは自分よりも僕のことを心配してくれていたのだ。こんな、泣き虫陽ちゃんのことなんかを。
正直、ここから先を読むのは気が進まなかった。けれど、読まなければ真実はわからない。
僕は深呼吸をし、心を落ち着かせ、ページを捲った。
目に留まったのは、七年前の今日の日付の日記だった。
8月10日 晴れ
私は、あの山に登ろうと思う。あの場所に、似ている気がするから。
『あの子、山に登ったんですって』
菅井の言葉がよみがえる。
――そうだ、山だ。
やまもんは山に登って、それで、亡くなったんだ。
日記のページを捲る。案の定、そこからは何も書かれていなかった。
――あの場所って、なんだ?
山に、行かなければならない。僕は、山に行ってやまもんの真実を確かめなければならない。
僕は急いで身支度を整え、深夜にもかかわらず、外へ飛び出した
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